小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

総選挙を考える⑦ 安倍さんが次の世代に回そうとしているツケにストップを。

2014-12-11 05:52:07 | Weblog
 このブログ記事が「総選挙を考える」シリーズの最後になる。
 私のブログが一般国民から多く読まれているとは到底考えられない。だから選挙結果に、ほんのちょっとの影響を及ぼすこともあり得ない。が、このシリーズを始める前の11月18日に投稿したブログ『朝日新聞社が12月5日に新体制に移行する。④ 総選挙の争点は明らかになったが…。』で書いたことが、ずばり当たりそうだ。私はその日のブログでこう書いた。

 今日安倍総理が解散を宣言するようだ。「早まった」と後悔しているかもしれないが、ここまで来た解散風を止めることは総理にも出来まい。「争点なき選挙」と言われてきた12月総選挙だが(※このブログを書いた時点では解散日も公示日も投票日も分かっていなかった。メディアは予測アドバルーンをあげてはいたが)、アベノミクスの総括が最大の争点になることは必至だ。野党間の立候補調整がうまくいけば大逆転もありうるが、野党が勝利しても所詮野合政権の再登場になるだけだ。アメリカと同様、何も決められない政治になることは必至だ。「争点は生じたが、選択肢がなくなった総選挙」と私は定義する。

 実際、当初は消費税増税時期延期を選挙の争点にしたかった安倍総理としては、解散の大義を「消費税増税について国民に信を問う」と、小泉総理が行った「郵政解散」のような選挙に持ち込みたかったのだが、国民も野党もメディアも、安倍総理の思惑に乗ってこなかった。が、安倍総理が海外から永田町に吹き込み続けた解散風は、もう安倍総理にも止められないところまで来てしまった。解散の大義をどうするか。私がこのブログで書いた時点では「アベノミクスの総括」が選挙の争点になるとは、メディアも政治評論家も政治学者も考えていなかったはずだ。もしあったとしたら、私のブログより前に、そう予測したことを、根拠を明らかにして「コメント」していただきたい。
 小泉総理の「郵政解散」とはなんだったのか。衆議院では可決した郵政民営化が、参議院では否決された。これを問答無用で可決に持ち込むためには、衆議院で支持勢力を3分の2以上に増やすことが絶対条件になる(絶対必要条件ではない)。そして小泉作戦は見事に成功した。小泉総裁は衆院の党内反対勢力をすべて除名処分にしたうえで、有力な反対派議員の選挙区には強力な対立候補を立てる作戦に出た。この対抗馬は「落下傘部隊」と呼ばれた。
 落下傘部隊の立候補者たちは、ほとんどすべての選挙区で反対派議員を破り、「小泉劇場」と呼ばれるほどの歴史的大勝利を収めた。勝利した議員たちは「小泉チルドレン」と呼ばれるほどになった。参議院の反対派議員たちは、旗を下ろさざるを得なかった。再び投票で反対票を投じたら、自民党を除名されることが必至だったからだ。
 私自身は、郵政民営化については中途半端だったと考えているが、そのことはすでにブログで書いたので繰り返さない。が、安倍総理は解散宣言をする前、「消費税増税は国民生活に直結する。民主党政権の失敗は、民主党が政権をとった時の総選挙で消費税増税をマニフェストでうたわずに増税しようとしたことだ」と、解散の大義を必死に訴えようとしていた。野党もメディアも、私のこのブログを読んで「あっ、そうだったっけ」と今ごろ思い出しても遅い。74歳の私はすでに認知症予備軍に入っている。いや、認知症の早期に差し掛かっている。人の名前は覚えられない、顔もすぐに忘れてしまう。酒を飲んで話したことなど、翌朝にはケロッと忘れている。その私以上に健忘症にかかっているのが、野党でありメディアだと言わなければならない。
 誰も消費税増税時期について国論が二分される状態になっているなどとは思っていない。一部の専門家は消費税を法定どおり実施しなければ国家財政が持たないと主張してはいるが、世論の支持を得ているわけではない。どの政党もメディアも、法定どおり実施すべきだなどとは主張していない(朝日新聞は一時そういう主張をしていたが、「大学講師」なる人物の投稿を10日も経ってから「声」欄に掲載して、主張をなし崩し的に変えだしたが)。「消費税解散」は不可能になった。だから私は消去法で「アベノミクスの総括」解散であり、「選択肢のない選挙」になると断定した。
 本来国民に信を問うべきだとしたら「憲法解釈の変更によって集団的自衛権を行使してもいいか」ではなかったのか。そもそも前回の選挙で安倍総理は国の方向性を左右する集団的自衛権の行使を、先の総選挙のマニフェストで公にしていたか。野合政党の民主党政権が勝手にこけたために転がり込んできただけの自公政権ではなかったのか。国民のだれも、集団的自衛権を行使してアメリカの戦争に加担できるようにしてほしいなどとは望んでいない。
 その点では私は公明党が創価学会の「鬼っこ」になっても集団的自衛権行使の要件については公明党案を安倍政権に丸呑みさせて、安倍総理の暴走を最後の一線で防いだことは評価しないわけではない。が、パンドラの箱を開けてしまったことには疑いの余地がない。
 もう集団的自衛権行使のための憲法解釈変更は閣議決定してしまっているのだから、すでに出来ているはずの集団的自衛権行使のための国内関連法案の素案を国民に示し、さらに自国防衛のための個別的自衛権行使より、アメリカのために集団的自衛権の行使を優先することが国益にかなうのか否か、を国民に問う選挙にすべきではなかったのか。
 改めて言っておくが、安倍内閣は小中学校の教科書に「竹島・尖閣諸島は日本固有の領土」と明記させた。尖閣諸島はいまのところ中国に武力占拠されていないが、竹島が韓国に実効支配されてからすでに70年になる。つい先日には
朴大統領が竹島上陸軍事演習を行おうとすらした。天候の都合とやらで演習は
中止されたが、日本の自衛隊は韓国の軍事演習阻止のための実力行使に出よう
とすらしなかった。
「なぜ日本は竹島の韓国による占領を許しているのか。なぜ個別的自衛権を行使して竹島を奪還しないのか」と言う国民の抗議の声は、首相官邸や外務省に多く寄せられている。首相官邸や外務省の返答はつねに変わらない。
「日本は国際紛争を平和的に解決することを最優先しています。竹島問題についても平和的に解決するための努力を続けています」
 公明党は少なくとも、集団的自衛権行使の要件に、「実力の行使に出る前に、少なくとも竹島問題の平和的解決にかけている期間(現時点では約70年間)は、平和的解決のための努力をすること」を加えるよう、安倍総理に強く要求すべきだった。つまり、安倍総理が日本を守るための個別的自衛権より、アメリカの要請に応じてアメリカのために実力を行使する集団的自衛権行使を優先していることを、だれの目にも明らかになるよう国民に示すのが、野党やメディアの責務ではなかったか。
 投票日まで、今日も含めて3日しか残っていない。が、政治家よりメディアより、はたまた学者より国民のほうがはるかに英知に満ちている。
 つい先日行ったNHKの世論調査によれば、今回の総選挙での最大の国民の関心事に、ついに「社会保障の見直し」がトップに躍り出た。これまでは常にトップは「景気回復」だった。「社会保障」はランキングのせいぜい3位どまりだった。
 この世論調査はNHKのどういう意図が働いたのかは想像の域を出ないが、従来の世論調査では選挙で重視するランクとして「社会保障」と言うカテゴリーしか使用してこなかった。「社会保障の見直し」というカテゴリーに変更した意図を、私たちは見抜く必要がある。「社会保障の見直し」というと、「社会保障の充実」と錯覚する人もいそうだが、社会保障を充実・維持させることを選挙の選択肢にしようというなら、「見直し」ではなく「充実」あるいは「維持」というカテゴリーにしているはずだ。「見直し」という表現は、「従来の福祉政策を継続したら国家財政が破たんするから、政策転換すべきだ」という意味である。私が一貫してNHKに苦情を言ってきたことだ。
 ただ、「社会保障の見直し」が選択肢のトップに躍り出たことは、必ずしもアンケートに答えた人たちが、その意図を理解しているとは限らないことも意味している。「見直し」という言葉の意味を理解していない人にとっては、どちらにも解釈できる曖昧な言葉になりかねないからだ。「見直し」は「見直す」の名詞だが、これまでのやり方を変えることを前提として使われる否定語だ。ただの「社会保障」だと「充実」の意味合いが濃くなるが、そのあとに「見直し」という言葉がつくと意味が正反対になる。
 NHKが「見直し」という、これまで世論調査で使用したことのないカテゴリーをなぜ選択したのかは不明だが、NHKの世論調査は大きな意味を持つだけに、意図的なものを感じるのは私だけだろうか。
 ついでにNHKの世論調査に対する疑問をもう一つ呈しておく。今回の総選挙に対して「関心がない」「あまり関心がない」層が「関心がある」層よりかなり多く過半数を占めているのに、投票には「必ず行く」「多分行く」層が約3分の2を占めるというおかしな結果になっていることだ。例えばスポーツ。「関心がない」のに見に行く人がいるだろうか。誰かの付き合いで行くケースはあるだろうが、投票に付き合いで行く人がいるのだろうか。なぜNHKは「関心がない」のに「投票には行く」と答えた人に、その理由を聞かないのか。そういうアンケートのとり方をすれば、国民の政治不信の原因にも迫れたかもしれないのに。

 さて日本再生のための究極の提案の後編に移る。前回の提案では高齢者に対する社会保障とくに医療費の削減と、少子化対策には保育所増設は意味を持たないことを明らかにした。今日は生活保護対策と日本の雇用形態の見直しについて書く。選挙制度と地方分権問題は選挙後に書く。
 被生活保護者が増え続けていることは周知の事実である。当然地方自治体の財政をひっ迫させている。すべての国民が最低限の文化的生活をおくる権利は憲法が保証している。そのことに異はない。問題は被生活保護者の文化的生活水準を維持しつつ、同時に増え続ける生活保護費増大による地方財政の課題をどうするかという二兎を追う話だ。
 答えは一つしかない。都道府県単位で生活保護施設を作り、そこですべての被生活保護世帯を集める。もちろん、そこでの生活は最低限の文化的生活水準を維持させなければならない。また、その施設で、社会復帰のための対策を行う。地域によって社会復帰の手段は違うだろうから、国はその手段に口を出すべきではない。
 IT産業の担い手になれる人なら、そういう技術の習得をさせるべきだろう。地域産業の担い手になれる人なら、担い手になれるよう訓練すればいい。地域産業の担い手が増えれば、地域産業の振興にもつながる。頭は生きているうちに使え。
 いまの被生活保護者に対する政策は、生活困窮者に対する「お恵み」政策でしかない。そうしたやり方では被生活保護者の社会復帰への意欲も殺がれるだけだ。被生活保護者が、社会復帰への意欲を持たせるような社会保障の考え方に転換しない限り、「駆け込み寺」対策を継続することになり、文化的生活水準のレベルを下げていくしか地方財政とのバランスをとれなくなるのは当然である。そのくらいのことも政治家や官僚は分からないのか。
 もう一つ。被生活保護者は、最低限の文化的生活水準を受ける権利を行使するためは、同時に自分の健康に対する自己責任も自覚する必要がある。自分の健康維持のために(おそらく医療費財政の最大の重荷になっているのは高齢の被生活保護者ではないかと思う)、禁酒禁煙は当然の義務と考えてもらいたい。「酒は百薬の長」などという言葉があるが、これは江戸時代に酒売りが営業活動のためにでっちあげた根拠のない話であって、あえて健康にプラスになる要素があるとすれば、赤ワインに含まれているポリフェノールだけである。それも量的にはコップに半分程度で十分というのが医学者の科学的主張である。
 タバコについては、社会を惑わしている部分もある。確かにタバコには数十種類の発がん性物質が含まれているが、同じくらいの種類のがん抑制物質も含まれている。どちらの物質が健康にどういう影響をもたらすかは、個々人の遺伝子レベルで違う。まず人種によって大きな差があり、白人の遺伝子には発がん性物質のほうが作用する度合いが大きいようだ。欧米でタバコが目の敵にされているのはそのためだということは知っておいた方がいい。アジア系の場合は、白人ほど発がん性物質が強くは作用しないようだ。ただ、これは平均値の話で、同じ人種でも遺伝子には個体差があり、日本人でも発がん性物質が作用しやすい人と、逆にがん抑制物質が作用しやすい人がいるようだ(※この話はかつて癌研の所長から聞いた話)。
 私自身に関して言えば、飲酒は多少たしなむ程度。タバコは若いころは吸っていたが、やめてから20年近くになる。私の父はヘビースモーカーで、若いころ結核で右肺の大部分を切除したくらいだが、肺がんにはならなかった。親族にも肺がん者はいない。飲酒はかつてはかなりの量を呑んでいたが、健康診断でガンマーGTPが異常に高いと指摘され、精密検査の結果肝臓には異常は見られないが、このまま飲酒を続けると肝硬変になると医者に脅かされて、飲酒量を激減させた。
 少なくとも生活保護を受ける以上、文化的生活の範囲に入らない飲酒喫煙の習慣は絶っていただきたい。もちろんパチンコ・競馬・競輪などの賭け事は文化的生活の範疇に入らないから禁止すべきだ。そうしたことを実行させるためにも、被生活保護者のための施設を都道府県単位でつくり、健康についての自己責任感覚を持ってもらうこと、また職業訓練の機会も作って社会復帰の意欲を育てること(強制になってはいけない)を、生活困窮者対策の柱に据えるべきではないか。

 最後に雇用形態の問題だ。いわゆる日本型雇用形態とされている「終身雇用・年功序列」はなし崩し的に崩壊しつつあるが、企業経営者にとって都合がいいなし崩しになっている。これを制度的に「同一労働・同一賃金」制に改めるべきである。これは社会保障制度の見直しとともに、本当に必要な社会保障制度を構築するために避けて通れない道だ。
 言うまでもないことだが、「同一労働・同一賃金」は、年齢・学歴・性別とい
った属人的要素を賃金の決定要素から完全に除外することを意味する。これを実行するためには、すべての企業に労働基準法を完全実施させることだ。
 今年の春、安倍総理は経団連など経営者団体に賃上げを要請した。かつていかなる総理もしたことがない行為だ。あの「高度経済成長政策」なるものを掲げた池田隼人総理ですら、経営者団体に賃上げを要請したことは一度もない。安倍総理が、日本の経済回復のためになりふり構わぬ努力をしていることや、日本産業界の営業本部長として海外を歴訪している回数の多さにも、私は頭が下がる思いは持っている。が、安倍さんが頑張っているということに対する評価と、アベノミクス・サイクルが残念ながら失敗に終わったことに対する厳しい評価とは別だ。
 安倍さんが、経営者団体に要請して数年ぶりに実現させたベースアップは、実は労働基準法違反である。
 労基法では賃金を2種類に分けている。基準内賃金と基準外賃金である。どういう要素の名目を基準内にするか基準外にするかは、企業の自由ではない。法律で定められている。賞与や退職金などについての算出基準は法律では定めていない。企業が自由に決めていいことになっている。企業年金や共済年金も同じだ。
 だが、時間外勤務に対する賃金の算出基準は、法律で決められている。細かい説明はしないが、基準内賃金が算出基準である。ところが、ベースアップの算出基準になっている基本給は、実は基準内賃金ではない。法律違反、と指摘せざるを得ないゆえんだ。
 これだけは説明しておく必要がある。すでにブログで書いたが、お忘れの方もいると思うので再度、説明する。
 まず基準外賃金の対象から説明する。その方が分かりやすいからだ。 
 基準外賃金の対象になるのは、いろいろな名目で支給される賃金のうち仕事とは関係のない属人的要素の賃金である。たとえば配偶者手当、扶養家族手当、住宅手当、通勤手当などである。では、基本給のベースになっている年齢・学歴・性別(性差別は現在原則禁止されているので、同学歴の同期入社の初任給に現在は男女差はないと思う)は、基準内なのか基準外なのか…。
 そこまで説明してベースアップが法律違反であることが分からない人は、こ
れ以上私のブログを読んでも無駄だ。私のブログを読む時間を睡眠時間にあてた方が身のためだ。
 ここから先を読まれる方には、もう労基法が時間外賃金の算出基準を基準内賃金にしていることがお分かりだろう。基準内賃金とは、仕事に直接関係するすべての賃金が対象になる。ということは、仕事に直接関係ない賃金はすべて基準外賃金であり、年齢や学歴・性別を基準にした基本給を対象とするベースアップは法律違反であり、最高裁判事によっては憲法違反だという判断をする可能性すらあると思う。
 安倍さんも否定はしていない同一労働・同一賃金を実現すれば(つまり基本給制度を法的に廃止すれば)、若年労働者の賃金は当然アップし、正規雇用・非正規雇用の問題も解決する。もっともお金を使いたい層の可処分所得が増えて消費も拡大し、円安誘導のための金融緩和(実態は国債という名目の借金の次世代へのつけ回し)などに頼らなくても、内需の拡大によって景気は回復する。

 最後に、年金・健康保険制度について改革案を。
 いま、サラリーマンは結婚すると妻は第3号被保険者になる(妻が扶養家族になった場合)。この制度を廃止する。妻には国民年金への加入を義務付け、健康保険も国民健康保険への加入を義務付ける。そうするだけで、年金問題や健康保険制度の問題はほぼ解決できるのではないか。
 なぜ厚労省は、従来の制度を変えることを考えないのか。少子高齢化には、はっきり言って歯止めはかけられない。歯止めをかけられない以上、制度の見直しによって制度疲労をつくろう以外ないではないか。こういうバカどもを、なぜ国民は税金で養う必要があるのか。
 もちろん、子供ができれば子供も国民健康保険制度への加入を義務付ける(国民年金への加入は現行のままでもいいと思う。国民年金制度も制度疲労を生じているが、未成年者に加入を義務付けることは困難だ)。
 サラリーマンの負担が増えれば、少子化がさらに進むのではないか、という反論が目に見えるが、そんなことはない。同一労働同一賃金制度の全面的導入によって、若い人たちの収入が爆発的に増えるからだ。もちろん、割を食うのは役立たずの中高年層だが、どこかで思い切った手を打たなければ、日本社会そのものが崩壊する。
 消費税増税で国民に痛みを要求するなら、行政も立法も痛みを共有すべきだろう。行政改革といっても省庁の統廃合でどれだけ無駄飯を食っている公務員の首を切ったというのか。国会議員の定数削減より、歳費のカットのほうを優先すべきだろう。民間企業は、IT技術の導入によって必死に合理化努力を行い、事務系社員を大幅に減らしている。文系大卒者の就職難は、その結果だ。
 政府がやろうとしていることは、時代に逆行することばかりだ。アメリカに追随するというなら、社会の仕組みそのものをアメリカのように合理化すべきだろう。社会保障制度を維持したいというなら、維持するための痛みを官民がどう分かち合うかを、まず考えるべきだ。
 私の究極の提案は、高齢者や役立たずの中高年公務員やサラリーマンから猛反発を食うことは、私も承知の上だ。
 が、日本の将来を確実なものにするには、この方法しかない。政治家は、なぜ国民に甘い話ばかりして、次の世代に付けを回す責任をとろうとしないのか。
 今回の総選挙に対する国民のとるべき姿勢は、選挙権を放棄するか、それとも白紙投票で政治に対する不信を表明するしかない。それが、「総選挙を考える」私の結論だ。怒りをもって、このシリーズを終える。

追記 自民党の優勢が報じられている。単独で300議席を超える勢いだという。一方朝日新聞によれば投票率は戦後最低を記録する可能性すらあるという。
 そんなことはとっくの昔から私はブログで予測を書いている。私は数字で考えるのは、数字が意味することだけだ。数字が出ていないときは論理で考える。
 だから8日に投稿したブログの最後で、こう書いた。
「結果として自民が圧勝したとしても、郵政解散のときと違い、国民がアベノミクス継続を支持した結果ではない。ほかに投票したい政党がないから、投票所に足を運ばないという結果になるだけだ。つまり投票率が低かったら、アベノミクスは否認されたと見なすべきだ。メディアは、今回の選挙結果についての判断を誤ってはならない」
 アベノミクスの破たんが、なぜ国民の目に見えていないのか。原油価格の暴落によって日本経済がかろうじてスタグフレーションを免れているからにほかならない。スタグフレーションとは、このブログをお読みの方はご存じだと思うが、一言で言えば「不況下のインフレ」現象を指す比較的新しい景況概念の言葉だ。アベノミクスにとって不幸中の大幸いだったのはOPECが原油生産の調整に踏み切らず、原油価格が暴落したため、アベノミクスによる物価高が日本経済や国民生活を直撃しなかったからだ。もし、OPECが原油生産を調整して原油価格が暴騰していたら、日本経済は間違いなくスタグフレーションに突入していた。当然、そうした結果が数字として出ていれば、国民の投票行動はどうなっているか。
 なぜエコノミストやメディアは、そうした根本的な自民郵政の原因を考えないのか。考える能力がないなら、毎日白紙の新聞を出せ。たぶん読者は購読料を払わなくなるだろうが…。