相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

東叡山寛永寺伽藍の一つ「大黒天堂」

2024-04-17 20:03:16 | 寺院
台東区上野に広大な面積を誇る「上野恩賜公園」はもともと「東叡山寛永寺」の境内でありその名残として伽藍の数々が建ち並んでいる。不忍池「弁天堂」も伽藍の一つであるが、その右隣に鎮座する「大黒天堂」もその一つである。木造建物で瓦屋根装飾が重厚で見ごたえある堂である。大黒天は七福神の一つで食物、財福を司る神として祀られ庶民に親しまれている豊太閤護持の看板と赤い幟が建てられている。ここの大黒様は豊臣秀吉公が大切にしていたという「三面大黒天」を祀るお堂で、幕末の戦争や太平洋戦争の難を免れ今日に伝わっている。「大黒天」は福を授ける神、福を招く神として知られ、家門繁栄や富貴を齎すご利益があり参拝が絶えない。(2404)
 
 
 
 
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上野霊山の守護神「花園稲荷神社」

2024-04-17 15:28:26 | 神社
東京都台東区上野公園内に村社格の「花園稲荷神社」は鎮座している。創建年代(不詳)は本覚院の僧晃海が霊夢に感じ廃絶していた社を承応3年(1654)再建、上野霊山の守護神とした。古くからこの地に鎮座し「忍岡稲荷」として石窟の上にあった事から俗称「穴稲荷」とも云われていた。御祭神は倉稲魂命である。幕末、彰義隊の戦いでは最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られている。後に明治6年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され「花園稲荷」と改名した。「五條天神社」が現地に遷座となる時に社殿も一新された。お社は古書に弥左衛門狐と記され「寛永寺」が出来る時に忍岡の狐が棲む処が無くなるのを憐れみ一洞を造り社を祀ったと云われている。社地はお穴様を中心に約2000坪あったが明治の上地の為、現在は五條天神社と併せて約1000坪となった。五條天神社の右奥にあり稲荷らしく赤い鳥居が数十列並んでいる。(2403)
 
 
 
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「下原やえざくら通り」の「八重桜」を撮る!!

2024-04-17 08:59:24 | 桜・桜まつり
相模原市で「八重桜」の名所と言えばここ相模原下溝の中央部、道保川の西側に沿うように南北1Kmに渡って樹齢40年、約100本の「八重桜並木道」が続くことから「下原やえざくら通り」と呼ばれている。緩やかなカーブの道路であることから並木の全貌がよく見える。終焉を迎えた桜の女王「ソメイヨシノ」からバトンを受けて濃いピンクと白い大きな花房が特徴の「八重桜」が大トリを務める。既に6、7分近い咲きとなって見ごろを迎えている。剪定が行われたため昨年のよう地面に向かってしだれるような花房は残念ながらなくなってしまった。「八重桜」は「里桜」とか「牡丹桜」とも呼ばれるバラ科のサクラ属の落葉広葉樹。鈴なりの花は100枚近くはある。多い種は300枚をいっぱいつける八重桜もある。木々を見上げると大きな花房がこぼれそうなくらい咲きなんとも豪華である。(2404)
 
 
 
 
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「県立相模原公園」では「チューリップ」がカラフルに満開!!

2024-04-17 07:23:12 | 公園・庭園
相模原市下溝に平成4年開催の「第9回全国都市緑化かながわフェア」後、四季を通じて花や緑の発信地として市民の憩いの場として造られた「県立相模原公園」はある。クスノキゲート前にある「みんなの花壇」では扇状に植えつけられた色とりどりの「チューリップ」がターバンの様な独特の花姿、花房を披露中である。ある。が美しさを競うように咲き始めている。ピンククラウド、レースのフリルを纏ったような「ファンシーフリル」、「デイドリーム」、「プリンスクラウス」などに加え八重咲きやフリンジ咲き、枝咲きのチューリップが鮮やかに花壇を彩って「チューリップワールド」を創り上げている。(2404)
 
 
 
 
 




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