この地図は、国土地理院の承認を得て、2万5千分の1地形図を複製加工したものである。
四代(しだい)は長島の南に位置する漁村集落で、上関大橋から約12㎞の距離にある。現
在は65世帯、103人が暮らしている。(歩行約1㎞)
ドッキンとする看板「上関町に来ないで!」の排他的な文字が異様に目立つ。
長島内の集落は3方が山に囲まれ、大きく開けた面が海に接している。ここ四代も県道
を挟んで海側が漁港、山手が居住地になっている。
亀の甲羅模様のように路地が繋がっている。
高台に四代小学校跡がある。1912(大正元)年から1965(昭和40)年代までは、児童
数が100人を超えていたが、その後は減少に転じ、1983(昭和58)年頃には15名ほ
どまでに落ち込む。
1874(明治7)年に第五大区四代小学として開校したが、2004(平成16)年3月に学
校の歴史を閉じる。
校舎は解体されて一部は墓地として使用されている。
学校は集落や海が一望できる位置にあった。
通学路だったと思われる道。
1960(昭和30)年代には830人近い人々が暮らしていた。
過去の共同井戸は水道の普及で役目を終えている。
集落は棚田のように石組みされた上に軒を連ねている。
集落内の道幅はほとんど同じである。
いろんな石が用いられている。
集落の横に繋ぐ道。
「金河」と彫られた共同井戸。
ひと際目立つ建物は中電が使用。
神社境内からも展望はよい。
高台にある四代八幡宮は、原発立地関連で宮司が神社本庁から解任されたと新聞紙面を
賑わしたことがある。
メインロードにあるのは恵比寿さんだろうか。
漁港から見る四代は、学校と漁船が少なくなった以外に変貌していないようだ。