川崎市多摩区登戸、「稲荷山光明寺」の左手隣に「丸山教」のご法聖地とされご法塔が建つ「丸山教 教務本庁」はある。丸山教は明治3年に登戸村の一農民の「伊藤六郎兵衛」を教祖として富士講の一派である丸山講を背景として興った世直し的性格の強い新興宗教である。同時代に興った新興宗教は「丸山教」の他に「天理教」、「黒住教」、「金光教」などが含まれる。丸山教は最盛期の明治19年には138万人信者を擁していた。飛躍的な発展を遂げた丸山教だが国家的な弾圧により明治20年代中頃にはその勢力も急速に失った。戦後は平和主義を教義にかけて原水爆禁止運動を信仰の実践として活動を続けている。広い境内には教祖を祀る「御法殿」、「松霊殿」、「丸山会館」、「御法聖地」、「仙人窟」、神道系の一団体のためか鳥居も建てられている。幼稚園などが建ち並んでいる。ほかに「北原白秋の歌碑」や「佐藤紅禄・佐藤惣之助・丸山教3代目伊藤葦天の句碑」がある。明治21年建立の「十国柱」(「心国」「人国」「愛国」「孝国」「日国」「生国」「桑国」「明国」「礼国」「水穂国」)の十の国の名記)がある。御法殿前には立派な「藤棚」があり藤の花が咲く5月には多くの花見客が訪れる。(1808)















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