1月26・27日
いわき市生涯学習プラザ・フェステイバルから、
生け花がよかった!!
1月18日
いわき市文化センターにて
いわき市自分史の会の
学習例会150回達成記念講演会として、
未来へ向かって記録する
・・・・吉田隆治先生(いわき地域学會代表幹事)
が講演され参加しました。
100名強の参加者で熱気あふれる講演会になりました。
まとめるかどうか迷いましたが、
吉田先生が話されたことを
書いたほうがいいかと思い
話されたことと、書いた文字が間違っている所もあるかと思いますが
ご容赦ください。
吉田先生はジャナリスト・詩人でもあります。
書くことと生きること:幸せである。
書くことを通して自分を振り返ってみるのもいいのではないかと。
書くこと:現在を記録する・・・・未来のヒントとして記録するのだと。
だから、心を込めて、正確に書くことが大事と(そのための修練も大事)
以下レジメに沿って
1)常葉町で育つ・・・昭和31年4月17日、大火で家を全焼。かやぶきの家が焼けた。
7歳5か月(小学2年生)・・・床屋さんを開業していた。
①火の粉が西から東へ
町の3分の2が焼けた大火事・・・町が灰に。
その火事の時に写真を撮られた・・・産経新聞に載った(4月19日朝刊)
「思っていることと言ったことが違っていた」ことが新聞に載っていたことを体験。
新聞記者は事実を書いたが・・・・・
=正直ではなかった意識が今まで続いていると。
この体験がマスメディアとの出会い→複雑な出会いを体験。
②小学校高学年・・・4・5・6年時代、新聞を書物代わりに読んだ。(福島民報か?)
中学時代・・・・・新聞配達を3年間やった。作文を書くのが好きだった。
中学2年→特派員になり新聞記者になるのが夢に・・・・・
今、「いわき」特派員のつもりで「ブログ」を書いていると。
③高専5年へ入学・・・国立なので安く学べると。
昭和37年出来た・・・当時は東北に1つ。先生は3回生。
入学して理系で失敗と悟る→文学児へ目覚める(友達もできる)
→東京へ詩を書くため出ようと。
吉田先生の今に影響を与えた国語の教師に出会う
国語を正しく書く方法・・・「正書法」を17歳で学ぶ。
助詞 : に (課長になる)状況を表す言葉
へ (東京へ行く)運動を表す言葉=移動
→受験勉強でない授業のすごさを学ぶ→文学青年であることを自覚する。
3年半東京にいました・・・当時の東京は全共闘時代。
2年受験に失敗・フランス語学校・ビル工事のアルバイト=高層ビル等様々なことを学ぶ。
現代詩手帳に4回投稿が載った・・・自信がつく。
東京:文化的にはいいが自然がない→それがいい時もある
→田舎に戻りたい→平へJターン(昭和46年3月平へ戻る)→いわき民報社へ入社。
2)どんな仕事についても「詩を書くこと」を続けたいと。
①「詩を書くこと」を生き方の中心に・・・宮沢賢治などを通して。
自分で書いた新聞原稿を先輩に直される。
自分だけの文章を書く→読者に伝わらない文章はだめだと。
新聞の文章とは→内閣で告示した言葉で書く。
(活かる→分かるに直される)・・・ルールがある(元が内閣告示に)
→記者ハンドブック=自分をおいて伝える文章を学ぶ(基本を学ぶこと)=仕事で。
ここから新聞記者とは:足で稼ぐのだと。
②市役所職員・・・一人一人を見る(法律の本・行政の本等・・・勉強が必要と気づく)
→「いわき」を知らないとだめだと気付く=真面に向き合うことが必要だと。
勉強と同時にいわきの自然と歴史を知ることが大事と気づいた。
→フィールドワーク(石森山)を散策)
・・・なんという鳥・なんという花など個別に観察する習慣を
→鳥・花・キノコ等(図鑑を開いて夜、勉強)
→自然丸ごとを見ることの大切さを学んだ
(これが素人のよさでもあると気づいた。)
昭和40年~50年代・・・哲学を学ぶ。
いわきでも公害が問題→対策→収束→地球規模で大気汚染が問題に
36歳の時」内山節を知った。(28歳くらい)
山里を理論家する哲学者。・・・山に分け入って・・・守れる程度に」利用する
→1次産業を育てることに共感。
③昭和59年、いわき地域学會に入る・・・「人・知識・自然」を学ぶ。
学術的なものを学ぶ→「いわきの正しい記録」をし21世紀に残す作業を。
いわき地域学會といわき民報の連携
↓
いろいろなテキストを作りたいと(記録等)
年間で企画→本にした(コラボレーションへと進む)
学術を踏まえた本は古くならない・・・・・いわきを読み解くテキストになる
④今までの書き方を変えてきた時代(報道から内勤へ)
書くのに「工夫」がいるようになった。
すなわち書き方が変わった。
「片隅」=コラム から時代を見る方向へ。
新聞社では書く:手を挙げたほうが勝ちという原則がある。
新聞とは6~7割記者会見の記事を占めている。(記者は正確に言ったことを書く)
誰が吟味するのが問題なのだが・・・・
そう。
正確に書くことと、言っているのが正しいのは別物なのです。
権力批判は全国紙の役割。
地元紙役割とは:「いわきがどうやればよくなるか」に努力してきた。
→市民・行政と「協同」して街づくりをする「広場」ではないかと模索。
3)どう書くかが問題・・・書くには技術がいる。
伝達と表現・・・詩を書くことは脇に置いた。
ニュース・・・難しいことは×。分かってもらうことが大。
記者ハンドバック(共同通信社)が作った)に学んで
書いていく方向へ意識を変えていった。
記者ハンドバックとは:
ニュースの文章はやさしくわかりやすく、
できるだけ統一した用字用語の基準に基づいて書くことが
求めらるのでその指針を示したものです。
報道以外でも表記の基準として幅広い分野で活用できるものです。
その中での吉田先生の体験的文章術について
☆名文より明文
☆文章は短く
☆独点は息継ぎを基本に
☆同音異義に注意
☆音読み言葉より」訓読み言葉を
☆修飾語はいらない
☆自分の文章を」口に出してみる・・・リズム感がわかる
☆切り抜き・・・テーマ別にA4に貼っていく
などが大事ではないかと。
最後に
鮎川信夫(詩人)の言葉として
「正確に 心を込めて 書く」と。
そして
今を書くことが未来につながるのではないかと思い
ブログを書いていると結ばれました。
時間が足りなく
もっと聞きたかったのですが残念。
吉田先生の文章を書くようになりました動機から(幼児期の体験)
前半の悩める青春時代のお話
後半のジャーナリストとしての生き方
および文章の書き方のお話。
ありがとうございました。