いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

いわき戊辰戦争の野戦病院(奥羽出張病院)の関寛斎たち・・・その後のいわきの医療を担った!!

2018-09-21 06:19:49 | いわきの歴史

いわき戊辰戦争の野戦病院(奥羽出張病院)の関寛斎たちの写真です。
その後のいわきの西洋医学の基礎を築きました。
近代医療はいわきから始まったといわれます。
先日の講演会で松村先生も
逆説的に戦争が医療を発達させてきたと言われていましたが。


磐前懸病院の医師たちです。
明治5年9月に設立されました。


奥羽出張病院から磐前懸病院へ。
いわきの近代医学の流れが書かれていました。


人体骨格図(磐前懸病院にあった図を模したもの)


医療用具の一部です。
いわき市指定有形文化財です。

いわきの戊辰戦争当時
政府軍の野戦病院が、平の性願寺にあった
奥羽出張病院で近代医療を施しました。
市民・敵だった平藩たちも診たようです。
お手伝いした、漢方医たちから
西洋医学への流れが始まり
いわきの近代西洋医学が始まったと言われます。

その院長が
関寛斎でした。
その後の人生は
栄華を求めず数奇な人生を送りました。

以前に
いわき地域学会市民講座では
何回か
その後の関寛斎の人生も語られました。

いわき総合図書館には
日記等の資料があり読むことができます。

日めくりカレンダーから
☆それが・・・
 学校へ
行ってみないと
 わからんのだよな
   岐阜県 パートの方

息子さんが小学生の三者面談で
「忘れ物が多い」と。
翌朝、「忘れ物ない?」と聞いた時の
一言でした。


 

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