さて、昨日の天使繋がりでの第577回は、
タイトル:中国の鳥人
著者:椎名誠
出版社:新潮文庫
であります。
指摘されつつもやっぱり短編集であります。
表題作以下、8編の短編が収録されている。
例によってそれぞれを。
「中国の鳥人」
煌玉という貴重な宝玉が産出されると言う報を受け、主人公の「私」は仲介兼案内の沈増元と言う中国人とともに、何日もかけて中国の奥地へと足を運んだ。
煌玉が出るという場所を知る少数民族の村に到着した私は、そこで羽根をつけて飛ぶ鳥人と言う存在を知る。数少ない交通手段が不通になり、村に滞在することを余儀なくされた私は、鳥人のように空を飛びたいと思うようになり、鳥人の先生に飛び方を教えてもらうことになり……。
ラストはぼちぼちいい感じだが、それ以外にはさしておもしろみを感じない。
主人公の私と沈さんの軽妙なやりとりはけっこうおもしろいのだが……。
「月下の騎馬清掃団」
突然、夜も10時を回っているにもかかわらず現れ、ある家族の家を徹底的に掃除していく奇妙な集団の話で、極めてふつうの反応を示す夫婦と、ただひたすらに掃除以外のことを拒絶する清掃団との対比が、奇妙にくすっと笑わせてくれる。
「思うがままの人生」
念じるだけで様々なことが思い通りになる男の語り口調で進む話で、途中何か治療をしているのだろうとわかる描写が出てくるが、ラストにけっこういい感じのオチをつけてくれている。
ただし、裏表紙に「妄想が産み出す」とあり、そのまんまやなと言う気がする。
「ちくわ」
句集や小説を書いて生業としている男が、過去におなじ業界紙で仕事をしていた島本治と居酒屋で飲んでいたが相手が先に帰宅。ひとりになった私が居酒屋で繰り広げる話。
けっこう卑猥で暴力的だが、主人公の作家である「私」が滑稽で楽しい。
「蚊無し川」
渓流釣りの仲間である金村と辰っつあんは、忙しい仕事を終えてよく足を運んでいる蚊無し川へと釣りへ出かけた。3泊4日の予定の渓流釣りは、1日目はよかったが翌日は雨に降られ、ようやく見つけた小屋に辿り着く。
前日の夜、蚊無し川の前の呼び名を聞いたふたりは生活感がありながらも誰もいない小屋の中で……。
あれこれと想像するのが楽しいラストがいい。
「たどん」
世間を憚るつきあいをしてきた女に別れを告げるために、その女の家へ向かうため、タクシーに乗り込んだ私は、話し好きらしい運転手の問いかけが面倒くさくて、サラリーマンなのに「たどん屋」だと答えてしまう。まったくの嘘だと言うのにタクシーの運転手は、証拠を見せてもらうと車を走らせる。
そう滅多に使わないが、タクシーの運転手とのやりとりの中から起きた奇妙でけっこう怖い話。
「鯨女」
深腸社が経営しているホテルに缶詰めにされている作家の妄想を描いた話で、その作家が何でもかんでも深腸社やライバル出版社の醜栄社の策略だと思い込む主人公の壊れ加減がけっこう笑える。
「スキヤキ」
戦争に行った夫が帰ってくる。その一報にあった「スキヤキが食べたい」と言う言葉をかなえるため、不明瞭だが喋る犬や烏、奇妙な隣人、知人との間をすり抜け、スキヤキの材料を買い求めて帰ってくるまでの妻の物語。
かなりシュールで、帰路であかされる隣人の姿などはけっこうぞくっと来る。
……と、以上8編。
総じて言えることは、私にしてはめずらしく、基本的にどの作品もけっこう笑える、と言うことか。
「笑いに満ちた」とかと言う裏表紙の文句はまったく信用できないくらい笑えないほうなのだが、くすっとしたり、にやりとさせられたりするとこがお多々あるのはおもしろい。
特に各キャラのやりとりなどは軽妙でおもしろいし、ひとや物の名前などのネーミングも妙味のひとつではないかと思う。
ただ、「月下の騎馬清掃団」について著者があとがきで「不条理小説」と書いてあり、「つじつまあわせや意味を持たせるとつまらなくなる」という言葉通りで、その妄想や不条理を楽しめない=構成や意味を求めたりすると、ほんとうにおもしろくないのではないかと思う。
そう言う意味では、感性派の人間にはオススメできる短編集だろう。
タイトル:中国の鳥人
著者:椎名誠
出版社:新潮文庫
であります。
指摘されつつもやっぱり短編集であります。
表題作以下、8編の短編が収録されている。
例によってそれぞれを。
「中国の鳥人」
煌玉という貴重な宝玉が産出されると言う報を受け、主人公の「私」は仲介兼案内の沈増元と言う中国人とともに、何日もかけて中国の奥地へと足を運んだ。
煌玉が出るという場所を知る少数民族の村に到着した私は、そこで羽根をつけて飛ぶ鳥人と言う存在を知る。数少ない交通手段が不通になり、村に滞在することを余儀なくされた私は、鳥人のように空を飛びたいと思うようになり、鳥人の先生に飛び方を教えてもらうことになり……。
ラストはぼちぼちいい感じだが、それ以外にはさしておもしろみを感じない。
主人公の私と沈さんの軽妙なやりとりはけっこうおもしろいのだが……。
「月下の騎馬清掃団」
突然、夜も10時を回っているにもかかわらず現れ、ある家族の家を徹底的に掃除していく奇妙な集団の話で、極めてふつうの反応を示す夫婦と、ただひたすらに掃除以外のことを拒絶する清掃団との対比が、奇妙にくすっと笑わせてくれる。
「思うがままの人生」
念じるだけで様々なことが思い通りになる男の語り口調で進む話で、途中何か治療をしているのだろうとわかる描写が出てくるが、ラストにけっこういい感じのオチをつけてくれている。
ただし、裏表紙に「妄想が産み出す」とあり、そのまんまやなと言う気がする。
「ちくわ」
句集や小説を書いて生業としている男が、過去におなじ業界紙で仕事をしていた島本治と居酒屋で飲んでいたが相手が先に帰宅。ひとりになった私が居酒屋で繰り広げる話。
けっこう卑猥で暴力的だが、主人公の作家である「私」が滑稽で楽しい。
「蚊無し川」
渓流釣りの仲間である金村と辰っつあんは、忙しい仕事を終えてよく足を運んでいる蚊無し川へと釣りへ出かけた。3泊4日の予定の渓流釣りは、1日目はよかったが翌日は雨に降られ、ようやく見つけた小屋に辿り着く。
前日の夜、蚊無し川の前の呼び名を聞いたふたりは生活感がありながらも誰もいない小屋の中で……。
あれこれと想像するのが楽しいラストがいい。
「たどん」
世間を憚るつきあいをしてきた女に別れを告げるために、その女の家へ向かうため、タクシーに乗り込んだ私は、話し好きらしい運転手の問いかけが面倒くさくて、サラリーマンなのに「たどん屋」だと答えてしまう。まったくの嘘だと言うのにタクシーの運転手は、証拠を見せてもらうと車を走らせる。
そう滅多に使わないが、タクシーの運転手とのやりとりの中から起きた奇妙でけっこう怖い話。
「鯨女」
深腸社が経営しているホテルに缶詰めにされている作家の妄想を描いた話で、その作家が何でもかんでも深腸社やライバル出版社の醜栄社の策略だと思い込む主人公の壊れ加減がけっこう笑える。
「スキヤキ」
戦争に行った夫が帰ってくる。その一報にあった「スキヤキが食べたい」と言う言葉をかなえるため、不明瞭だが喋る犬や烏、奇妙な隣人、知人との間をすり抜け、スキヤキの材料を買い求めて帰ってくるまでの妻の物語。
かなりシュールで、帰路であかされる隣人の姿などはけっこうぞくっと来る。
……と、以上8編。
総じて言えることは、私にしてはめずらしく、基本的にどの作品もけっこう笑える、と言うことか。
「笑いに満ちた」とかと言う裏表紙の文句はまったく信用できないくらい笑えないほうなのだが、くすっとしたり、にやりとさせられたりするとこがお多々あるのはおもしろい。
特に各キャラのやりとりなどは軽妙でおもしろいし、ひとや物の名前などのネーミングも妙味のひとつではないかと思う。
ただ、「月下の騎馬清掃団」について著者があとがきで「不条理小説」と書いてあり、「つじつまあわせや意味を持たせるとつまらなくなる」という言葉通りで、その妄想や不条理を楽しめない=構成や意味を求めたりすると、ほんとうにおもしろくないのではないかと思う。
そう言う意味では、感性派の人間にはオススメできる短編集だろう。