▼ぼくは近畿大学の経済学部で、客員教授として国際関係論を教えています。
きょうは前期の試験日です。
ぼくの試験は、その場でキーワードを出して、それをめぐる自分の考えを学生が自由に書くという試験です。
キーワードを出したうえで、学生から何か質問があるときに備えて、教室に最後までいます。
大学が定めた試験監督官は、ちゃんといらっしゃるのですが、ぼくも居るようにしています。
開始から10分後、30分後、というように区切りを付けて、答案を書いている学生のあいだを回ります。
あまりにもペンが進んでいない学生には、耳もとで、「文章や細かい点にあまり拘らなくていい。きみの考え方を知りたいのだから、思い切って自由に書け」と小声でアドバイスします。
近畿大学で教え始めて6年目ですが、試験答案の質は凄く上がりました。
この頃では、100点満点を付ける答案も、必ずあります。
ちなみに、この教室で先ほど試験が終了した1年生対象の試験では、「参加」、そして「祖国」というキーワードを出しました。
どちらかひとつを選んでも、ふたつともについて書いても、いいのです。
受講している学生の数は多いので、この忙中のさなかに、採点するのは、地獄のようにたいへんです。
しかし同時に、愉しみでもあります。
ぼくをうならせるような、独創的な答案、着眼点のいい答案を読んだときは、こころから嬉しくなります。
それはまさしく、「祖国」の近未来に繋がりますから。
▼さて、あすの関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」はオリンピック放送のために、繰り上がるそうです。
15:48 ~ 16:53の生放送です。
つまり1時間、早くなるわけですね。
オリンピックは、ぼくも、ついつい食い入るように視てしまいます。
もちろん、常にパソコンで仕事をしながらの観戦ですが、気がつくと、選手の魂と一緒に泳ぎ、走る気持ちになっていたりします。
ぼくが海外に目を開かれたのは、実は子供のときに、東京オリンピック(1964年)に夢中になってからです。
開会式の行進で次から次へと現れる、たとえば見たこともない民族衣装を着た選手たちから、世界が広いということを子供心に初めて実感しました。
いま思えば、あれほど清潔な開会式もなかったように思います。
前回の北京五輪のような、逆にもうオリンピックの開会式を見たくなくなるような過剰な演出、たくさんの大嘘まで盛り込まれた演出はありませんでした。
基本は、ただただ、秩序正しく諸国の選手団が行進し、スタンドにいらっしゃる日本の天皇陛下(昭和天皇)と世界の賓客らに敬礼を捧げるだけでした。
簡素ななかに清潔感があふれ、それでいて沸き立つような生きる歓びを感じさせ、世界の息吹をありありと見る者に伝えてくれました。
そこには、広い地球世界とともに、確かに、日出ずる国「にっぽん」がありました。