相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

旧新戸村の鎮守「新戸日枝神社」

2024-07-10 15:02:59 | 神社
相模原市南区新戸、集落のほぼ中央に位置し近くにある「白山姫神社」と共に旧新戸村の鎮守「新戸日枝神社」は鎮座している。総本社は天台宗延暦寺の地主神、日吉山王権現、元官幣大社の日吉大社。創建年代は不詳ながら江戸時代には「山王社」と呼ばれていた。祭神は大山咋命。 鳩川沿いに進むと昭和24年に改修された「日枝神橋」の前に「鳥居」が構えられている。境内正面に「拝殿」があり、丸石を納めた小さな祠が祀られている。拝殿内の祭神を拝める。「拝殿」左に境内社とて災害除けの神「第六天社」が祀られている。新戸村では「第六天原」と呼ばれる丘の上に祀られていたが陸軍学校建設のため接収の理由から戦後30数年を経て当境内に遷座した。かつては農作物に害を与える雹除けの「氷祭の神事」が行われていた。(2406)
 
 
 
 
 

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大磯に鎮座する高麗寺末の「鶏足山慶覚院」

2024-07-10 09:18:12 | 寺院
神奈川県中郡大磯町高麗に「高麗寺」の末寺=子院で「高来神社」に隣接するように天台宗寺院「鶏足山慶覚院」(高麗寺)は鎮座している。創建は慶長18年(1613)。高麗という地名から古代には朝鮮からの渡来系の人々の住む集落である。江戸時代までは高麗山山頂とその麓に「高麗権現社」と別当寺の「高麗寺」が中腹の登山路脇にあった。元々「高麗寺」は行基が養老元年(717)に創建し、千手観音を本地仏と定め、神仏習合の聖地であったが、明治の神仏分離令により「高麗寺」が廃され大磯唐浜の沖より漁民が網で引き上げたと伝わる本尊の「千手観音立像」他の地蔵菩薩像が当寺に移された。かつては北下町にあったが明治23年(1890)に南下町の大火で焼失により地蔵堂のあった当地に移った。花水橋の架かる国道1号線を大磯方向に進んだ高来神社入口を右折した先に「高来神社」の「二ノ鳥居」と当寺の「仁王門」が構えられている。山門の仁王像は江戸初期の仏像で廃寺となった「高麗寺」のものである。境内正面には平成19年(2007)に地蔵堂を建替えて完成した「本堂」、右に庫裏と鐘楼があり前には回向柱が建つ。(2407)
 
 
 
 




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「モナの丘」では「イングリッシュラベンダー」が紫色の花穂を!!

2024-07-10 07:27:45 | 建造物
相模原市南区下溝にハーブとバラの芳香に包まれた農園=農業生産法人グリンピア相模原が運営する農業体験&レストランの「モナの丘」はある。当施設は2007年にオープン、3.5haの広大な敷地内に「バラ園」、「ハーブ園」、「ラベンダー園」の花壇がありまるで花園のようである。その他に「バイオマス実験プラント」、「キノコ畑」、「果樹林」、「バーベキュー広場」等が配置されている。レストラン裏のバラ園の至る所でお馴染みの「イングリッシュラベンダー」が紫色の花穂を咲かせている。「ラヴァンディングロッソ」と書かれている。「ハーブの女王」とも呼ばれ、かわいらしい花穂を揺らし、フローラルな香りを放つシソ科の植物で、ヨーロッパでは昔からバスタイムや洋服の香りづけなどに利用されてきた。このハーブは初夏になると紫色や白色などの花を咲かせ、地植えや鉢植え、ドライフラワーとして利用されるお馴染みの花である。(2407)
 
 
 




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