相模原市南区磯部の矢部氏居館の裏鬼門地に曹洞宗寺院の堂宇「下磯部東薬師堂」は鎮座している。建立は創建年代等は不詳ながら500年前から奉安されてきたと伝えられ江戸時代の安永9年(1780)頃とされる。本尊は薬師如来である。さがみはら風土記稿によると「能徳寺持」であり伝承では500年前からあり、大正時代までは本尊の「薬師如来像」の他に「四天王像」や「十二神将像」があったと伝わる。堂宇は毎月12日に開扉され近隣のお年寄りが集まり特に10月12日の「亡日」には本尊が開帳され能徳寺の住職による読経が行われ、参拝者には目の治療に効能があるといわれている上新粉で作った「まゆ因子」と護符が配られる。磯部の「下磯部」バス停より南へ200mの所に赤いトタン屋根の「小堂宇」がある。堂宇の前には不動明王像、右横には「下磯部集会所」がある。(2406)
相模原市南区下磯部地区のほぼ中央に下磯部の鎮守「磯部御嶽神社」は鎮座している。創建(伝)は延文元年(日本の南北朝時代の元号で1356~1360年以前。祭神は天児屋根命。日本神話で「天照大神」を天の岩屋から出すために祝詞をあげられた神様である。付近一帯には「堀の内」、「大門」、「二重堀」などの地名ありかつてこの辺りには「磯部城」があったと推察される。室町時代(1477)、上野国(今の群馬県)の長尾景春と関東地方を治めていた山内上杉定顕が戦った時「磯部城」は景春を味方にしたが、厚木の「溝呂木城」と共に滅ぼされた。石造りの「鳥居」を抜けると赤いトタン屋根風の「拝殿」、拝殿の左側奥に境内社の「堀の内稲荷大明神」の小さな祠がある。(2406)