さて、そんなもんだろうと思ったの第278回は、
タイトル:テレビの嘘を見破る
著者:今野勉
出版社:新潮新書
であります。
タイトルからして、いわゆる暴露本とか、裏話みたいな感じに聞こえるかもしれないけれど、そういうものではない。
いわゆるドキュメンタリー番組というものを作成したりするときについて回る問題についての話。
ドキュメンタリー番組、と言うといろんな種類のものがある。
けっこう私はこの手の番組が好きで、特に自然科学関係や民俗学に関わるようなものとかをよく見る。
けれどそういうものでも、よく見せるために作成する際にいろんな工夫をする。
たとえば、本書に載っているものでも、
○ 移動中の車(バス)からの景色は、番組中では往路になっているが、実は復路を撮影したものである。
○ 田舎(海外含む)で行われる伝統的な結婚式などのイベントは、住人総出で行った演技である。
○ カワセミが魚を捕獲する詳細なシーンは、作られた環境の中で行っている。
などなど。
こういったことが当然のように行われている映像業界の論理や、「やらせ」との境界線、視聴者との関係などを著者なりに問題を提起し、その答えを探っていくのが本書の中心的なテーマ。
う~ん……。
なんかいろいろと、あーだのこーだのとあって、わかりにくい、と言うのが正直な感想。
実際に問題になったドキュメンタリー番組とかをもとに、詳細な解説を加えたり、著者の考えを説明してはいるんだけど、文意が掴みにくいところが多々ある。
もともと文章を生業にしているひとではないのだろうから、しょうがないとは思うんだけど、すらすらっと読めて、頭に入ってくるものではないから、読みにくい。
いちいち「あれ?」と思って読み返す必要に迫られるのではダメだな。
とは言うものの、話そのものがぜんぜんわからない、と言うわけでもないし、「やらせ」だ何だと批判する新聞社などの文章業界、時間や予算、状況に応じてある程度の作為は許されるとする映像業界の論理などは興味深く読めた。
まぁ、個人的なことを言わせてもらえれば、結局「編集」という作業=作為が働いている時点で、ある程度「作る」という作業に目くじらを立てる必要はない、と思う。
ニュース番組だって、街頭インタビューとか流すけど、これも何人かインタビューして、放送できるものをピックアップしてるんだろうから、事実を報道する、と言うニュース番組でだって、そういう作為は働いているんだろうから、事実をありのまま伝えるものだとする文章業界の論理はどうかと思うけどね。
本書にもあるように、それが作為であったり、再現された演技であったとしても、その動物の生態や、文化に嘘がない=結婚式が住人総出の演技だとしても、実際の結婚式ではそういうふうにするのであれば、それは事実と言える、と言う映像業界の論理を支持したい気はする。
まぁ、虚偽だの捏造だのは、当然問題外ではあるけれど。
にしても、ちょっとこの手の本を読んだあとにドキュメンタリーなんかを見ると、下手にここはこうじゃないのか、なんて考えたりしてしまうようになってしまって、ただ見て楽しむ、と言うことが出来なくなったところがある。
そういう意味では、知らないほうがよかった、と言うのもひとつ思った。
タイトル:テレビの嘘を見破る
著者:今野勉
出版社:新潮新書
であります。
タイトルからして、いわゆる暴露本とか、裏話みたいな感じに聞こえるかもしれないけれど、そういうものではない。
いわゆるドキュメンタリー番組というものを作成したりするときについて回る問題についての話。
ドキュメンタリー番組、と言うといろんな種類のものがある。
けっこう私はこの手の番組が好きで、特に自然科学関係や民俗学に関わるようなものとかをよく見る。
けれどそういうものでも、よく見せるために作成する際にいろんな工夫をする。
たとえば、本書に載っているものでも、
○ 移動中の車(バス)からの景色は、番組中では往路になっているが、実は復路を撮影したものである。
○ 田舎(海外含む)で行われる伝統的な結婚式などのイベントは、住人総出で行った演技である。
○ カワセミが魚を捕獲する詳細なシーンは、作られた環境の中で行っている。
などなど。
こういったことが当然のように行われている映像業界の論理や、「やらせ」との境界線、視聴者との関係などを著者なりに問題を提起し、その答えを探っていくのが本書の中心的なテーマ。
う~ん……。
なんかいろいろと、あーだのこーだのとあって、わかりにくい、と言うのが正直な感想。
実際に問題になったドキュメンタリー番組とかをもとに、詳細な解説を加えたり、著者の考えを説明してはいるんだけど、文意が掴みにくいところが多々ある。
もともと文章を生業にしているひとではないのだろうから、しょうがないとは思うんだけど、すらすらっと読めて、頭に入ってくるものではないから、読みにくい。
いちいち「あれ?」と思って読み返す必要に迫られるのではダメだな。
とは言うものの、話そのものがぜんぜんわからない、と言うわけでもないし、「やらせ」だ何だと批判する新聞社などの文章業界、時間や予算、状況に応じてある程度の作為は許されるとする映像業界の論理などは興味深く読めた。
まぁ、個人的なことを言わせてもらえれば、結局「編集」という作業=作為が働いている時点で、ある程度「作る」という作業に目くじらを立てる必要はない、と思う。
ニュース番組だって、街頭インタビューとか流すけど、これも何人かインタビューして、放送できるものをピックアップしてるんだろうから、事実を報道する、と言うニュース番組でだって、そういう作為は働いているんだろうから、事実をありのまま伝えるものだとする文章業界の論理はどうかと思うけどね。
本書にもあるように、それが作為であったり、再現された演技であったとしても、その動物の生態や、文化に嘘がない=結婚式が住人総出の演技だとしても、実際の結婚式ではそういうふうにするのであれば、それは事実と言える、と言う映像業界の論理を支持したい気はする。
まぁ、虚偽だの捏造だのは、当然問題外ではあるけれど。
にしても、ちょっとこの手の本を読んだあとにドキュメンタリーなんかを見ると、下手にここはこうじゃないのか、なんて考えたりしてしまうようになってしまって、ただ見て楽しむ、と言うことが出来なくなったところがある。
そういう意味では、知らないほうがよかった、と言うのもひとつ思った。