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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

官寺の一つ相模国分寺の後継寺院「東光山国分寺」

2018-08-23 14:56:36 | 寺院
海老名市国分に相模国国分寺後継寺院、高野山真言宗の寺院「東光山国分寺」はある。天平13年(741)聖武天皇の詔によって国ごとに設置された「官寺」で奈良の「東大寺」、「法華寺」がそれぞれ総国分寺、総国分尼寺とされた。日本各地に建立された国分寺、国分寺市にある「医王山国分寺」は「武蔵国分寺」といわれる。創建は奈良時代750年頃。本尊は国分薬師=薬師如来である。創建後の10世紀に衰退、鎌倉時代に修復、室町時代から戦国時代衰退、安土桃山時代から江戸時代に再興、幕末から明治初には衰退、明治時代に再興、そして現在と苦難の歴史を繰り返している寺院である。正徳年間(1773)住僧堯智本堂を再建し本堂、薬師堂、経蔵、山門、庫裡等の堂宇が並ぶが、幕末頃本堂、経蔵、山門等廃絶。明治期末火災により薬師堂類焼の厄を罹るも仏像類は難を免れ、同年11月薬師堂跡に仮堂の「本堂」が再建された。「山門」より石段を上りると境内左手正面に「本堂」、「客殿」、そして重要文化財の「梵鐘」がある「鐘楼」、「六地蔵」がある。また近くには今公園となっているがかつての「国分寺跡」史跡がある。(1808)












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美麗な山門と本堂が際立つ「稲荷山光明院普門寺」

2018-08-22 11:52:10 | 寺院
多摩区登戸麻生区に東の高野山と言われる「王禅寺」の末寺、真言宗豊山寺院「稲荷山光明院普門寺」はある。江戸時代に幾度かの火災に遭い古記録を焼失しているが、寺伝では室町時代後期、源空(永禄9年=1566寂)開山、河野三左衛門通良(元禄2年=1689寂)が中興開基とある。本尊は大日如来。向ヶ丘遊園駅北口徒歩8分のところに位置し色鮮やかな真新しい八脚門形式の「山門」が構えられている。左右に吽形像 阿形像、仁王様、脇に中華獅子、小壁には色鮮やかな羅漢様、天井に龍が描かれている。境内正面に入母屋造り屋造り銅板葺の「本堂」がある。各所に龍の欄間彫刻、通り間に装飾彫刻、左右に唐獅子の木鼻彫刻、妻壁に龍の欄間彫刻、唐獅子の木鼻彫刻が施されしかも色鮮やかに彩色され美麗である。境内には「河野氏祖先の墓」、「太子堂」、「客殿」、門の左手に「十王堂」、「石塔群」がある。また「蓮鉢」が置かれ見頃7月頃には多くの鑑賞客が訪れ別名「蓮寺」とも呼ばれている。(1808)






















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「心の風景を求めて」作品展へ・・・!!

2018-08-21 11:02:38 | 写真&絵画&造形展
8/18から8/21まで濱實氏の作品展「心の風景を求めて」がハーモニーホール座間の一階ギャラリーにおいて開催されている。濱實氏は北海道函館市に生まれ、1973年から2年間フランスへ留学。帰国後武蔵野美術学園入学。1995年から2013年まで間に数々の美術展に入賞されている。現在は座間市アーティストファイルにも登録所属されて、市の絵画普及、絵画サークルの指導等の活動をされている。今回濱氏の半生の辿ることができる作品=海岸風景、街、人物、花、魚が二部屋に40点余り展示されている。生まれ育った函館での幼少体験と平塚漁港の風景を重ねた「海岸風景シリーズ」は100号という大きい作品が4点も展示されている。どの作品にも濱氏独特の重厚感が溢れている。(1808)














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「座間谷戸山公園」で秋の昆虫「シオカラトンボ」が飛び始めた!!

2018-08-20 13:51:32 | 公園・庭園
座間市入谷の住宅街に原生林が広がる自然生態観察公園として整備されている「座間谷戸山公園」はある。縄文時代からの人の暮らしが営まれていた土地、里山の風情を残す場所として公園化され身近な自然とふれあえる公園である。春はれんげ、夏はホタル、秋は紅葉、冬は池に集まるカモと四季折々に様々な表情が楽しめる。園内には湿生生態園がありその中に小池と小川があり、水鳥の池でカモ、サギなどを見ることができる。湿生地池では小魚、ザリガニ取りに勤しむ子供たち。周りの草むらでは「シオカラトンボ」が飛び始めた。ここ数日、涼しさ感じられ季節は確実に秋へ移行している。「シオカラトンボ」はトンボの代表選手で、未成熟な時期は褐色なので「ムギワラトンボ」と呼び、成熟した雄は塩を吹いたように白くなるのでこの名前が付いたようである。(1808)






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明治期最盛を極めた「丸山教本庁」の伽藍の数々!!

2018-08-20 09:00:53 | 寺院
川崎市多摩区登戸、「稲荷山光明寺」の左手隣に「丸山教」のご法聖地とされご法塔が建つ「丸山教 教務本庁」はある。丸山教は明治3年に登戸村の一農民の「伊藤六郎兵衛」を教祖として富士講の一派である丸山講を背景として興った世直し的性格の強い新興宗教である。同時代に興った新興宗教は「丸山教」の他に「天理教」、「黒住教」、「金光教」などが含まれる。丸山教は最盛期の明治19年には138万人信者を擁していた。飛躍的な発展を遂げた丸山教だが国家的な弾圧により明治20年代中頃にはその勢力も急速に失った。戦後は平和主義を教義にかけて原水爆禁止運動を信仰の実践として活動を続けている。広い境内には教祖を祀る「御法殿」、「松霊殿」、「丸山会館」、「御法聖地」、「仙人窟」、神道系の一団体のためか鳥居も建てられている。幼稚園などが建ち並んでいる。ほかに「北原白秋の歌碑」や「佐藤紅禄・佐藤惣之助・丸山教3代目伊藤葦天の句碑」がある。明治21年建立の「十国柱」(「心国」「人国」「愛国」「孝国」「日国」「生国」「桑国」「明国」「礼国」「水穂国」)の十の国の名記)がある。御法殿前には立派な「藤棚」があり藤の花が咲く5月には多くの花見客が訪れる。(1808)














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