鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008.11月「根岸~能見台」取材旅行 その4

2008-11-23 06:58:44 | Weblog
前回、ベアトやワーグマンなどの一行の、鎌倉・江の島への写真撮影およびスケッチ旅行の行程を、保土ヶ谷道ないし横浜道を利用して東海道保土ヶ谷宿に出て、そこから「金沢道」を通って目的地へ向かったとしましたが、その根拠は、金沢道の道筋にある能見堂から金沢八景を遠望していることにありました。しかし、外国人遊歩道を利用して、根岸湾に臨む根岸村に出て、そこからほぼ海岸に沿いながら金沢に向かい、金沢に一泊した後、朝比奈の切り通しを抜けて鎌倉・江の島に向かった可能性も捨てがたい。外国人遊歩道を利用したということは、横浜居留地から元町通りを通って地蔵坂で山手に登り、そこから不動坂を下って、白滝不動の参道にぶつかったところで右折。さらに右折して根岸村の浜辺に沿った道(不動道)を、金沢に向かって進むコースです。すなわち今、私がたどっているコースとほぼ重なるコース。というのも、『F.ベアト幕末日本写真集』のP42の「金沢」の説明に、次のようにあるからです。「金沢ほど、休日を過ごしたりピクニックに行ったりするのによい場所は滅多にない。横浜から12マイルほど離れた、馬で2時間もあれば充分に行けるところなので、訪問者のお気に入りの場所である。また、鎌倉や大仏や江の島へ行く途中の休憩所としても便利である。谷間を通る道と、競馬場の側を通って根岸湾沿いに行く道と、2通りの道があるが、後者の方がはるかに快適で近道である。…金沢は以前は鎌倉の在にあった村で、塩田があることと、近くでいろいろなおいしい魚が獲れることで有名である。1万石の大名米倉丹後守の陣屋がある。」前者の「谷間を通る道」とは井戸ヶ谷村を通る道かも知れません。後者の「競馬場の側を通って根岸湾沿いに行く道」がすなわち「外国人遊歩道」で元治元年(1864年)に造られたもの。ベアトやワーグマンらの一行が横浜居留地を出発したのは元治元年の10月(旧暦)だから、もしかしたら完成したばかりの外国人遊歩道を利用して根岸村に出たのかもしれません。そう推測して『F.ベアト幕末日本写真集』のP18(下)やP24の写真に写っている外国人遊歩道を見ると、まだ出来て間もないように見えて来ます。つまり、これらの写真もベアトやワーグマン一行が金沢・鎌倉・江の島に写真撮影およびスケッチ旅行に出掛けた時に、ベアトが撮ったものかも知れないという可能性が出てくるのです。 . . . 本文を読む