小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

安倍総理命名の「国難突破解散」の真意とは…。消費税増税分の使途変更は、国難と言えるほどの問題か。

2017-09-26 11:35:01 | Weblog
25日午後6時、安倍総理が記者会見を行い、衆議院の解散・総選挙を発表した。そのこと自体は、前々から想定されていた既定路線であり、この記者会見は確認のための儀式に過ぎなかった。安倍総理は解散の大義として「消費税増税分の使途変更」と「北朝鮮対策」を掲げ、「国難突破解散」と命名した。安倍総理の「専権事項」とされた今回の解散の真意を問う。

① まず衆議院の解散は、はたして「総理の専権事項」なのか。実は今回初めてさまざまなメディアが、この問題に疑問を突き付けた。安倍政権を言論界で支えてきた読売新聞ですら、9月21日、ほぼ丸々1ページを割いて疑問を突き付けたくらいだ。
憲法上、解散に直接触れているのは69条である。69条は、衆議院で内閣不信任案が可決されるか、新任の決議案が否決された場合、内閣は衆議院を解散できるとしている。このケースで行われた直近の解散は、宮沢内閣に対する不信任案が可決された時である。
しかし、こうしたケース以外に「総理の専権事項」という解釈のもとに、政権にとって都合がいい時に首相が解散を宣言することが、これまで慣例化してきた。そうした恣意的解散を可能にしてきたのが憲法7条の「天皇の国事」に当たる条文である。すなわち、天皇は内閣の助言と承認により、国民のために衆議院を解散するという条文である。
いずれの場合も、首相の権利を定めた条文ではなく、内閣の権利を定めた条文である。いつの間にか内閣の権利が「首相の専権事項」にすり替えられてきた。そのことへの疑問はどのメディアもまだ提起していない。
言うまでもないことだが、内閣(政府)は行政府のトップである。内閣を構成する大臣・長官の指揮下で行政実務を行うのが各省庁である。内閣府は内閣の事務方を担当する省庁だが、各省庁の人事権を握るようになってから(「政治主導」の名目による)、内閣府のトップである官房長官が巨大な権限を持つようになった。
一方国会は立法府である。議員立法という機会も保証されているが、大半は各省庁が立案作成した法案を内閣が閣議決定し、担当の各委員会(安保法制の場合は予算委員会、「共謀法」の場合は法務委員会)で審議し、委員会での採択を経て国会本会議に上程される。「解散」という内閣に与えられた権利を、閣議にかけずに首相が独断で行使できる権利は、憲法のどの条文にも記載されていない。
しかも、日本がお手本としたイギリスの議会内閣制だが、本家のイギリスは首相の恣意的解散が出来ないように法改正しているし、同様に議会内閣制をとっているドイツもイギリスと同様、首相の解散権を制限している。あまりにも露骨な今回の安倍総理の「専権事項」行使には、NHKを除くメディアが一斉に疑問を呈しており、むしろ「総理の解散権」を争点にして有権者の判断を仰ぐべきだろう。

② 「大義なき解散」はありうるのか。前回のブログでも書いたように、仮に首 相の「専権事項」という従来解釈を認めたとしても、「大義」のない解散は、さすがにありえない。大義とは、選挙における「争点」のことである。逆に言えば「選挙の争点になりえない大義」も成立しないことになる。
14年の解散のとき、安倍総理は当初「消費税増税の延期」を大義として解散に打って出るつもりだったが、野党の民主党が争う姿勢を見せなかったため、急きょ「アベノミクスの継続について国民に信を問う」と、「大義」を変えた。しかし、この時点ではアベノミクスへの批判は全くと言っていいほど表面化していなかった。安倍政権が「ひとり相撲」をとった選挙となり、有権者とりわけ無党派層は「選択肢のない選挙」にしらけきり、投票率は戦後最低を記録、固い選挙基盤を持つ与党は「たなぼた」的に3分の2以上の議席をもぎ取った。
その結果、安倍総理は選挙の争点に敢えてしなかった「安保法制」を突然閣議決定し、予算委員会での強行採決を経て国会で成立させた。あからさまな「争点隠し」であった。
この選挙からメディアが得なければならない教訓は、まず「大義なき解散」はあり得ないが、「大義」は野党や世論の反応によって都合よく変えられるということが一つ。もう一つは、解散時の「大義」は解散のための口実にすぎず、真の解散目的はしばしば隠され、選挙で勝ったとき「国民の信任を得た」と称して本来の目的を国会の多数勢力による強行採決で成立させるのが、政権政党の常套手段だということである。
つまり、政権政党にとって有利と総理が判断した時に、有利な選挙戦を行うために行使する権利が「解散権」であり、はっきり言えば「大義」などどうでもいいのだ。要するに「解散ありき」なのだ。その前例を考慮せずに政権交代を前提に行った唯一のケースが、民主党・野田総理の「敵前逃亡」解散だった。

③ こうした理解に踏まえて今回の解散劇を検証してみよう。当初、安倍総理は解散の大義について、消費税増税分を幼児や低所得者の子供への教育支援など、従来高齢者偏重だった社会福祉の対象を若い人たちに振り向けるということを考えていた。が、このアイディアはすでに民進党の前原氏が代表選で主張していたアイディアだったことがわかり、急きょ「アベノミクスの信を問う」と大義を変更しようとしたが、アベノミクスが5年経っても効果をあらわしていないことから自民党内部からも批判が噴出する事態を招いており、選挙戦術としては採用できないという判断に至ったようだ。
その結果、急きょ大義を本来なら禁じ手の「憲法改正の是非」に振り替えることに、いったんはした。
実はこの大義が安倍総理にとっては「隠し本命」だった。「安保法制」の成立によって集団的自衛権行使の容認を強行成立させたものの、まだ憲法上の縛りは厳しく、法の運用についてより広範囲な運用を可能にするよう、憲法9条を変更するため自民党憲法調査会で改正案を早急にまとめるよう総理は指示していた。が、6月から7月にかけてモリカケ疑惑や稲田防衛相(当時)の混乱答弁問題などで内閣支持率が急落した結果、いったん「安倍一強体制」が崩壊し、2020年と期限を切って憲法を「改正」する意欲を見せていた安倍総理だが、「時期にこだわらない」と自らの手による改憲断念に追い込まれた。
が、危機的状況にあった安倍総理に、思いもよらぬ「たなぼた」的プレゼントが舞い込んだ。前回のブログでも書いたように、北朝鮮とアメリカの「挑発ごっこ」である。この事態に飛びついたのが安倍総理。北朝鮮の「脅威」をあおりたて、襟裳岬の上空をかすめた程度のミサイルに対して北海道から東日本一帯に至るまでJアラートを発信し、さらに対北朝鮮で米トランプ大統領との一体感をことさらに強調、「あらゆる手段(当然軍事行動を含む)がテーブルの上にある」と北朝鮮を恫喝したトランプ氏を全面支持して北朝鮮との対決姿勢を鮮明にした。この「安倍作戦」に一斉に協力したのがNHKをはじめとする日本の全メディア。明日にでも日本に北朝鮮のミサイルが飛んでくるかのような報道に終始した。これほどすべてのメディアが一斉に同じ方向を向いた報道をしたのは、戦時中の大本営による検閲下にあった時代をすら彷彿させるほどだった。
その結果、9月にはいって内閣支持率が急回復、NHKをはじめ世論調査で再び安倍内閣の支持率が不支持率を逆転するという状態になった。安倍総理が急きょ解散に踏み切ることにしたのは、その結果である。安倍総理が自民党憲法調査会で、憲法9条「改正」案を早々にまとめるよう指示したにもかかわらず、いまだ1,2項を残して3項追加というごまかし改正派(安倍総理など)と、2項の全面書き直しを主張する正統派(石破氏など)との対立は解消されず、内閣支持率の急回復を好機として、選挙で改憲勢力が3分の2以上の議席を確保できれば、「安倍一強」体制が復活し、党内改憲正統派を抑え込んで次期国会で一気に3項追加の改憲発議に持ち込めるという計算のもとに行ったのが、今回の解散の真相である。
が、あまりにもあからさまな「改憲解散」には党内安倍派からも慎重論が続出し、自民党の党是である改憲を大義にした解散はリスクが大きすぎるという判断に傾き、いったん消えた「消費税増税分の使途について国民に信を問う」という名目に「解散の大義」を戻したというわけである。
が、消費税増税は2019年10月である。時期を早めて来年4月に前倒ししての上で、増税分の使途について国民に信を問うというなら、現時点での解散もありだが、そういう話ではない。だとすれば、2年も先の増税の使い道について、なぜ今有権者は判断を迫られなければならないのか。そもそも国会での議論すらまだ全くなされていない。そのうえ教育資金に、という案はすでに前原・民進党代表が主張しており、パクリという批判もある。いま解散して総選挙の争点にしようという姑息な手段が通用するだろうか。
④最後に憲法9条の意味について考察する。憲法9条は日本国憲法の平和主義の象徴をなす条文だが、自衛隊は2項の中の「戦力の不保持」に違反するのではないかという議論が繰り返されてきたため、もっと大きな縛りである「交戦権の否認」がいささか無視あるいは軽んじられてきたきらいがある。
これまで自民党は自衛隊について「憲法で言う戦力には当たらない実力」という意味不明な位置づけで自衛隊合憲論を展開してきた。が、憲法学者の多く(安倍総理によれば7割ほど。実際には大半だという説が有力)は違憲説を主張している。また国際的にみても、自衛隊は「戦力ではない」「軍隊ではない」と理解している国は皆無である。同盟国のアメリカですら、自衛隊の軍事力に有事の際の協力を期待しているくらいなのだから。
実際に自民党政権を縛ってきたのは「戦力の不保持」ではなく、「交戦権の否認」のほうである。たとえば湾岸戦争の発端となったフセイン・イラクがクウェートに侵攻した時、民間人を含む日本人141人がイラク政府によって人質になった。テロリストによる誘拐や人質はしばしば行われているが、他国の国家権力による無差別拘束という事態は、第二次世界大戦以降、初めてであった。この時、自衛隊は「交戦権否認」という憲法の縛りによって人質救出活動もできず、湾岸戦争にも参加できなかった。
憲法9条の最大の柱は、この「交戦権の否認」にある。再び湾岸戦争のような事態が生じた時、やはり自衛隊は手をこまねいているべきか否かは、正直私にも答えがない。ただ交戦権を行使できない中で、日本の国土と日本人の安全を守る唯一の道は、自衛隊を戦争集団ではなく国際災害救援隊に改組して、北朝鮮や中国のような体制の異なる国でも、自然災害による大きな被害が生じた国にいち早く駆けつけて、救援救難活動を行うようにしたら、そういう日本を攻撃しようという国はあるだろうか。
また、先の大戦以降、イラクのクウェート侵攻を除いて他国への侵略戦争を行ったケースは皆無だという歴史的事実も重要である。もはや先の大戦のような侵略戦争は事実上不可能な時代に、世界の歴史は入ったと考えるべきである。
もちろん、戦火が途絶えたことは、先の大戦以降もない。が、その戦火は国内における政権を巡っての衝突であり、朝鮮戦争にしてもベトナム戦争にしても、あるいはハンガリーやポーランド、チェコスロヴァキアのケースにしても、「集団的自衛権の行使」を口実にしたアメリカや旧ソ連の軍事介入によるもので、他国を植民地化しようという侵略戦争などではない。日本が侵略戦争のターゲットになる可能性は天文学的な確率で低く、むしろ集団的自衛権の容認によってアメリカの戦争に加担せざるを得なくなるリスクのほうがはるかに高いと言わざるを得ない。
集団的自衛権行使容認について、安倍総理が従来の内閣法制局の見解「密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃されたとみなして、その国を防衛する権利は、日本も国連憲章によって保有しているが、憲法の制約によって行使できない」としてきたのを変更し、「日本の存立基盤が危うくなる」などの緊急事態が生じたときは集団的自衛権を行使できると、憲法9条の最後の砦だった「交戦権の否認」という縛りも無くしてしまったのが安保法制だった。つまり憲法9条の最大の意図である「戦争が出来ない国」から「戦争が出来る国」へと大きく「国の在り方」のかじを切ったのが安保法制だった。だから北朝鮮がグアム周辺の海域にミサイルを発射する計画をアドバルーンとして打ち上げた時、小野寺防衛相は「グアムの米軍基地が攻撃されたら日本の抑止力が低下する恐れがあり、存立危機事態に相当する可能性がある」と、早々と集団的自衛権による「交戦権」の行使可能性について言及したのである。安倍総理が解散の「大義」の二番目として挙げた「北朝鮮対策」は、「交戦権の行使」を憲法上明文化することが目的であることを、有権者は明確に認識しておかなければならない。そうでなければ、いみじくも安倍総理が命名した「国難突破解散」の意味が理解できない。