鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008.11月「根岸~能見台」取材旅行 その5

2008-11-24 07:57:10 | Weblog
先に触れたように、この写真家ベアトと画家ワーグマンら外国人6名(それに日本人の助手や従僕、馬丁などが加わる)の鎌倉・江の島旅行は、元治元年(1864年)の10月(旧暦)に行われたもので、4泊5日の行程でした。横浜居留地を出発したのは10月19日(西暦では11月18日)の朝。彼ら外国人たちは徒歩ではなく、馬に乗って出発しています。彼らが金沢までどういうコースをたどったのかは確定できませんが、①横浜→〈保土ヶ谷道or横浜道〉→保土ヶ谷宿→〈金沢道〉→能見堂→称名寺→金沢町屋→金沢瀬戸→旅館 ②横浜→地蔵坂→不動坂→根岸→磯子→冨岡→金沢町屋→金沢瀬戸→旅館、という2コースを想定することができます。馬に乗ってただ目的地に急ぐのであれば、2時間~4時間ほどで金沢に到着することができるのですが(遅くともその日の午前中には到着できる)、ベアトやワーグマンたちは途中、いろいろなところで写真を撮ったりスケッチをしたりするわけだから、時間がかかる。金沢八景を遠望できる景勝地の能見堂にも立ち寄って、そこから写真を撮ったりスケッチをしたりしています。金沢の旅籠に到着したのは、その日の夕刻頃(17:00前後)であったでしょう。翌10月20日(旧暦)は金沢で写真撮影やスケッチを行い、その日のうちに朝比奈の切り通しを抜けて鎌倉の旅籠に到着。そこで2泊し、21日(西暦では11月20日で日曜日)の朝、鎌倉の旅籠を出発して江の島に到着。江の島で写真撮影やスケッチをした後、東海道藤沢宿に向かい、そこの旅籠で一泊。22日の朝、藤沢宿を出立して、東海道経由で横浜居留地に帰着しました。この4泊5日の旅の最中の21日(西暦11月20日の日曜日)、ベアトやワーグマンらの一行は、江の島においてたまたま2人のイギリス人と出会います。一人はジョージ・ウォルター・ボールドウィン少佐。もう一人はロバート・ニコラス・バード中尉。ボールドウィンは黒い巻き毛で顎鬚があり30半ばほど。バードは金髪で20代後半の背の高い青年。2人とも、横浜山手に駐屯するイギリス軍の中でも主力部隊である第20連隊第2大隊の将校で、その日の朝、居留地を馬に乗って出発し、金沢→朝比奈切り通し→鎌倉を経由して江の島に到着したのです。ベアトたちの馬が繋(つな)いであるところに彼らは到着。その2人に最初に会ったのは、そこで写真撮影をしていたベアトでした。 . . . 本文を読む