さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

サルスベリの木は

2015-12-28 | 父・母、家族のこと
うちの母がむかし、こんなことを言っていた。

 「サルスベリの木をうちにも植えたいんだけど、
  ひかえているの…」

??

 「なんで?」

 「藤丸(わたしの弟=母の息子…本名ではないが)
  がサル年だから、
  道やら受験やらにスベッてはいけないと思って…」

 「ふーん、そうか~」

と、その時は何となく納得してしまったのだが、
いま思うと、何だか笑える。

これも親ごころかな。

いつもうちのブログに遊びに来て下さる、
Darth Yumiさん が、
来年の年賀状の絵柄に
サルつながりの植物、サルトリイバラを選んだとおききして、
ふっと鮮明に思い出した母の言葉だった。

そうか、
来年弟は年おとこなんだな。

まだ独身で、父亡きあと、
実家で母とふたりで暮らしている。
母のことを、よく気づかってくれている。

父が亡くなった瞬間から、
わたしは自然に弟を実家の家長としてとらえるようになった。
それは、自分でも不思議なほどの、
自然な変化 だった。


母が言う。

 「藤丸ったら、
  おとうさんに、本当にやることなすことそっくりなのよ~」


しっかり父の背中をみて育ってくれたんだね。

弟のなかにも、父はしっかり生きていてくれるんだね。

としの離れた弟で、わたしよりうんと若いのに
もうとっくにわたしを追い越して、
大きくなった弟よ、

いつも母を支えてくれてありがとう。




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父のセーター

2015-12-23 | 父・母、家族のこと
昨年8月に亡くなった父が愛用していたセーター。
その中で、わたしがもらって着ているものがある。

赤のVネック、
明るい緑のVネック、
紺のタートル。
どれもきれいな色だ。

父は、背丈は165cmほどだったが、
筋肉質で、広い背中をしていた。
そんな父のセーターは、
小柄なわたしにはゆったりと着られる。

メンズのセーターを女性がたっぷりと着るのも、
それはそれでいいものだと自己満足しながら
組み合わせを楽しんで着ている。

 「おとうさんには、いいものを身につけてもらいたいの」

 「また、何を着てもさまになる人なのよねえ」

常々そう話していた母。

…仲良きことはうつくしきかな(笑)

そんな母が、
きっと奮発して買ったであろうセーターなので、
品質もよく、かるくてあたたかい。

生きて元気でいてくれたころの父が
身につけていたセーターを着ると、
父のあたたかさに包まれているような気がする。


 愛用のセーターぬくい形見わけ





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父に寄せる句

2014-12-06 | 父・母、家族のこと


(画像の写真は「花の庵」さなえさん より おかりしております

 ”メタセコイア”)

わたしには、もうひとつのブログ
「さくら・ことのは~川柳の部屋」
というのがありますが、
今日はこちらにも書いてみようと思います。


父に思いを寄せてつくった句のあれこれ。



   元気かと父がさしだすぬくい杯

   父の日もそうでない日も父と呑む

   どこかしら父に似たひと好きになる

   男らしい人で拳は振りあげぬ

   家まもる父の背中の傷幾多


父とおいしいものを食べ、お酒をのみ、話す時間は
とてもこころ満たされるものだった。
一緒に過ごして楽しく、そして一本筋のとおったひとだった。
 


   淡々と告知する側される側

   泣いてなどおれぬほんとの一大事

   福音のように響いた転移なし

   気を逸らすこともひとつの生きる知恵

   ユーモアはこんなときでも笑うこと   

    
健康そのものだった父が、いのちをおびやかされる悪性の病に。
不安と希望に揺れうごく日々。
急ぎ手術を受け、病巣は取り除けた。
転移のない初期のものであったことにひと安心するが、
術後の痛みはなかなか癒えず、
そして 術後わずか4ヶ月たらずで再発が判明する。

父の肺がんは、多形がんという、
たぐい稀な悪性度の高い組織型だった。
早期に再発・転移を起こし、抗がん剤にも抵抗性。
めずらしいタイプの組織型なので、データも少ないが、
いろいろ調べても、完治した例を見出せない。
暗澹たる気持ちになった。
一方で、父が完治した最初のひとになればいいんだ、
希望を持とう。
とも思った。


   試練とはこうも続くか空に問う

   神さまにねだろう寿命もうすこし

   過去形にまだしたくない物語

   ないよりはいいと胸張る空元気

   日がすこし翳ったままの発病後

   いまは泣けいつか笑える日も来よう



当初は、急ぎ抗がん剤治療をと言われた。
が、その後まもなく、
まだじゅうぶん体力もあり元気に過ごせているので、
今のそのちからを保ちながら病と共存する道をと、
医師からすすめられた。
わたしは、効果の望みが少なくても、
医師からはきっと抗がん剤をつよくすすめられるだろうと思っていたので、
これは意外なことだった。

もとより、
抗がん剤におそらく効果はのぞめないだろう、
いま父にある体力を、免疫力をうばうだけにしかならないだろう、
と考えていたわたしに異存はなかった。
もちろん、やってみなければわからないかも知れない。
けれど、このまま父の生命力にゆだねるほうがのぞましいと
直感してうたがわなかった。
寿命の長さよりも、たいせつなのは質。
父も母も弟も、それを自然に受けいれてくれた。

けれどそれは、治癒をめざしての治療をやめるということ。
痛みや心身のさまざまな苦痛をとるための緩和ケアを受けながら、
いつ訪れるか知れぬ終末を、いやでも意識させられることになる。   
が、その日までの日々を悔いなくたいせつにともに過ごそうと決める。
毎日、気持ちは揺れた。
いつその日が来ても、父と母を支えよう。
その日が近いことも覚悟した。
けれどそれでも、ひとすじの希望を胸に抱きつづけた。
   

   逆境で真価をみせたああ男  

   わずらいを捨てて今日だけ見て生きる

   ケセラセラなにがあっても受けいれる

   第三の道はないかと思案する 


   病床の父と眺めるカレンダー

   いつか来る別れの日まで愛を積む

   けれどなお願ってやまぬ父の治癒

   いま生きて在るひと過去になる別れ


病のなかにあっても、
臥してからも、父はやはり父だった。
父らしさは、さいごまでうしなわれることはなかった。
いさぎよくて、美しくて、つよくて、やさしくて、みごとだった。



   
   この世でのさいごの息をふかく吸う

   潮どきを悟ったように花が散る

   来年はもうない父と見たさくら

   散る日まで椿は椿父は父

   いてくれるそれだけでいいひとが逝く



   正解はそれぞれにある看とりかた

   去ってより存在感が増してくる

   そこここにぬくもりのこし死出の旅

   尽くしてもたりぬと思う父看取る

   秋立ちぬ夏いっぱいを生きた父


8月8日の立秋の頃、父は旅立った。
8日に日付が変わってまもない真夜中、  
わたしの目の前で、この世でさいごの息をしてくれて、
しずかにその呼吸を止めた。




   存在の大きさを知るその不在

   白萩は咲いて散るまで白い萩

   風流れいるべきひとがいなくなる

   常夜灯消えてしるべをさがす指



   もういないひとのぬくもり消えぬ部屋

   日々拝む遺影の父はきょうも笑む

   祈ることばかりであった年も暮れ

   ゆっくりとこのさびしさに慣れてゆく



本当は、このさびしさに慣れることはない。
ただ、父のいなくなった世でも、
わたし自身の人生を淡々と、でも精いっぱい生きていくだけ。
喜んだり、悲しんだり、泣いたり笑ったりしながら。
のこされた、母や弟とともに。
わたしのまわりの、愛するひとたちとともに。

けれど、まだどこか、
喜怒哀楽の振幅の、レベルが一段低いなかで生きている自分を
感じている。

父にあいたい。



   こんなにも広かったのだ父の傘

   

   

   

   
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父・あの日から

2014-12-03 | 父・母、家族のこと


ちょうど1年前の今頃だ。

定期的に経過をみていた父の肺の影に変化がみられ、
急ぎ 精査が必要と言われたあの日。
2013年の12月4日のことだった。

その同じ年の6月に心臓の弁置換の手術を受けた母が、
術後思わぬことで3ヶ月間もの入院となり、
そのうち約1ヵ月半はICUだった。
一時は回復も危ぶまれた。
治療の苦痛や 大きなストレスにも耐えた母に
ようやく光が見え、ぶじ退院できたのが9月。

前年の夏には父の胃がんが見つかり、
内視鏡的胃粘膜剥離術のあと、
その組織結果で 開腹での胃部分切除が必要となり、
結局2度の手術を受けた。

幸いにも、経過は順調。
ほかに内科的な病気もなく、これまで病気知らずなうえ
体力にも恵まれていた父は 回復も早かった。
術後1年目が過ぎたこの頃、
転移や再発の兆候はみられていない。

母の長引く入院で、
父の心身には大きな負担がかかっており、
それは気になっていたが。

すこしずつ、わたしたち家族の生活のペースが戻ってきて、
おだやかなお正月が迎えられるかと
みんながほっとしつつあったその矢先だった。

胃の検査・治療中にみつかった肺の影については、
定期的に胸部レントゲンとCTを撮り、
そのたび 大きさも形も変わらないと言われ、
ほっとすること数回。

今回の検査で異常がなければ、
また半年後とか 
もしかしたらもう 1年後くらいのフォローで
心配ないかも知れない。

検査を受ける本人である父は、
検査のたびにいつも不安をもらしていたが…

昨年は父の胃がん手術をぶじ乗り越え、
今年は母も大きな手術からぶじ回復し、退院できた。
このお正月は家族みんなが元気でいられることに感謝して
ゆっくり過ごせる、
そして来年は きっとおだやかないい年になる。

そう信じられる気持ちがあったし、
そうと信じたかった。

ところが、
その日を境に、わたしたち家族の状況は一変する。
またもや試練の日々。

その日から、父を看取るまでの日々。
長くて、それでいてあっというまの8ヶ月。

それを振り返り、
克明に思い返し、綴るのは まだつらい。

けれど、忘れたくはない。
父にまつわる、あれこれのこと。

記憶がうすれてしまわないうちに、
ちゃんと書き残しておきたい思いもつよい。

まとまりはつかないままだが、
そのうちすこしずつ、思い出すままに 書いてみようと思っている。
むりはせず、気のむく時に、気長に。






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卒哭忌

2014-11-16 | 父・母、家族のこと


昨日11月15日、
この8月に亡くなった父の百箇日を迎えた。

もう百日も経ったなんて…
早いものだな。
父がこの世にいなくなったことが、
まだ信じられないくらいなのにな。

百箇日は、
この日からは、もう泣き暮らすのをやめて
日常の生活にもどりましょう という意味をこめて
「卒哭忌」(そっこくき)
ともいうそうだ。

でも、わたしはこれまでよりも、
これからさきの方がちょくちょくめそめそしそうな気がする。

父を見送った直後よりも、
そのあとのさまざまな雑事に追われている頃よりも、
もうすっかりと日常生活に戻った(かに見える)頃から
日毎につのる、父のいないさびしさ。
もうこの世ではあうことのできないさびしさ。

こんなにも、父の顔や声やぬくもりや、
その全存在がわたしの中では色濃く生きているのに。

母にとっても、そうだと思う。

ねちねちしたところのない、
いさぎよく決断も早い父に

 いつまでもめそめそするんじゃないよ

と言われそうだけど。

そう言う声や表情まで、はっきりと思い描けてしまう。

父ならどう考えるか、父ならどう言うか…
ひとりで、自分役と父役の会話をしたりする。
ひとりボケつっこみ??
そのたび、なんでおとうさんいないのよう~
と、かなしくなってしまう。

当分は、こんなかな。

あせらずぼちぼち。
心身回復するまでゆっくり。


ところで、
いつ更新されるとも知れないこのブログ、
忘れずに訪ねて下さるかたのなかには、
リアルの生活での友人・知人がポツポツとおられるようで

 「ひさしぶりに新しい記事が書かれていてホッとしました」

 「読んだよ~」

 「もう最近は書かないの?」

などと声をかけられることが、このところちょくちょくあった。

そのたび、ひえ~と恥ずかしくなる。

ここでは、折々にわたしが考えていること 感じていることが
まるわかりだから。

 「あえなくても、近況がわかるとうれしいので
  また時々は書いてね!」

と言われれば、うれしいような面映いような。

気にかけてくれる人のいる、ありがたさ。

ふだんにも増して、かなり情緒不安定なこの頃ではあるけれど、
なんとか元気にやっています。




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