青い海の夜想

2005年04月16日 | Weblog
 ホームページに書き込む時間が、どうにも作れないのだけれど、こんな地味なサイトにアクセスしてくれるひともいるので、それにはどうにかしてお応えしたいのです。
 そこで、ただのメモみたいな書き込みになっちゃいますが、すこしだけ。

▼4月4日の月曜

 朝、自宅を出て、羽田空港へ。
 まさか、このまま自宅に1週間まるごと帰れなくなるとは夢にも思わずに…。

 大阪に到着してテレビ出演。

▽マスメディアをめぐる、ぼくの何でもない前の書き込みに、思いがけないほど強い気持ちのこもった電子メールや、掲示板への書き込みや、ブログへのコメントをいただいた。
 それへのお答えは、もうすこし時間ができてからにします。
 ただ、いただいたメール、書き込み、ブログの強い支えには、ちょっとびっくりしつつ胸の奥が熱くなりました。こころから、ありがとう。

▼4月5日の火曜

 午後に帰京、独立総研へ。
 TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の取材と執筆で、徹夜になり、帰宅できず。
 レポートは未完。

▼4月6日の水曜

 朝、ふたりの主任研究員とともに、防衛庁の技術研究本部へ。
 ある政府機関から委託されている研究プロジェクトで、ヒヤリング。
 終了後、ぼくだけはそのまま防衛庁にとどまり、午前と午後、会うべき幹部たちに会う。

 そのあと独立総研へ戻り、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の取材と執筆を続行。ふたたび徹夜になり、帰宅できず。
 レポートは未完。

▼4月7日の木曜

 独立総研・社長としての雑務などを、まずまずこなしつつ、古巣の共同通信のための原稿などを書いて送稿しつつ、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の取材と執筆を続行。
 またまた徹夜になり、帰宅できず。
 それでもレポートは未完。

 独立総研から会員に配信しているTCR(東京コンフィデンシャル・レポート)は、当事者に直接聞いた第一次情報を盛り込むのはもちろんだけど、裏付け取材も、分析も、予測も、そして文章もベストの水準と自分で思えるところまで高めないと、会費を支払って購読されている会員には、とても送れない。

 だけど、こんなに苦闘になってしまった号も初めてだ。

▼4月8日の金曜

 まえまえから『この日の昼』と決めてあった、独立総研のお花見をひとまず中止し、お花見のあとの昼食会もレストランの予約をキャンセルし、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の取材と執筆を続行。

 夕刻、苦吟し抜いていた224号(小泉政権の行方についてのレポート)をようやくにして脱稿・完成させ、全会員へ配信。

 そのあと、もはや遅い時間になっていたけど、独立総研の社員たちと千鳥ヶ淵の夜桜を見にいく。
 帰国子女が多いので、社員にとっては「にほん」に触れる良い機会だ。
 幸いにちょうど満開で、掛け値なしに素晴らしかった。

 この千鳥ヶ淵の桜を舞台にして、ぼくのほんとうの処女小説「夜想交叉路」を書いた。
「文學界新人賞」の最終候補に残ったけど、山田詠美さんら審査員の強い拒絶にあって落選し、印刷もされなかった小説ですね。

 夜桜をさっと見たあと、みんなで軽く呑み、ふたたび独立総研へ帰る。
 講演のレジュメづくりや、「ヨミウリ・ウィークリー」の連載コラム執筆で、やっぱり帰宅できず。嗚呼(ああ)…。

▼4月9日の土曜

 夜遅く、ようやく帰宅する。
 独立総研から自宅までは、車で15分くらいの近さなんだけど、とにかく帰れなかったナァ。
 帰宅しても、原稿の執筆で、また徹夜になってしまった。

▼4月10日の日曜

 午後になり、すこし昼寝をすると、もう起きあがれない感じになり、ベッドの上で苦しんでしまった。
 なんとか起き出して、自宅からスポーツ・ジムへ。
 無茶かなと思ったけど、フル・メニューでバーベルやダンベルを挙げ、腹筋や背筋の運動をやり、さらにプールで泳ぐ。

 帰宅すると、身体が生き返っている。
 無理しても行って良かったなと思いつつ、原稿でまた徹夜になってしまった。

▼4月11日の月曜

 朝、自宅から羽田空港へ。
 大阪に着くと、まずプールで泳いで全身を目覚めさせてから、テレビに出演。

 中国の反日暴動などについて、ぼくなりにお話しした。
 自己評価としては、納得できない出来だったけど、その部分(数分間)の視聴率がポンと高くなっていて、みんなの関心の強さを感じた。それは嬉しかった。
 視聴者は、ちゃんと見てくれている。
 局のスタッフも、いつも通り、とてもまじめに奮闘してくれている。

▼4月12日の火曜

 午後、帰京し、独立総研へ。
 今週は、このまま帰宅できないなんてことを繰り返したくないナァ。

 社長の実務、雑務のほか、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の次の号(225号)の取材と執筆。
 帰ろう、帰ろうとしつつ、夜が明ける。
 朝になってから帰宅。

▼4月13日の水曜

 自宅近くで、たいせつな情報源と会い、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)225号の取材と執筆。
 レポートは未完。

 夕刻、東京プリンスホテルへ行き、独立総研の社員のうち3人と共に、政治記者だった時代に担当していた自民党のある派閥のパーティに出席。
 武部勤幹事長らと、亀井静香さんらの挨拶が、郵政民営化をめぐって真正面から食い違っている。
 何人かの議員から「まさか解散はないよね」と問いかけられる。

 終了後、社員と共に独立総研へ帰る。
 TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)225号の取材を続行しつつ、古巣の共同通信のための連載原稿などを書き、また徹夜。

▼4月14日の木曜

 朝5時ごろに、ようやく帰宅。
 沖縄へ出張なので、朝7時には迎えの車が着てしまう。
 朝6時ごろから仮眠、目が覚めたら7時10分。10分で出張の用意と身支度をして、車に飛び乗り、羽田へ。

 独立総研の秘書室長とふたりで沖縄へ。
 那覇に着くと、昼ごはんにソーキそば(琉球そば)や沖縄名物の「海ぶどう」や「島らっきょう」を食べて、オリオン・ビールの生を飲んだ。
 それは、とても幸せだった。
 だけど観光などはせず、昼食のあとホテルに籠もって、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の取材と執筆を続行。
 レポートは未完。

 夕刻から、沖縄県庁の国民保護担当のひとびとと会食。
 7月に那覇で行われる「国民保護フォーラム」で講演するので、その打ち合わせがほんらいの目的だった。
 しかし話は、沖縄にとって自衛隊とは何か、沖縄にとって尖閣紛争とは、反日暴動とは何か、沖縄にとって米軍再編とは何か、そして沖縄にとって戦争と平和とは何か…などなど、戦後日本の歩みの根っこにかかわる話が尽きず、ついに6時間たっぷりと話し込んだ。
 想像をしないほど中身の濃い、深い意味のある会合になった。

 日付が替わってから、ホテルへ戻る。
マッサージを頼んで受けているうちに寝込む。

▼4月15日の金曜 その1

 朝、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)225号の取材と執筆を続行。
 まだ未完。

 昼から午後2時過ぎまで、沖縄県経営者協会が主催する講演会で、「この国の主人公が自立する」と題して講演。
 中韓の反日暴動から、ライブドア、憲法までを、ぼくなりに力を振り絞って話した。

 講演後、「別の機会に、もっと話を聞きたい」と近づいてこられた婦人団体のかた、あるいは電力会社の幹部らとすこし話して再会を約してから、個人タクシーで摩文仁の丘へ向かう。運転手さんは女性だ。

 沖縄戦のもっとも悲惨な戦場の一つとなった摩文仁の丘は、沖縄へ来るたびに訪れている。
 きょうは、ニューヨーク育ちの秘書室長(24歳、女性)に沖縄戦の現場と、青い海を見せるためもあった。

 沖縄のひとびとが断崖から身を投げた摩文仁の丘の、その向こうの海は、あまりにも美しかった。
 海と断崖へむかって、何度もなんども手を合わせて祈る。
 ここに建立されている「平和の礎(いしじ)」(碑の一種)には、命を奪われた日本国民や日本兵の名前だけではなく、敵であったアメリカ兵やイギリス兵の名も一緒に刻まれている。
 世界を見てきたぼくも、こんな敵味方を超え、兵士と民間人の区別も超えて、慰霊の名を刻んだ碑は、この摩文仁のほかに見たことはない。
 世界中の人にみせたい、平和祈念公園だと思う。

 摩文仁を去り、近くで軽く食事をしてから、個人タクシーで空港へ向かう。
 あらかじめ女性運転手さんに「空港へ向かう途中、白梅の塔へお参りしますから」と頼んであった。

 近くには「ひめゆりの塔」もある。
 白梅の塔、ひめゆりの塔のいずれも、日本軍兵士の看護に駆り出され、爆死したり自決したりした高等女学校の女性徒たちの慰霊碑だ。
 ひめゆりの塔は二度にわたって映画化されたこともあり、訪れる人が絶えないけど、白梅の塔は、犠牲者の近親者や友だち以外には、ほとんど訪れる人がない。
 ひめゆりの塔は観光客や修学旅行生でいっぱいだけど、白梅の塔は、いつもひっそり静まっている。

 ぼくが初めて沖縄を訪ねたのは、共同通信に入社してまもないころ、26歳ぐらいの新人記者だったときだ。
 きょうと同じく個人タクシーに乗ると、ぼくが若い記者だと知った運転手さん(このひとは男性)が、この白梅の塔へ連れてきてくれた。
 ぼくは、ひめゆりの塔は事前によく知っていたけど、白梅の塔は、その存在を何も知らなかった。

 運転手さんは、塔の裏手へ回り、塔の下部の扉を開いた。
 そこには、女学生たちの頭蓋骨や腕や足の骨が、白く、うずたかく積まれていた。
 塔の横には、この沖縄第二高等女学校の女性徒たちが自決した壕が、黒く深く開いていて、そこへ入って写真を撮ると、はっきりと女学生とわかる顔がいくつも写り込んだ。

 それ以来、白梅の塔を忘れたことはない。

 去年のこと、やはり講演のために沖縄を訪れて、ひさしぶりに、この白梅の塔へお参りした。
 雨の降る、冷たい、暗い日だった。
 塔の横手に、納骨堂が新設され、ぼくの目撃したお骨はすべてそこへ移され、あの扉はもう埋められていた。
 だけども、自決の壕は、そのまま残っていた。
 一歩、二歩と石の階段を、暗い底へくだろうとするのだけど、どうしても恐ろしくて、降りることが去年は、できなかった。
 二歩だけ降りたところで、手を合わせ、ふと気づくと、ただ一輪の白百合が首を伸ばすように壕の入り口近くに咲いていた。

 タクシーに戻り、出発するとき、その白百合を遠く見ると、首を折るように、花が急にうつむいているのが、はっきりと目に焼きついた。

 きょうは、晴れた日だった。
 去年の雨の日と同じく、誰も訪れている人はいない。
 塔や納骨堂に手を合わせていると、抑えようもなく涙が噴きこぼれた。

 同行している秘書室長と、自決の壕へ向かった。
 去年に白百合が咲いていた、入り口近くの場所に、きょうは花のない百合の茎が伸びていた。
 あの白百合だと、ぼくは確信し、すこし手を触れた。

 きょうも正直、恐ろしかったけど、日射しのあることに勇気づけられて、階段を一歩、二歩と下り始めた。
 階段の一歩目から、強烈な霊気に満ちている。
 降り始めて、女性徒たちの魂のために、このまま降りることがよいのか、降りないことがよいのか、おのれの魂と、それから満ちている霊気に、懸命に問いかけた。
 そして、ぼくは意を決して、降りていった。

 卒塔婆が一本だけ置かれた暗い底で、祈りを捧げて、ふり返り、光の射しこむ壕の入り口を仰ぐと、若き女性秘書室長が入り口からすこしだけ離れて眼を閉じ、一心に祈っているのが見えた。

 それでよい、とぼくは思った。
 ミドル・ティーンで命を失った女性徒たちだ。
 成人した女性、生きて人生を歩んでいる女性をみると、きっと嫉妬を感じるだろう。
壕に入らず、謙虚に入り口の近くで控えて、祈っていてほしい。
 ぼくは秘書室長に、その思いを何も語っていなかったけれど、彼女は、思いやりの深い性格のまま、自然にそうしていた。

 そして、その女生徒たちの嫉妬は、おかしな言い方だろうけど、正しい嫉妬だと思う。
 嫉妬して当然だと思うからだ。
 ぼくは、非力ながら、その想いを受け止めたいと思っている。
 受け止めて、ぼくが私心を去って世に尽くすための、力のひとつ、支えのひとつにさせていただきたいと思っている。

 個人タクシーの女性運転手さんは「誰か、親戚の方がいらっしゃるんですか」とぼくに聞いた。
「いえ、係累は誰も沖縄にはいないんです。初めて沖縄に来たときに、偶然にここへ連れてきてもらって」と答えたが、運転手さんは『なぜ、わざわざここへ?』という感じで、すこし首をひねっていた。

▽ぼくは、もともと沖縄が心の底から好きだ。
 南の島の風や空は、おおくのひとがそうであるように大好きだけど、沖縄の悲惨な戦史との出逢いは、ぼくの運命の一つだと、勝手に思わせてもらっているのです。

 そして、不思議なご縁はやっぱりあるようだ。
 去年も沖縄から講演の依頼が2度あったけど、ことしの4月から7月にかけては、なんと4回も沖縄で講演する。

 ぼくはスキューバ・ライセンスを持つダイバーでもあるので、7月の講演のときには、久しぶりに潜りたいとも思っている。4回のうち1回は、沖縄本島ではなく石垣島だし。
 沖縄の海は、ずいぶんと環境破壊もされたけど、それでもダイバーにとって世界でもっとも美しい海であることには変わりない。

 それにしても、アメリカ軍だけではなく日本軍にも追われた沖縄のひとびとが身投げをした、あの断崖の向こうの海は、あまりにも美しかった。

▼4月15日の金曜 その2

 夜遅く、沖縄から羽田に帰着、珍しくまっすぐ自宅へ。
 あすの朝はまた、羽田に向かい、今度は神戸での講演へ向かう。

 摩文仁の丘で拾ってきた小石を、亡き父の遺髪を祀って水を捧げている小さな場所に置き、一緒に祈りを捧げた。

 ほんの15分ほどだけホームページに書き込むつもりが、摩文仁と白梅の塔に触れていたら、もう午前5時に近い。
 さあ、すこし寝なきゃ。
 あの女生徒たちのためにも、すこしでも眠って、力を回復させて、また元気に羽田へ向かわなきゃ。
 講演を待ってくれている人たちは、それがどの地方であれ、どうやってわたしたちの平和を創るのか、どうやってわたしたちの真の独立と、自立と、自由と民主主義を育むのかを、ぼくに問うために待っていてくれるのだから。

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7 Comments

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Unknown (一生書生)
2005-04-17 19:08:52
これだけ日々真剣に仕事をされていることを知ると、こちらもより真剣にTCRレポートを読もうという気になります。
Unknown (wonderwall)
2005-04-19 03:36:42
本当にお忙しく濃い毎日を送ってるんだなと感じます。更に「2時ワク」では大サービスを。関西に住んでて良かったと思いました。
はじめまして (佳子@京都)
2005-04-21 23:14:51
私は月曜日仕事がお休みなので、よくTVの番組を拝見しています。いつもは結構ボーっと見ていたのですが、ここ何週かは興味深い話が続いたので、かなり食いついて拝見していました。

他の番組でも同じニュースは当然やっていて、でもどこも同じような話ばかりだったなか、青山さんのお話は他では出てこなかったような話をして下さっていて、しかもすごくわかりやすくて。うーん、どう表現していいのかわかりませんが、えらく感動(かな?)しまして・・・。



私は、政治とか経済とかさっぱりわからなくて、でもまあ、それなりにニュースを見たりはしますが、新聞もそれなりに・・程度で、「難しいことはわかんないよ!」という感じでした。

いや、青山さんが出演されたことのあるような番組はそこそこ見てはいますし、「へぇ、!!そんなことが・・・」と思うことはしょっちゅうありますねえ・・・

でも、なんでしょうか・・月曜日番組を見た後、すっごーく久しぶりに自分でも(TV見てとかじゃなくて)勉強しなあかんな・・というより、「したいな」という気持ちになりました。



書き込むか迷いましたが、ここへ来ていろいろ拝見しているうちに、ますます心は動かされ、この感動?をここで伝えられるなら、伝えたいと思って書き込んでみました。

一生書生さんへ (青山繁晴)
2005-04-25 00:23:05
 TCRの会員でいてくださること、深く感謝しています。

 もっと会員にたくさんのレポートを読んでいただけるよう、心して、踏ん張ります。
wonderwallさんへ (青山繁晴)
2005-04-25 00:24:59
「2時ワクッ」を見ていただいて、ありがとうございます。

 正直つたない話しかできていません。謙遜ではなく、ぼく自身の自己評価は、まだまだ低いです。

 でも、関西にいてラッキーとまで言っていただけると、内心で、すごーく嬉しいです。

佳子@京都さんへ (青山繁晴)
2005-04-25 00:30:10
 ぼくこそ、あなたの書き込みを読んで、感動しました。

 本心です。

 自分でも勉強してみようかなぁ、という気持ちをもたれたとのこと、そんな人がひとりでもこうやって居てくれるなら、あの番組に出る意味があります。



 ぼくは記者時代に京都に6年暮らしました。

 前半の3年は共同通信の京都支局、そして後半の3年は大阪支社に転勤していたのですが、京都を離れたくなくて、京阪特急でまいにち、小旅行のような気持ちで大阪の日銀記者クラブやエネルギー記者クラブ、繊維記者クラブなどへ通っていました。



 ぼくは深草に住んでいましたから、いまでも新幹線で京都を通り過ぎるとき、師団街道がちらりとみえると、それだけで青春が蘇る気がするのです。



 佳子さんは京都のどのあたりにお住まいですか?

白梅の塔 (ES)
2005-12-03 07:19:23
こんにちは。青山さんの一読者です。青山さんの生き方をいつもかっこいいな、と思っています。青山さんは、自分が将来ああいうふうになりたい、と思わせる(数少ない)人物の一人です。



このブログを読んでぜひ白梅の塔に行きたいと思い、先日沖縄に行った際にお参りしてきました。



那覇以南の沖縄南部に来たこと自体、初めてで、ひめゆりの塔以外にもこれほど数多くの「塔」があることも知りませんでした。



緩やかな起伏の多い地帯で、人の気配がほとんどなく、過去にすべての地面が掘り返されるほどの激しい地上戦があったとことも、何だか容易に想像できました。



ぼくの感覚ですけど、ここが沖縄と本土の違いかな、と思います。本土にいると過去に総力戦の戦争があったとは実感として湧かない。戦前・戦後が感覚の上で乖離しているのかもしれない。でも、沖縄では確かにここで戦争があった、と分かる。



白梅の塔に到着したら、本当に誰もいませんでした。最初はガマのことなんて全く忘れていて、塔の前で手を合わせて、ソツなく帰ろうとしたのです。でも、何か引っかかるものがあって引き返したところ、右手に「自決の壕」が目に入りました。



青山さんの言ったとおり、暗くて深いガマでした。「男だし・・・」と思って意を決して階段を下りていくと、異様につめたくて湿った空気に驚きました。そして階段を半ばまで下りたところで、どうしても足が動かなくなって、ただ一心に手を合わせるだけになってしまいしました。とにかく感謝と、せめてものなぐさめの気持ちを伝えました。



最近、国家とは一体どういう存在なんだろう、と思います。



単なる一説に過ぎないかもしれませんが、沖縄の人々は戦前、ほんとうの日本人ではないという負い目があって、そのために一層本気で日本のために戦ったという話を聞いたことがあります。



だとしたら、彼らが守ろうとした日本は守る価値があったのか?日本軍は本土決戦のために最初から沖縄を時間稼ぎの捨石にするつもりだったのに。



もちろん、今の日本と戦前の日本は違う、と思います。でも、ぼくが国家のことを考えても、国家は一向にぼくのことを考えてくれていない、その構図は同じような気がします。



「9条改悪反対」とか言ってるわけではありませんよ。



ぼくも沖縄は大好きなのですが、いろいろな問題を抱えているな、といつも思います。米軍再編、産業育成、母子家庭増加、左翼の牙城になってることなど、よく考えたら日本の縮図かな、とも思えてきます。



だらだらと書いてすみません。とにかく青山さんのblogがきっかけでいろいろと考えさせられました。



これからも(上手に息抜きしながら)一層、がんばってくださいね。陰ながら応援しております!



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