Our World Time

降りていくエレベーターのなかで、ふと

2006年05月09日 | Weblog



▼5月8日の月曜日、連休が明けてただちに、シンクタンクを経営するうえでの、なかなかに重い課題に向きあうことになった。
 ちょっと苦しんでいるところを、秘書さんが、とてもさりげなく励ましてくれた。

 
▼ぼくが不肖ながら社長(兼・首席研究員)をつとめる独研(独立総合研究所)は、よく、ぼくの個人事務所と勘違いされる。
 全くそうではなく、れっきとした株式会社のシンクタンクだ。

 ただ、株式会社であるのは、自立のためであって、利益を追求するためじゃない。
 ほかの株式会社が利益を追求していることには、そのまま、身体を張った経済活動として深く敬意を表しつつ、独研は、ささやかながら違う道を歩みつづける。

 かつて幕末に坂本龍馬のつくった「亀山社中」は、日本初の民間会社と評価していいと思うけど、あくまでも主たる目的は、利益追求よりも世の変革だった。
 史上初の会社であったのは、藩の殿さまや幕府の援助を受けずに自分の食い扶持は自分で稼いで、自立して、だからこそ変革を進めることができるという思想のためだと、ぼくは考えている。
 独研が株式会社であるのは、基本的に、これと同じ思想に立つ。

 NPOやNGOとなる道も、採らない。
 NPO、NGOの活動も、深い敬意とともに尊重するけど、独研は、国家から税法上の特別扱いを受けずに、ふつうに税金を払う道を選ぶ。


▼しかし、いかなる支援も受けず、また無借金経営を貫き、志だけで結ばれた社員・スタッフの支えるシンクタンクが、銀行や証券会社や政府や、そういう大きな力に支援された他のシンクタンクと対等に渡りあって、存続し発展していくのは実際ため息が出るほど、たいへんは、たいへんです。


▼だけど、今(5月9日火曜日の未明4時すぎ)、書きとめたいのはそのことじゃない。

 経営上の課題に、ちょっと悩みながら、ゆうべの夜9時すぎ、独研の若き研究員に見送られて会社を出てエレベーターに乗ったとき、ふと、「ぼくは、悩まなくてもいいことに悩んでいるんだ」と気づいた。

 もちろん、悩むからには、それなりの抜き差しならない理由はある。
 だけども、ぼくが命を天の意志に委ねると決心している以上は、ほとんどの悩みは、実は悩む必要のないことだ。

 悩むなら、自分のことでも、会社経営のことでもなく、世を悩め。
 私心は去れ。おのれは思うな。
 シンクタンクの経営は、悩むのではなく、さらりと、そしてどんどんと前へ前へ、フェアに、やることをやればいい。

 おまえよ、悩むなら、ただ世のために悩め。




※写真は、パキスタンの都市ラーワルピンディのマーケット入り口あたりを、携帯で撮りました。
 ここから北へ10キロの首都イスラマバード(イスラームの都市、という意味)は人工都市だけど、ラーワルピンディは、ありのままの自然な街です。
 この豊かな野菜のまえを通って、マーケットの奥に入っていくと、山羊の生首を大量に並べて売っています。
 日本でこの首を見ると、ひっくり返るだろうけど、イスラーム世界で見ると、ひとびとの大切な栄養源として、ごく自然です。

 イスラーム世界には、凄絶な貧しさもあるけど、思わず拍手してしまうような、たくましさもある。
 日本という、隅から隅まで完璧であろうとする社会にいると見失ってしまうようなおおらかさを思い出させてくれる、それも、きれい事でなく思い出させてくれるところが、ぼくは好きです。