相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

了源上人創建の「龍頭山善福寺」

2024-07-15 15:10:36 | 寺院
神奈川県中郡大磯町高麗に宗祖・親鸞聖人常随の高弟である関東六老僧の一人、鎌倉時代の浄土真宗の僧の平塚入道了源上人=伊東四郎祐光が創建の浄土真宗本願寺派寺院「龍頭山善福寺」は鎮座している。伊東祐光は伊豆の押領使・伊東祐親の孫であり、その次男・伊東九郎祐清の子で、仇討ちで有名な「曽我兄弟」とは従兄弟の関係になる。元仁2年(1225)祐光は国府津(勧堂)滞在の親鸞聖人の本願他力の道に心を打たれ弟子となり念仏の教えを各地に弘めて道場を建立し、延応元年(1239)には壗下の地に草庵を結び阿弥陀堂を建立した。本尊は阿弥陀如来立像。平塚市内より国道1号線を大磯に向かって進むと「花水川」に架かる「花水橋」を渡った左側に構えられた小田原城家老職・大久保忠衛の屋敷門の移築の「山門」より入山すると正面に文化2年(1805)再建の「本堂」(阿弥陀堂)と「庫裏」がある。境内庭の東側には6、7世紀の「横穴式墓穴群」の古墳を見ることができる。岩山の前には檀家の墓地も並んでいて古墳時代と現代人の墓地が一緒という不思議な空間である。(2407)
 
 
 
 
 
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「さがみの仲よし小道」では「サルスベリ」がピンクの花を披露中!!

2024-07-15 10:46:55 | 道・緑道
相模原市南区大野台3丁目から南区相模台3丁目にかけて総延長5キロメートルに亘って「相模原の道・橋・花ーさがみはら百選―」の一つ「さがみの仲よし小道」がある。かつての「相模原台地」に昭和23年から16年をかけ「畑かん水路」が造られたが、その後相模原台地は現在の市街地として発展、この水路敷きを活用した緑道が現在の「仲良し小道」である。平成16年3月現在3.6kmが緑道として整備され今や地域住民のコミュニティーラインとなっている。その小道の花壇の一画では数本の「サルスベリ」がピンクの花を披露中である。中国南部原産のミソハギ科サルスベリ属。「百日紅」の別名があるように開花期が長く夏から秋にかけて次々と開花する特徴の樹木である。(2407)
 
 
 
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新戸村時代の鎮守であった「白山姫神社」

2024-07-15 07:23:54 | 神社
相模原市南区新戸、JR相模線相武台下駅の近くに新戸村時代の鎮守であった「白山姫神社」は鎮座している。かつて「白山大権現」と呼ばれていた当社の創建年代は不詳ながら享保8年(1723)の棟札が残されており、新戸村の鎮守として勧請されたと考えられ、当地にあった関東総奉行内藤清成の陣屋に祀られたか或いは陣屋廃絶後に祀られたかのどちらかと推定される。その証として「陣屋稲荷」という小さな稲荷社が境内にある。祭神は伊佐那岐命、伊佐那美命、菊理比売命である。石段を上ると「鳥居」があり、正面に「拝殿」がある。拝殿内には祀られた祭神が窺える。境内には御神木の大きな「ケヤキ」と「トチ」の木が立ち並ぶ。ここに新戸・磯部・当麻・大島などの各村々を支配するために設けた屋敷があったと伝わる。(2407)
 
 
 


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