慰安婦報道について朝日新聞社の木村社長は、9月11日の記者会見で「吉田氏(※吉田清治のこと)に関する謝った記事を出したこと、訂正が遅きに失したことについてお詫び申し上げる」と述べた。
そのうえで、朝日新聞の報道が国際社会に与えた影響については第3者委員会で検証し、検証結果は紙面で明らかにするとも述べた。
何を寝ぼけたことを今さら言っているのか。
吉田清治を「勇気ある告白者」として持ち上げたのは朝日新聞だけではない。読売新聞もNHKも含めてほとんどの大手メディアが当時は吉田を英雄視する報道をしていた。「誤った記事を出したこと」は朝日新聞だけではないので、ことさらに謝罪する必要はあるまい。
謝罪するとしたら「訂正が遅きに失した」ことだが、誤報であることが分かった時点で直ちに訂正記事を出さなかったのはなぜか、の検証をすべきだろう。そして今になって記事の取り消しをすることになったのはどうしてか、の説明責任を果たすべきではないか。その肝心なことに関して朝日新聞はいまだ頬被りしている。メディアとしての在り方を問われる問題に頬被りしたままで読者の信頼を回復できると、朝日新聞は本当に考えているのか。
前にブログで書いたが、戦時中、軍部に最も協力したメディアは朝日新聞だったようだ。「公職追放者」でネット検索したところ、緒方竹虎氏をはじめ朝日新聞社出身の政治家はかなり公職追放されていることが分かった。読売新聞からも正力松太郎氏が公職追放されているが、朝日新聞社の関係者が圧倒的に多い。が、GHQは戦争協力者に対しては徹底的に公職追放や財閥解体、軍需産業の解体などの制裁を行ったが、肝心の最大の戦争協力者だったメディアに対する弾圧や制裁は加えなかった。GHQが対日占領政策を成功させるためには、メディアの協力が絶対に必要だったからだ。
その結果、メディアは敗戦を契機に立ち位置を180度転換した。転換しなければ、GHQから潰されかねなかったからだ。実際、戦時中の「鬼畜米英」の立ち位置を変えないメディアがあったら、そのメディアはGHQによって、たちどころに潰されていただろう。そうやってすべてのメディアは立ち位置を「鬼畜米英」から「親米英」に転換した。いくら戦争に負けたからと言って、そう簡単に立ち位置を転換したメディアは日本以外にあるだろうか。先の大戦における同盟国ドイツのナチス政権に協力したドイツ・メディアはどういう運命をたどったのか、また親ナチス・メディアは立ち位置を変えることによって生き延びることが出来たのか、そのことを誰かが検証してくれたらと思う。
そして戦後のメディアの立ち位置は、それぞれに変化していく。私に言わせれば読売新聞・産経新聞と朝日新聞・毎日新聞の主張の対立も、所詮コップの中のケンカにすぎない。どのメディアも、敗戦によって自らの立ち位置をなぜ転換したのかの検証を避けてきたからだ。朝日新聞が、戦後一貫して“反戦・平和主義”をメディアとしてのシンボルマークのように掲げてきたのも、自らの後ろめたさの裏返しにすぎないとも言える。
はっきり言えば、朝日新聞の誤報問題の原点はそこにある。
朝日新聞が慰安婦報道についての検証をするのであれば、吉田清治のねつ造ノンフィクションを真に受けて美談扱いしたことを今さら読者に謝罪するよりも、他のメディアによれば朝日新聞が報じた16回に及ぶ慰安婦報道にねつ造した個所が有ったのか、無かったのかの検証をすべきだろう。
おそらく、戦時中における日本軍兵士の「勇敢な行動」や「占領地における地元民への思いやり」などを報じた「美談」の数々にも、ねつ造記事が少なくなかったのではないかと私は思っている。メディアの名前を出すとまた問題になりかねないので書かないが、ある大メディアの担当者も「おそらく戦時中のねつ造記事は少なくなかったと思う」と言っている。私も今さら戦時中の記事についての検証をすべきだなどとは言わないが、少なくとも朝日新聞が慰安婦報道の記事を取り消すのであれば、一派ひとからげで「間違っていました」と頭を下げるのではなく、どの記事のどの部分がどう間違っており、なぜ間違った記事が活字になって世の中に出てしまったのか、そしてなぜ記事の取り消しが今ごろになったのかの検証をすべきだろう。
さらに、朝日新聞の誤報が国際社会にどういう影響を与えたかの検証作業を第3者委員会に依頼するなどというのは、完全に問題のすり替えだったということを改めて明らかにして、第3者委員会も解散すべきだ。はっきり言って国連人権委員会のクマラスワミ報告も米下院議会決議も韓国のロビー活動の「勝利」によるものであり、韓国のロビー活動を支えたのは朝日新聞の誤報記事ではなく河野談話である。朝日新聞は自紙が国際社会の世論を動かすほどの力があるかのように考えているとしたら、とんでもない思い上がりもいいところだ。
次は木村社長の引責辞任の最大の原因となった吉田調書問題について書く。この記事は誤報ではなく、ねつ造の疑いが濃いからだ。(続く)
そのうえで、朝日新聞の報道が国際社会に与えた影響については第3者委員会で検証し、検証結果は紙面で明らかにするとも述べた。
何を寝ぼけたことを今さら言っているのか。
吉田清治を「勇気ある告白者」として持ち上げたのは朝日新聞だけではない。読売新聞もNHKも含めてほとんどの大手メディアが当時は吉田を英雄視する報道をしていた。「誤った記事を出したこと」は朝日新聞だけではないので、ことさらに謝罪する必要はあるまい。
謝罪するとしたら「訂正が遅きに失した」ことだが、誤報であることが分かった時点で直ちに訂正記事を出さなかったのはなぜか、の検証をすべきだろう。そして今になって記事の取り消しをすることになったのはどうしてか、の説明責任を果たすべきではないか。その肝心なことに関して朝日新聞はいまだ頬被りしている。メディアとしての在り方を問われる問題に頬被りしたままで読者の信頼を回復できると、朝日新聞は本当に考えているのか。
前にブログで書いたが、戦時中、軍部に最も協力したメディアは朝日新聞だったようだ。「公職追放者」でネット検索したところ、緒方竹虎氏をはじめ朝日新聞社出身の政治家はかなり公職追放されていることが分かった。読売新聞からも正力松太郎氏が公職追放されているが、朝日新聞社の関係者が圧倒的に多い。が、GHQは戦争協力者に対しては徹底的に公職追放や財閥解体、軍需産業の解体などの制裁を行ったが、肝心の最大の戦争協力者だったメディアに対する弾圧や制裁は加えなかった。GHQが対日占領政策を成功させるためには、メディアの協力が絶対に必要だったからだ。
その結果、メディアは敗戦を契機に立ち位置を180度転換した。転換しなければ、GHQから潰されかねなかったからだ。実際、戦時中の「鬼畜米英」の立ち位置を変えないメディアがあったら、そのメディアはGHQによって、たちどころに潰されていただろう。そうやってすべてのメディアは立ち位置を「鬼畜米英」から「親米英」に転換した。いくら戦争に負けたからと言って、そう簡単に立ち位置を転換したメディアは日本以外にあるだろうか。先の大戦における同盟国ドイツのナチス政権に協力したドイツ・メディアはどういう運命をたどったのか、また親ナチス・メディアは立ち位置を変えることによって生き延びることが出来たのか、そのことを誰かが検証してくれたらと思う。
そして戦後のメディアの立ち位置は、それぞれに変化していく。私に言わせれば読売新聞・産経新聞と朝日新聞・毎日新聞の主張の対立も、所詮コップの中のケンカにすぎない。どのメディアも、敗戦によって自らの立ち位置をなぜ転換したのかの検証を避けてきたからだ。朝日新聞が、戦後一貫して“反戦・平和主義”をメディアとしてのシンボルマークのように掲げてきたのも、自らの後ろめたさの裏返しにすぎないとも言える。
はっきり言えば、朝日新聞の誤報問題の原点はそこにある。
朝日新聞が慰安婦報道についての検証をするのであれば、吉田清治のねつ造ノンフィクションを真に受けて美談扱いしたことを今さら読者に謝罪するよりも、他のメディアによれば朝日新聞が報じた16回に及ぶ慰安婦報道にねつ造した個所が有ったのか、無かったのかの検証をすべきだろう。
おそらく、戦時中における日本軍兵士の「勇敢な行動」や「占領地における地元民への思いやり」などを報じた「美談」の数々にも、ねつ造記事が少なくなかったのではないかと私は思っている。メディアの名前を出すとまた問題になりかねないので書かないが、ある大メディアの担当者も「おそらく戦時中のねつ造記事は少なくなかったと思う」と言っている。私も今さら戦時中の記事についての検証をすべきだなどとは言わないが、少なくとも朝日新聞が慰安婦報道の記事を取り消すのであれば、一派ひとからげで「間違っていました」と頭を下げるのではなく、どの記事のどの部分がどう間違っており、なぜ間違った記事が活字になって世の中に出てしまったのか、そしてなぜ記事の取り消しが今ごろになったのかの検証をすべきだろう。
さらに、朝日新聞の誤報が国際社会にどういう影響を与えたかの検証作業を第3者委員会に依頼するなどというのは、完全に問題のすり替えだったということを改めて明らかにして、第3者委員会も解散すべきだ。はっきり言って国連人権委員会のクマラスワミ報告も米下院議会決議も韓国のロビー活動の「勝利」によるものであり、韓国のロビー活動を支えたのは朝日新聞の誤報記事ではなく河野談話である。朝日新聞は自紙が国際社会の世論を動かすほどの力があるかのように考えているとしたら、とんでもない思い上がりもいいところだ。
次は木村社長の引責辞任の最大の原因となった吉田調書問題について書く。この記事は誤報ではなく、ねつ造の疑いが濃いからだ。(続く)