小田原市城内に難攻不落の城と言われた「小田原城天守」はある。市内のどこからで美しい姿を見ることができ小田原のシンボルとなっている。小田原城の築城は応永24年(1417)で別名は「小峯城」(小峰城)、「小早川城」(小早川館)とも呼ばれる「平山城」(城郭構造)である。築城主は大森頼春。現在目にしている小田原城天守閣は江戸時代に造られた雛型や引き図を基に昭和35年に鉄筋コンクリート造で再築されたものである。日本100名城にも数えられる「小田原城」はその昔、武田信玄や上杉謙信といった武将でも攻め落とせなかった天下の名城である。最近では天守閣の大規模な改修工事も終わり2016年から一般公開が再開されている。この城の特徴は何といっても豊臣軍に対抗用に作られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9㎞の土塁と空堀で取り囲んでいて、後の豊臣大坂城の惣構を凌いだものとなった。天守構造は複合式層塔型3重4階(1633年築)である。小田原城天守は1階建の小天守、続櫓、3重4階の大天守の構成からなる。大天守は見た目は3重であるが、1重目は2階に別れ、4階建の天守となる。5重天守の規模で天守のみの高さは27.2m、天守台石垣高さは11.5m、総高38.7mである。本丸広場の海抜29.7m、合わせて海抜約70mとなる。1重の屋根には出窓の上に切妻破風と千鳥破風、出窓は3箇所に施されている。2重目の屋根には比翼千鳥破風と軒唐破風、入母屋造りの屋根には入母屋破風と軒唐破風と鯱が施されている。天守閣は白亜の壁が美しい約40mもの高さを誇る小田原のシンボル。コンパクトに見えるが真近で見ると大迫力が感じられる天守である。(2012)
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