Our World Time

希望について

2007年03月18日 | Weblog



▼いま、日本時間で2007年3月17日土曜日の午後9時15分、中東カタールの首都ドーハに向かう機中にいます。
 ヒマラヤ山脈の北を飛び、モンゴルを越えていこうとするあたりです。
 きょうのフライトも、地平線のオレンジと紅(くれない)の色が胸に残りました。もう地平線は、無限の闇に沈んでいます。

 ドーハでは、国際戦略会議に出席します。
 このグローバルな戦略会議は、ことしが2回目の開催です。

 アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデンなど欧米諸国、中国、インド、バングラデシュなどアジア諸国、イラクやイラン、それにイスラエルとパレスティナを含む中東諸国、アルジェリア、南アフリカなどアフリカ諸国…文字通りに世界中から、政府高官や軍人、学者、シンクタンクの研究者らが集まって、イラク戦争後の中東をどうするかを中心に、議論します。

 日本からは、首相補佐官(国家安全保障担当)の小池百合子さん、独立総合研究所(独研)社長としてのぼく、独研の主任研究員 J らが、カタール政府からの公式招待で参加します。
 ぼくとJ主任研究員は、去年の第1回会議も参加しました。小池さんは、初参加です。

 このような会議は、トラックⅡ(ツー)と呼ばれます。
 トラックⅠ(ワン)は、たとえば、サミットをはじめ諸国の首脳が集まるような会議です。
 トラックⅡの会議は、実務者が官民の壁を越えて広く集まって、トラックⅠの会議の中身を事前に詰めていったり、下支えをしたり、トラックⅠよりもっと本音むき出しで激論を交わしたりするのが役割です。

 シンクタンクの独立総合研究所が何をしているのか、いまだに「分からない」という人も多いから、たとえばこの国際戦略会議に正式に招かれて、日本とアジアの立場をまっすぐ真ん中から、利害関係なく主張している役割を考えていただくと、すこし分かってもらえるかな?


▼当初の予定では、帰国が来週3月21日の水曜でした。
 だから、毎週水曜にレギュラー出演している関西テレビの報道番組「ANCHOR」の特報コーナー『青山のニュースDEズバリ!』は、ぎりぎりの出演になりそうだ、もしも飛行機が遅れたらヤバイね、という話をしていました。

 すると、なんと思いがけず、関テレ報道部がドーハに乗り込んで現地から生中継で『青山のニュースDEズバリ!』をやりたいという申し出が、プロデューサーからありました。

 この積極姿勢には、ちょっとびっくり。
 関テレは、制作セクションがつくったバラエティ番組「あるある大事典」のデータ捏造事件で、意気消沈しているけど、報道セクションがこうやって、前へ踏み出す姿勢で踏ん張ろうとしているのは、ぼくは評価します。
「あるある」の捏造は、絶対に許されない、テレビ界の驕りだと思います。
 自分たちの誇りや仕事も、視聴者の立場や気持ちも、何もかも踏みにじった、決して忘れることのできない恥ずべきスキャンダルです。

 しかし、あくまでもバラエティ番組の制作現場で起きたこと。報道の現場は、ぼくの知る限り、まったく違います。

 ぼくは元政治記者として国政選挙のたびに、関テレ報道部の記者たちに、「裏選対」の回り方をはじめ取材のやり方をアドバイスして、志のある、私心や虚栄のためではなく民衆のために戦う記者が育つよう、利害関係は一切なく手助けをしてきました。
 育てると言えば僭越だけど、ぼくが政治記者時代に命をすり減らしてでも身につけようとした取材ノウハウを、すべて伝えようと試みてきました。

 だから報道部の人たちには、同じ関テレの起こしたスキャンダルを謙虚に受け止め、深く自省しつつ、報道の誇りをもって、関テレの名誉回復のためにも頑張ってほしかったので、このプロデューサーの申し出を、受けました。

 となると、独立総合研究所も、主任研究員の J のほかに人を出す必要が生まれて、今回は若き秘書室長の S も同行しています。
 J はシアトル 、S はニューヨークで育った帰国子女なので、早口の英語が飛び交う国際会議では充分に力を発揮してくれます。

 3月21日水曜(祝日)の関西テレビの報道番組『ANCHOR』は、午後5時から5時半にかけて、「青山のニュースDEズバリ!」の特別編としてドーハから生中継があります。
 もしよかったら、ちらりと見てみてください。





▼さっき、この機中で眠ろうとしたのだけど、オレンジと紅の地平線をみていて、なんとも言えない寂しさが胸に湧いて、こうやって暗い機中で音を立てないようにしつつパソコンに打ち込んでいます。

 けさは、関テレの「ぶったま」という柔らかめの番組に生出演して、わたしたちの祖国がこれから向き合わねばならない孤立、ほんとうの自立と独立を勝ちとるためにこそ通過せねばならない名誉ある孤立について、ぼくなりに懸命に話しました。

 生放送のあと、たまたま視聴者の反応を少しだけ、聞くことができて「分かりやすかった」と言ってもらって、ちょっとだけ、ほっとしました。
 こんな話をどこまで分かってもらえるか、心配していたから。

 ぼくは、テレビ出演と講演のあとには、必ず、落ち込みます。
 同行している独立総合研究所の社員が驚くほど、がっくり落ち込む。
 おのれの話しぶりに、まったく満足できない。下手で下手で、たまらない。本心そのものです。テレビ出演や講演が終わると、「あそこが不充分だった」、「あそこが説明不足だった」と悔いがどっと押し寄せます。

 けさの生出演のあとも、関西国際空港に向かう車中で、落ち込んでいました。
 空港で、たまたま視聴者の反応を知って、いくぶん救われたけど、自分の仕事に満足できない気持ちは、変わりません。

 地平線をみていて、なんとも言えず寂しかったのは、そのせいもあるのかなぁ。

 ぼくが、自分の仕事で、それなりに納得できるときがあるのは、文章だけ。
 その文章も、何年かあとに読むと、穴があったら入りたい気持ちになるのですが、書いた直後は、けっこう納得していたりする。

 それもあって、ひとりの物書き専業になって、どこか遠くで原稿だけ書いて、たいせつな祖国に送って、ごく身近なひととだけ暮らして、ひっそり死にたい気持ちがあります。

 だけども、やはり祖国から遠ざかってはいけないと思う。
 だから、国家戦略のアナリストの仕事も、力を尽くして続けなきゃいけないし、祖国と世界のための戦略家であろうとする限りは、マスメディアであれ講演であれ、広くみんなに分かってもらおうとする努力も続けなきゃいけないと思う。

 ただね、思い込みによる中傷、山のようで壁のようでいて、ごく気軽に繰り返される感じもある無理解、日本に巣くう「権威主義」、「権力と反権力の巧妙な癒着」との徒労感の深まる闘い、それやこれやで、疲れることは疲れます。
 疲れても、いつか天か神さまが、ぼくを永遠に休ませてくれる。こどもの頃、死ぬことが心の底から怖かった。いまも怖いけど、ああ、いつかは休めるのだから、とも思える。


▼さてさて、カタール航空機は、ときに大きく揺れながらも着実に、ドーハに近づいていきます。

 世界中から戦略家が集まってくる会議、しっかりと力を尽くして、ぼくの下手な話でも理解してくれる視聴者、下手な講演でも背筋を伸ばして聞いてくれた聴講者、それから例えばミクシィのコミュニティに集まってくださっているみなさん、びっくりするぐらい増えたことは増えた理解者のかたがたに、応えたいと思います。

 空の上に浮かんで書いているせいか、胸の奥の本音を言いすぎたかも知れません。
 みんなは寂しくないよ。うまく言えないけど、みんなは、寂しくない。

 それから、ぼくは、希望を忘れません。
 ありがとう、みんな。

 希望は、理由があって、根拠があって、目的があって、持つものじゃない。
 希望は、ただそこに生と死があるから、持つものだ。



(※ 写真は、ドーハの国際会議場のテラスから眺めた、ペルシャ湾へのヨットハーバーです。天然ガスで潤うカタールは、こうやって美しいヨットハーバーもあるけれど、このペルシャ湾は地獄のイラクにも続いています。…無事に、ドーハに入りました。ドーハ時間3月18日午前10時48分、日本時間午後4時48分、記)