ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

白井田はお椀型の漁村集落 (上関町)

2019年01月23日 | 山口県上関・平生・田布施町

           
        この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものである。(承認番号 平30情複 第467号)

         白井田は長島の中央部西側に位置し、1960(昭和35)年には1,384人が居住してい
        たが、現在は138世帯206人が暮らす静かな漁村集落である。

           
         町営バスの白井田バス停。便数が少なく約2時間30分の滞在時間である。

           
           
         平坦地に建てられた家は、山手側に比較すると敷地は広い。

           
         狭い居住空間にあって塀を持つ家もある。

           
         共同井戸を点々と見ることができる。

               
                海から山手に通じる右手の路地に商店。

           
         小村商店さんの先にも共同井戸。

           
         練塀を利用した建物は傷みが激しい。

           
         2つの通りをつなぐ路地。

           
         海から山手へ延びる左側の通り。

           
         消火器ボックス等が点々と設置されている。

           
         狭い空間に畑地があるが、どうも宅地跡のようだ。

           
         最上部に上がると旧白井田小学校の門柱と石段。

           
         肩を寄せ合うように家が並び、海上には光市牛島(うしま)が見える。

           
         1874(明治7)年11月に白井田小学として開校し、竈関小学白井田分校など校名の
        変遷を重ねる。1947年(昭和22)年には上関村立白井田小学校となるが、1959(昭和
        34)年を境に児童数の減少が続き、2006(平成18)年に廃校となる。

           
         休校してから25年の歳月が流れ、校舎全体が崩壊の途にある。
       
           
         玄関の上には校章が残されている。

           
         お椀の一部を欠いたような地形にあって、最上部の民家は車道への道が設けられている。

           
         通りを下ると崩壊が進む民家もある。この先もこのような民家が増えるのであろうか。

           
         海岸通りに出ると練塀が見られる。

           
         2軒の食料品店は必要不可欠な存在で、品揃えも集落の生活にマッチしている。

           
           
         白井田八幡宮の社伝によると、平安期の918(延喜18)年に石清水八幡宮より勧請して
        創建されたとある。

           
         太平洋戦争末期の1945(昭和20)年7月、特攻兵器回天の搭乗員・和田稔少尉が光基
        地から発進するが行方不明となり、同年9月の枕崎台風により白井田の高瀬岩礁に漂着す
        る。
         2006(平成18)年に原作・横山秀夫の「出口のない海」が映画化されて知られること
        になる。

       
        漁港から見上げると劇場の舞台にいるような地形である。

           
        蛸壷が並ぶ先に上盛山。

        バスで室津まで戻り、路線バスに乗り換えてJR柳井駅に戻る。


この記事についてブログを書く
« 四代は長島の片隅にひっそり... | トップ | 室津は半島の先端にあって史... »