相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

熊本市の総鎮守「藤崎八旗宮」朱色の鮮やかな社殿

2024-04-07 15:42:20 | 神社
熊本市中央区井川淵町に旧社格は国幣小社、九州の石清水五所別宮の一社、熊本市の総鎮守として信仰を集める「藤崎八旛宮」(県内八幡信仰を代表する神社)は鎮座している。社名は「幡」ではなく「旛」と書くのは天文11年(1548)の後奈良天皇宸筆の勅額に基づくとのこと。創建は承平5年(935)。当社は平将門・藤原純友の乱の時、追討と九州鎮護との敕願により京都の「石清水寺八幡宮」を勧請して建立。伝承では鎮座の時、勅使が馬の鞭としていた石清水の藤の枝を地面に刺したところ、芽を吹き枝葉が生えたので「藤崎」を社名とした。「国府八幡宮」として国司や朝廷の崇敬を受け、鎌倉時代以降は歴代領主の崇敬を受け、江戸時代には熊本城の鎮守社とされた。主祭神は応神天皇、神功皇后・住吉三神を相殿に祀る。国道3号線通りにある大きい「一の鳥居」より5百メートルの参道が続く。「二の鳥居」を潜ると鮮やかな朱色で統一された「楼門」、その正面に華麗な「本殿」・「拝殿」、「申殿」、「神楽殿」、「能楽殿」がある。左右には「回廊」が設けられている。社格制度、時代変遷を経て今も肥後の人々の信仰を集めている神社で、秋には1070余年の歴史と伝統を誇る「秋季例大祭」が行われる。(2403)
 
 
 
  



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「種田山頭火」が出家得度した寺「徳輝山報恩寺」

2024-04-07 10:49:44 | 寺院
熊本市坪井町の電鉄藤崎宮駅~浄行寺交差点近くに川尻大慈寺の末寺の永正年間当地に移った曹洞宗寺院「徳輝山報恩禅寺」は鎮座している。中興の祖は大慈寺70世瑩谷株和尚、本尊はお釈迦様と一仏両祖「道元禅師/瑩山禅師」である。千体仏があることから「千躰佛報恩寺」の俗称がある。導師は第16聖望月義庵。当寺は熊本と大変深い縁のある放浪の俳人「種田山頭火(耕畝)」が大正14年(1925)この寺で出家得度した寺として知られており彼にとって熊本は第二の故郷的存在である。暫くして植木町の味取観音の堂守となる。「山門」より入山し境内に入ると、その名残か参道の右手には「種田山頭火(耕畝)」の句碑が建てられている。「けふも托鉢ここもかしこも花さかり」とある。正面に唐破風と千鳥破風の向拝がついた「本堂」がある。当寺の境内に「壺井」という地名の起源とされると呼ばれる井戸があり別名「雷封じの井戸」として伝承されている言われている。境内には坪井(壷井)の「壷型」の井戸があり、雷封じの井戸として。この寺で得度した俳人「種田山頭火の句碑」や明治34年(1901)没の熊本商業高校の外人教師マーフィー氏の記念像、豪潮の宝印塔などがある。(2403)
 
 
 
 
 


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「座間公園」では「ソメイヨシノ」と「カンヒザクラ」が見頃となって!!

2024-04-07 07:28:53 | 公園・庭園
座間市座間の住宅地と河岸段丘に「座間神社」「在日米軍キャンプ座間」に隣接するように造られた「座間公園」はある。金網一枚でキャンプの各施設が見える。行幸道路を「座間神社」近くにトンネルがあり坂道を上っていくと目的の公園で南北に細長く造られた「座間公園」はある。当園は「屋外プール」や「グラウンド」、「遊具施設」、「ペンチ」があり昼間は多くの家族連れで賑わう。公園の中心部に視界が開けた場所からは座間市内の住宅街や丹沢や大山山塊を眺めることができる。当園は「桜の名所」でこの季節が最も華やかで美しい。桜以外にも梅雨は「紫陽花」、夏はプール、秋は「紅葉」と四季の彩りを見せる。今、見頃を迎えようとしている「カンヒザクラ」の周りに植栽の30本以上の「ソメイヨシノ」が今、少しずつ咲き出し一年で最も華やいだ美しい季節を迎えようとしている。(2404)
 
 
 
 
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