鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008.11月「根岸~能見台」取材旅行 その1

2008-11-18 06:13:04 | Weblog
『F.ベアト幕末日本写真集』の折込ページにある「横浜周辺外国人遊歩区域図」の解説(P28)によれば、幕末における横浜居留地在住の外国人にとっての、遊歩区域内における旅行コースとしては五つ挙げることができたようです。その五つのコースは、青・緑・緑(点線)・赤・黄の5色に色分けされていて、それぞれのコースについて次のような記載があります。◇青─W.R.ミッチェル、ギブソン、ホースの乗馬旅行のコース(1866年10月)─根岸→町屋→金沢→鎌倉→片瀬→戸塚 ◇緑─大山への徒歩旅行のパーティのコース(1866年10月)─保土ヶ谷→厚木→飯山→宮ヶ瀬→八王子→橋本→田名→原町田 ◇緑(点線)─C.H.ハーバード、リヴィントン、ホースの大山登頂コース─日本の兵士に登頂を妨げられ、阻止線を突破して、5,000フィートの高さに達したところで捕えられた、という武勇談付きのコース ◇赤─ホース一行のコース(1866年11月)23日夜大山登頂に成功したという─戸塚→藤沢→一の宮→田村→厚木→飯山→蓑毛→神戸→伊勢原→粕屋→愛甲→戸塚 ◇黄─W.H.スミス一行の乗馬旅行のコース(1867年11月27日)、14時間30分かかったという─保土ヶ谷→厚木→飯山→宮ヶ瀬→八王子→橋本→木曽→原町田  そして最後に、「本書に収録されている写真によって、ベアトもほぼこれらのコースに沿って撮影旅行をしたことがわかる」と書かれています。このように見てきて、ふと気になったのは、最後のコースの「木曽」という地名。前に「清水清次の首」(2008.7.31のブログ記事)のところで、『新版 写真で見る幕末・明治』小沢健志編著(世界文化社)に掲載されているベアトの写真を紹介しましたが、そのP120に「処刑された荘吉」という生々しい写真がありました。それは「木曾村」の荘吉という23歳の青年が、主人とその息子を殺害した罪により磔(はりつけ)となった姿を撮ったものでした。その際、「木曾村」とは「今の町田市にある木曾のことか」としましたが、おそらくこのW.H.スミスの乗馬コースの内容から見て、それに間違いないと思われます。もしかしたら、ベアトはこのW.H.スミス一行の中に加わって旅行し、木曽を通過した際に磔にされたばかりの荘吉の死体に遭遇したのかも知れない。今回は「青」のコースの一部を歩きました。その報告を以下数回に渡って。 . . . 本文を読む