愛知県蒲郡市海陽町に伝説の港町をモチーフにしたテーマパーク「ラグーナ蒲郡」は平成14年(2002)に開園。夏は6種類のプールで水遊びが楽しめる。ラグナシア(LAGUNASIA)のテーマは海。大航海時代や海洋冒険譚をイメージしたパークで、その全体が地中海の交易で栄えた中世のアドリア海に面した港町という設定になっている。スペインからイタリア、ギリシアの文化や雰囲気が渾然一体となったもので、パークの中心にウォーターパーク、大規模プールがあり、夏はプール、秋冬はカヌーやヨット体験ができるようになっている。道路を挟んだ場所に「おさかな市場」、「ラグーナアウトレット」、「レストラン」などの商業施設が入居する「ラグーナフェスティバルマーケット」がある。フェスティバルマーケット(2009年に増床・全面リニューアル)と「ラグナシア」はペデストリアンデッキで繋がっている。シーサイドリゾートの中にある施設でイベント、多彩なアトラクションやエンターテインメントショーが開催され一日中楽しむことができる。丁度「サンセット」のタイミングに遭遇した。観覧車とのコラボする幻想的な美しさである。(1502)
大府市大東町に天台宗の寺院「寶龍山延命寺」はある。宗祖は伝教大師最澄で、総本山は比叡山延暦寺である。開創(伝)平安時代、開山(伝)は盛祐上人。寺家六坊を有していたが大永年中に消失し比叡山より慶済法印が来られて中興開山とし再建された。本尊は延命地蔵菩薩である。室町時代には勅願所となり、後奈良天皇より寶龍山の口宣案と勅額をいただく。戦国時代に入り、横根城主梶川五右衛門、緒川城主水野惣兵衛等の支援を受けますます発展した。現在の伽藍として「本堂」、「客殿」、「地蔵堂」、文殊楼門「山門」、「庫裏」、「茶室」などが建ち並び愛知県指定・大府市指定の文化財を多数有している。当寺は知多四国4番礼所である。(1502)
「熱海」は伊豆半島の東側付け根に位置し相模灘に面し、市域内は殆どが丘陵であり、別荘地や住宅なども高台の上に立つ所が多く、道路も勾配の急な坂が多い。海岸線もすぐに丘となる所がほとんどだが、中心部は埋め立てで砂浜海岸などが形成されている。温泉場で有名であり、嘗ては東京の奥座敷として新婚旅行のメッカとして賑わったが、観光客の足も遠のいた感がある今日、熱海温泉では今、街の観光プロモーションのキャッチコピー「意外と熱海」=熱海の魅力を再確認&再注力している。熱海サンビーチは熱海市街から一番近いビーチでバックにホテル・リゾートマンションが建ち並び、海水浴場も3か所あり、近くには熱海親水公園や熱海港そしてヨットハーバーもある。ヤシの並木が続く砂浜はまるで外国のリゾート地のようで日本のモナコと例えられている。1995年まで海のF1「熱海オーシャンカップ」も開催されていた。気候も海洋性気候により、冬は暖かく夏は涼しい土地といことから移住者も増えているようである。(1502)
小田原市城内に難攻不落の城と言われた「小田原城」(築城は応永24年=1417)はある。戦国時代から江戸時代にかけの日本の城(平山城)で、北条氏の本拠地であった。江戸時代には小田原藩の藩庁があった。聳える天守閣は江戸時代に造られた雛型や引き図を基に昭和35年に鉄筋コンクリート造で再築され3重4階の天守に付櫓、渡櫓を付している。内部には甲冑・刀剣・絵図・古文書など小田原の歴史を伝える資料や武家文化に関わる資料などが展示されている。平成18年10月に「日本の歴史公園100選」に選ばれている「小田原城址公園」内には「天守閣」の入口と「二の丸広場」と「常盤木門」から「歴史見聞館」に亘って植えられている250本の梅の内早咲き終わったようだが遅咲きが紅や白の花びらを広げ咲いている。寒気の中、百花に先駆けて花咲く梅花を見ていると春はもうそこまで来ていることがわかる。「梅一輪一輪ほどの暖かさ」という句もある様に・・・・・。おりしも「小田原梅まつり」は3/1まで開催されている。(1502)
知多郡武豊町(長尾城址)に鎮座する「武雄神社」はある。武豊という町名はここ「武雄神社」と「豊石神社」の頭文字を取ったとされる。創建(伝)は当社が貝塚の上にあり又南東一帯が「金下」と言われ、万葉の言葉が残っていることから、奈良時代以前である。承久の変(1221年)後、「長尾城」に居城していた岩田氏が武雄天神を氏神として祀り、城内領内を加護する社として累世崇敬されたのが現在の「武雄神社」である。主祭神は「武内宿禰」、「武雄心命」、「仲哀天皇」、「神功皇后」、「応神天皇」五柱の神を総じて「武雄大明神」と号している。当社は「月詠みの森」とも呼ばれ古くは仲秋の名月に境内に集まり多くの文人墨客が和歌を詠んだ「月の名所」でもある。武雄神社の社叢(境内)には推定樹齢約300年という天然記念物の「クスノキ群」、クロガネモチ、ムクノキなどの大木が自生しまさしく森のイメージ濃い神社である。(1502)