この地図は、国土地理院の2万5千1地形図を複製・加工したものである。
椋野(むくの)は屋代島の西部に位置し、南に文珠山を仰ぎ、北は海に面し、北東海上に前
島を臨む。域内は傾斜地で平地は少なく、小さい湾に沿って立地する。
地名の由来を地下(じげ)上申は、芸州浪人・椋野兵部が開発したとするが、「ふるさと椋
野」では田畑の境界に植えられた椋の木にちなむとする。(歩行約4㎞)
JR大畠駅から防長バス久賀経由の町立橘病院行き23分、東椋野バス停で下車。
椋野小学校は、1873(明治6)年林霊俊宅を仮校舎として創立したが、時代の流れの中
で児童数の減少により、2011(平成23)年久賀小学校との統合により閉校となる。
大島八十八ヶ所の札所と思ったが、表札は「周南八十八ヶ所第47番奥の院」とあり。
大島の47番は椋野の天浄寺とのこと。
銭壺山を仰ぎながら海岸部へ向かう。
東側の漁港には久賀漁協の漁具保全倉庫が完備されている。
これも防波堤だったのだろうか。
海側から見る椋野の地形。
重富家横から路地裏歩き。
塀と門を持つ家は無住のようだ。
スリップ防止用模様と中央に周防大島町の町章、六角模様が6つあり、その1つに「お」
があるマンホール蓋。
整然とした路地だが見るべきものはない。
椋野神社の創建年月は不詳とのこと。1907(明治40)年椋野木屋の八幡宮を合祀する。
この先、集落内に路地がないため国道歩き。
国道筋の大きな家も空家。
椋野漁港は泊地の水深が浅く、漁船の大型化に対応できないうえ、背後の用地が不足し
ていることから漁業の効率化が悪い状況にあった。
1994(平成6)年より漁港修築事業が行われて新漁港が建設されたが、ここではレジャ
ーボートが多くを占める。
右手の道に入ってみるが、人家は更新されて見るべきものなく、イチョウの木が目立つ
程度だった。
海岸線に出ると湾の特性によるものか、消波ブロックは設置されず砂浜が保全されてい
た。西椋野バス停よりJR大畠駅に戻る。