鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

松本逸也さんの『幕末漂流』について その1

2008-11-11 05:55:22 | Weblog
手元に『幕末漂流』という本があります。いつ購入したかは覚えていません。初版発行は1993年となっていますから、それ以後に購入したものと思われますが、これを久しぶりに読み返したのは、夏の北海道西海岸取材旅行から帰ってからのこと。きっかけは函館で元町公園内の「旧北海道庁函館支庁庁舎」を訪ねたことにあります。現在、この「函館支庁庁舎」は、観光案内所および写真歴史館となっていて、古写真を通して函館の歴史がわかるようになっています。ここには国指定の重要文化財になっている日本最古といわれる写真(厳密には、外国人が日本国内で日本人を撮影した現存する最古の写真)の複製が展示されていました。写っているのは松前藩勘定奉行兼旗奉行であった石塚官蔵とその槍持の万吉、そして草履取の卯之吉、それに貸人(かしにん)の村田某。撮影したのはペリー艦隊に随行していた写真家E・ブラウン・ジュニア。カメラはダゲレオ・タイプ。したがって写真は銀板写真。また木津幸吉、田本研蔵(土方歳三の写真を撮った人物)、横山松三郎といった草創期の日本人写真家を知りました。つまり日本写真史の上で、函館が重要な一舞台であることを知ったのです。北海道取材旅行から戻って、書棚から『幕末漂流』という本を何気なく手に取ったところ、それには、日本への写真の伝来ルートとして、「ペリーの黒船が伝えたアメリカ・横浜ルート」、「プチャーチンのロシア・函館ルート」、「オランダ・長崎ルート」の三つのルートがあることが記されていました。長崎も横浜も函館も、幕末の三つの開港場。それらの窓口と縁の深い国々が、独自の写真術を日本に伝えたというのです。そしてペラペラとページをめくっていくと、あの「鎌倉事件」の清水清次のさらし首の写真が出てきたのです(P285)。 . . . 本文を読む