鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

松本逸也さんの『幕末漂流』について その2

2008-11-12 06:20:30 | Weblog
『幕末漂流』や『新版 写真で見る幕末・明治』に載っている清水清次のさらし首の写真は、『F・ベアト幕末日本写真集』にも『F・ベアト写真集2 外国人カメラマンが撮った幕末日本』にも収められていません。ちなみに『幕末漂流』のP285の写真は、〈「ライデン大学所蔵「甦る幕末」より〉とある。ということは、ベアトが写した日本の写真は「写真集」の写真以外にもまだまだあるということになります。とうぜんに日本以外で写した写真は「写真集」にはほとんど収められていませんから、私たちが知るベアトの写真は多くは日本で写したものに限られるということになります。『幕末漂流』には、ベアトが1858年に、イギリス戦争局の委嘱を受けて撮影した「セポイの乱」に関係する写真が掲載されています(P307)。写した場所は、「セポイの多くの者たちの出身地であるアウド(北インド)の主都ラクノー」。上の写真は「川岸に寄せられた魚の形をしたアウド王所有のボート」を右手前に写したもので、下の写真は「二人のセポイが絞首刑にされた現場」を写したもの。後者においては、絞首刑にされてぶら下がっている二人のセポイを、「シーク族と思われるターバンを巻き銃剣を手にした十人ほどのインド人」が見上げています。1860年、「太平天国の乱」を鎮圧するために、英仏連合軍が太平天国軍と激戦を繰り広げた場所をベアトが写した写真も掲載されています(P309)。場所は大沽の太平天国軍陣地。英仏軍に占拠された後のようすです。陣地には戦死した中国兵の死体が散乱しています。P313には、1871年に朝鮮に遠征したアメリカ軍に同行した時の写真が掲載されています。下の写真は捕虜となった朝鮮の兵士2人を写したもの。日本以外でベアトが写した写真が掲載されているという点においても、この『幕末漂流』は興味深いものでした(『F・ベアト写真集2』には、このアメリカ軍の朝鮮出兵の時の写真がP43~45に掲載されています)。欧米諸国には、ベアトが日本を含めた世界各地で写した写真がたくさん残っているのでは、と思わせるものでした。 . . . 本文を読む