goo blog サービス終了のお知らせ 

相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「三春の滝桜」で今春の「桜追撮」の旅が終わりを迎えた!!

2025-04-23 19:09:23 | 桜・桜まつり
今年の「桜追撮の旅」が先日の「飛田給スタジアム通り」の「八重桜」で撮り収めとなった。桜の先陣を切って先ずは早咲きの「河津桜」から始動。先ず松田山、相模原公園、ギオンスタジアム、新戸の河津桜・アジサイライン、橋本公園、宗仲寺、谷戸山公園、グリーンパーク、勝坂歴史公園へ。「河津桜」からバトンを受け桜の主役「ソメイヨシノ」へ移行、いよいよ桜の主役登場で佳境に入った。先ず都内では表参道の善光寺、「上野恩賜公園」、「千鳥ヶ淵」、武道館、靖国神社へ。相模原市では何といっても「相模原市役所通り」の桜並木、相模原公園、麻溝公園、ギオンスタジアム、小山公園、さがみの仲良し小道、相模原沈殿池、せせらぎ園地区、グリーンパーク、もえぎ台グランド、青柳寺、「相模女子大の百年桜」、松が枝公園、東林間桜並木、横浜水道みち緑道、さがみ野仲良し小道、他4公園。町田市では浄運寺、原町田のしだれ桜、熊野神社、まつり会場の「恩田川」へ。座間市では谷戸山公園、芹沢公園、かにが沢公園、相模が丘仲良し小道、緑ヶ丘跨線橋の座間桜を愛で収録した。いよいよ大詰め、桜の大トリを務めるのが「八重桜」である。先ずはこの桜は「下原八重桜通り」で100本の並木が名所で見逃せない。他に麻溝公園、相模丘仲良し小道、飛田給スタジアム通りと約2ヶ月に亘る桜追撮の旅も終わりかと思っていたが、日本三大桜の筆頭「三春の滝桜」を鑑賞の機会が飛び込んできた。やっぱりこの「三春の滝桜」は美しすぎ&凄すぎて言葉がでない。(2504)
松田山の河津桜

新戸の河津桜アジサイライン

宗仲寺の河津桜

原町田のシダレザクラ

千鳥ヶ淵お濠の桜

上野恩賜公園の桜

相模原市役所通りの桜

恩田川の桜

相模女子大の百年桜

三春の滝桜

下原の八重桜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野霊山の守護神「花園稲荷神社」

2025-04-23 14:24:17 | 神社
台東区上野公園内に村社の社格の「花園稲荷神社」はある。創建年代は不詳であるが本覚院の僧晃海が霊夢に感じ廃絶していた社を承応3年(1654)再建、上野霊山の守護神とした。古くから此の地に鎮座し「忍岡稲荷」として石窟の上にあった事から俗称「穴稲荷」とも云われていた。御祭神は倉稲魂命である。幕末、彰義隊の戦いでは最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られている。後、明治6年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され「花園稲荷」と改名した。「五條天神社」が現地に遷座となるときに社殿も一新された。お社は古書に弥左衛門狐と記され「寛永寺」が出来る時に忍岡の狐が棲む処が無くなるのを憐れみ一洞を造り社を祀ったと云われている。社地はお穴様を中心に2千坪あったが、明治の上地の為、現在は五條天神社と併せて約千坪となった。五條天神社の右奥にあり稲荷らしく赤い鳥居が数十列並んでいる。(2503)
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今、一番美しい花である「モッコウバラ」をクローズアップ!!

2025-04-23 09:51:57 | バラ・バラ祭り
今、公園や緑道、個人のお家の生垣において最も目にするのが黄色に輝き他のバラが開花する前に真っ先に咲かせるのが「モッコウバラ」(木香薔薇)である。「相模原麻溝公園」の「花の谷」の花壇に枝いっぱいにビッシリと黄色の小さな花塊をつけ、優しい香りを漂わせている。花の色には白と黄色の2種類があるが微妙に特性が異なる。香りは白にあり、黄色にはなく、育てやすいのは黄色の方である。「モッコウバラ」は中国原産のバラの原種の1つでバラ科バラ属の常緑つる性木本。花径は3cmと小柄で、白い花の方が強い香りを放つ。日本には江戸時代に黄色の八重咲き品種が渡来した。和名はインド原産の植物からとれる芳香剤の「木香」からつけられた。学名はRosa banksiae、花期はちょうど今頃の4月~5月。「モッコウバラ」の花は一季咲きで春に開花する。黄色い花は「モッコウバラ・ルテア」、白い花は「モッコウバラ・アルバ」である。カスタードクリームのような淡いクリーム色がかった花色はなんとも美しい。(2504)
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東叡山寛永寺の伽藍の一つ「清水観音堂」

2025-04-23 07:29:35 | 寺院
台東区上野(公園)に寛永8年(1631)に建立の天台宗「東叡山寛永寺」の伽藍の一つ「清水観音堂」はある。寛永2年(1625)天海大僧正が二代将軍「徳川秀忠公」寄進の上野の山に平安京と比叡山の関係に倣って「東叡山寛永寺」を開山。これは比叡山が京都御所の鬼門を守るという思想を江戸にも導入し江戸城の鬼門の守りとした。そして比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立した中の一つ「清水観音堂」が「京都の清水寺」を見立てたお堂である。清水観音堂には京都の清水寺安置と同じ「千手観世音菩薩像」が奉納されている。初めは上野公園内の「擂鉢山」に清水寺と同じ舞台作りで建てられたが元禄初期に今の噴水広場の地に「寛永寺総本堂」の「根本中堂」建設により元禄7年(1694)に現在地に移築された。上野の山に現存する創建年時の明確な最古の建造物で国指定重要文化財に指定されている。観音堂の前境内に配された「月の松」は江戸時代の浮世絵師歌川広重の「名所江戸百景」において「上野清水堂不忍ノ池」そして「上野山内月の松」として描かれおり皆が必ず「不忍池」方向を眺める名所となっている。(2503)
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野恩賜公園の象徴「西郷隆盛像」と「彰義隊墓」

2025-04-23 07:29:13 | 公園・庭園
東京都台東区の「上野恩賜公園」と言えばまず上野動物園の「パンダ」「西郷像」である。その中でも有名なのが上野の丘に建つお馴染みの姿の「西郷隆盛像」である。幕末の武士であり、政治家、軍人でもあった西郷隆盛を讃えることを目的に建立された。高さは3.7mの堂々たる体躯で、しっかりと前を見据える姿は上野のランドマーク、東京のシンボルとして人気が高く誰しもが訪れる。その隆盛像の先、裏手の木立ちの中に静かに立てられているのが「彰義隊の墓」である。旧将軍・徳川慶喜の護衛を目的として慶応4年(1868)に旧幕臣らにより結成された軍事組織である。「上野戦争」は戊辰戦争で江戸市中で起きた唯一の組織的な戦闘で、百名以上といわれる彰義隊戦死者は当地で荼毘に付されたが、「逆賊」とみなされた彼らの墓を建立することが許されたのは明治7年である。その墓碑銘も政府をはばかって「彰義隊」の名は記されていない。(2503)
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする