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第630回 京の商いは奥が深いby司馬

2025-05-30 | エッセイ
 大阪と京都を結ぶ鉄道は、JR、阪急、京阪の3本です。いずれも1時間足らずで着いてしまう近い都市同士ですが、気風はだいぶ異なります。商売の街・大阪に対して、千年の都の誇りを大事にしている京都、というのが、(あくまでひとつの)対比になるでしょうか。京都にまつわるこんな都市伝説があります。
 京都人が言います。「ウチの家も、この前の戦争で焼けてしもうて・・・・」「えっ、京都に空襲はなかったはずですが」と問う相手に、「いや~、ウチらが戦争ゆうたら、「応仁の乱」のことどすわ」と返ってきたというもの。伝説とはいえ、スケールがデカいです。

 司馬遼太郎のエッセイ「京の亡霊」(「街道をゆく 夜話」(朝日文庫)所収)では、著者の京都への思い、興味深い体験が語られています。
 昭和二十年代、若い司馬は、大阪から京都へ通っていました。大阪の新聞社の京都支局に記者として勤めていたためです。担当は「宗教」です。新聞各社が社寺担当を置いているのは、唯一京都だけだといいます。「「寺マワリ」と呼ばれていて「サツマワリ」(警察担当)などとくらべると、あまり威勢のいい仕事ではない。」(同エッセイから)と自嘲気味に書いています。京都というちょっと異質な都市で、「宗教」を担当するのには、複雑な思いもあったようです。

 さて、各社の担当記者のための記者クラブが、西本願寺(浄土真宗本願寺派)の社務所の一室を借りて置かれていました。こちらです。

 教学部、渉外部、庶務部、文書部などの組織に、約300人のお坊さんの役人がいる宗門の中軸組織です。
 そこへ「昼ごろになるとさまざまな御用商人が出入りする。そのなかで、いかにも明るくて気さくそうな青年が、いつも、「お菓子のご用はおへんか(ありませんか)とききまわっていた」(同前)とあります。
「こんなお寺相手の商売ではもうからんのと違うか」「まあ、ぼちぼち、どすな」(同前)などの他愛ないやりとりを通じて親しくなってわかったのは、昨日今日(きのうきょう)の出入りではない、ということでした。父親、祖父、曽祖父の代から「お菓子のご用はおへんか」の付き合いだった、というのです。さらに訊いてみると、なんと「三百数十年前の天正(てんしょう)年間から連綿と「お菓子のご用」を聞いてきたというのです。

 その頃、石山本願寺(西本願寺のルーツ)は、現在の大阪城の位置に城廓同然の大きな寺を構え、ほぼ大阪市に当たる地域を宗教都市化し、門徒を支配していました。
 一方、当時、織田信長が、天才的な外交手腕と鉄砲戦術によって、着々と天下統一を進めていました。その信長に対して、敢然と戦端を開いたのが、石山本願寺です。「戦国四百年のあいだ、諸国に大小の群雄が割拠してたがいにあらそったが、この織田と本願寺の決戦が、戦国最後の選手権試合というべきものだった」(同前)
 本願寺方には、中国の毛利、播州の別所、近江の浅井、北陸の朝倉などが加担し、さすがの信長も手を焼く激戦、難戦となりました。世に言う「石山合戦」です。

 その合戦で、本願寺側の兵糧方(食糧調達担当)だったのが、先ほどの青年の先祖だというのです。この菓子屋さんには「松風」という名菓があって、合戦のときの携帯食だったのが、本願寺とつながる縁になりました。

 天正8年、信長は、正親町(おおぎまち)天皇を動かして、和睦となり、合戦は終戦しました。本願寺のリーダーは、顕如(けんにょ)上人で、本願寺は紀州にしりぞきました。
 秀吉の時代になって、地を京都の現在地にもらって移転し、この菓子屋さんとの付き合いが今も続いている、というわけです。

 「お菓子のご用はおへんか」と気楽に聞いて回っている裏には、こんな苦難を共有した歴史があったんですね。司馬の「京都という町は、これほどおそろしい町なのだ」(同前)との言葉に大いに共感を覚えました。
 
 いかがでしたか?京の商いの奥深さの一端を感じていただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第629回 半藤一利さんの歴史小噺-1

2025-05-23 | エッセイ
 作家の半藤一利さん(以下、「氏」)は、昭和史を中心に、本格的著作、エッセイを数多く世に送り出してこられました。常々愛読していたこともあり、当ブログでも何度か取り上げてきました(文末に直近の記事へのリンクを貼っています)。今回のネタ元は、「歴史のくずかご」(文春文庫)です。氏が文藝春秋社の編集者当時に、業界向け月刊パンフレットに連載(1999~2014年)していたコラムを編集したものです。「くずかご」と謙遜されていますが、コンパクトで、痛快な歴史小噺が満載です。私なりに選んだ3つのエピソードをお届けします。どうぞ最後までお付き合いください・

★デマのスピード★
 昭和13年、日中戦争は泥沼化し、国民は戦争に倦み始め、法律で禁じられているはずの流言飛語(デマ)が飛び交うようになっていました。その年の暮れのある日、参謀本部の部員のひとりが、民間の友人にチラリとこんな話をしました。
「戦時下の国民の士気に関することなので、春場所が始まるまで伏せているが、実は双葉山が昨日死んだんだ」(本書から)

 もちろんウソ。でも、泣く子も黙る参謀本部が出処で、連勝街道爆進中の双葉山に関する情報です。信じるな、という方が無理。実は参謀本部が仕掛けたデマだったのです。国内外の陸軍部隊に指令しました。24時間内にこの噂話が入ったら、ただちに報告せよ、と。
 結果は驚くべきものでした。一番遠くは、満州の北部、ソ連国境に近い黒河の司令部からの報告だったのです。悪事ならぬデマが、ほぼ口コミだけで千里を走ることが実証され、参謀本部もギクッとなったといいます。今や、真偽取り交ぜ様々な情報がネット上で飛び交う時代。くれぐれもデマ、怪しい話には騙されないよう心がけたいものです。

★ネーミングは難しい★
 氏は、「文藝春秋」の昭和6(1931)年6月号から「奇姓珍名物語」という記事を引いています。それによりますと・・・
 奈良県矢田村には、「沢井麿鬼久寿老八重千代子」さんがいたり、栃木県藤原村には、「十二月(姓)甲乙丙丁戊己庚申壬癸之助」氏がおり、姫路連隊に、「野田(姓)江川富士一二三四五日左衛門助太郎」殿がいたりする、というのです。昔のキラキラ(ギラギラ?)ネームといったところでしょうか。だいぶ前のことですが、「悪魔」という名前で出生届けをしようとしたところ、受付を拒否されたという「事件」にも触れています。(随分話題になりましたから、私も覚えています。確か「亜駆」で決着したはず。読みは「あく」ですが、亜(あ)、区(く)、馬(ま)の3文字を入れ込むという奇策を弄した智慧者がいたのですね。)
 ことほど名付けは難しいもの。氏は、国文学者にして、平家物語の権威である長野嘗一先生の例を持ち出しています。源平時代にゾッコンですから、長男が生まれたら八幡太郎義家にちなんで「太郎義宗」、次男は熊谷次郎直実にちなむなど、以下五男まで歴史上の人物にちなむ名前を用意していました。でも、奥様は猛反対。結論が出ないまま、「長野太郎義宗」君の誕生かと思いきや、生まれてきたのはなんと女の子。「長野先生、しばし天を仰いで声もなかったという。」(同前)

★「山の神」の創作者★
 1910年10月18日、文豪トルストイは意を決して家出をしました。時に82歳。その原因をめぐって、作家・正宗白鳥と評論家・小林秀雄との論争を、氏は再読します。「妻君のヒステリーを怖がって逃げたのだ」と白鳥。「それがきっかけかも知れないが、思想との闘いの果て」と反駁する小林。そんな主張を読みながら、氏はふと、妻のことを冗談っぽく「山の神」と呼ぶいわれを知りたくなったのです。調べたところ、これを一番最初に使ったのは、「忠臣蔵」の山鹿流陣太鼓で知られる山鹿素行だとわかりました。吉原でドンチャン騒ぎの誘いが悪友からあった時、「「今日は山の上(かみ)がいるからあかん」と返書したのが本邦初らしい」(同前)
 当時、妻君のことを上流の家庭では「奥」と呼んでいました。ここで、いろは歌の登場です。「うゐのおくやまけふこえて」で、「やま」の上にあるのが「おく」です。「奥」=「山の上(かみ)」から「山の神」になったというのです。
 ついでに、氏はこんな笑い話を紹介しています。商家で下働きをしていた「お若さん」なる女性。祝いの席で思わず「ぷう」とやったため、店をクビになりました。出て行く時、一首詠みました。
「いろはにほとの間(あい)でしくぢって 私やこの家をちりぬるおわか」旦那はその頓才にびっくりし、元通り働いてもらうことになったそうな。めでたし、めでたし?

 お楽しみいただけましたか?冒頭でご紹介した記事へのリンクは、<第617回 超人ー司馬さんと清張さん>です。あわせてご覧いただければ幸いです。なお、もう少しご紹介したいネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。それでは次回をお楽しみに。

第628回 トリヴィアな知識を楽しむ-4

2025-05-16 | エッセイ
 久しぶりにシリーズ最終回となる第4弾をお届けします(文末に過去3回分へのリンクを貼っています)。前回までと同様、「超辞苑」(B.ハートストン/J.ドーソン 訳:本田成親/吉岡昌起 新曜社)をネタ元にトリヴィア(瑣末、雑学的)な知識をご紹介します。

 今回は「言葉」という私の好きな分野がテーマです。最後までお付き合い、お楽しみ下さい。

★入れ墨
 正式な単語かどうかについて、専門家の意見は別れるようですが、
"tattooee"(入れ墨(tattoo=タトゥ)を入れた人)というのは、同じ文字が2つずつ3回続く珍しい単語で、ほかには、
"bookkeeping"(簿記)と”bookkeeper"(簿記係)の3つしかない、といいます。いきなりトリヴィアパワー全開です。
★会話の英語
 通常の英会話で用いられる単語のうち、4分の1が、
 "I"、"the"、"of"、"and"、"a"、"to"、"in"、"that"、"is"、"it"、"you"の11個からなっている、というんですが、それにしちゃあ、英会話で苦労してます。
★クイズ
 誰でも知ってる"quiz"(クイズ)という単語は、造語です。新しい単語を広められるかどうかの賭けをしたアイルランドのダリーという劇場主が、1789年に考え出したといいます。
 彼は、賭けに勝つため、この新語をダブリンの街中の壁に書き歩き、ついにこの言葉の意味が定まった・・・というネタがクイズに使えそうです。

★算数
 アマゾンのヤンコス族の言葉の中で、最大の数を表すのは、「ポエッターラロリンコアロアク」であるという。この数詞の表すところは「3」。少ない数の割には長くない?
★接続詞
 "notwithstanding"(それにもかかわらず)というのは、通常の英語の中では、最長の接続詞だと考えられている・・・にもかかわらず、もっと長い接続詞がありそうですけど。
★葬儀
 葬儀をあらわす"funeral"のアナグラム(単語の文字の並べ替え)に、
"real fun"(抱腹絶倒)がある・・・ちなみに、ネット上では、いろんなアナグラムの例が、山ほど見つかります。

★タイプライター
 タイプライターの一番上の列にある文字だけで、"typewriter"と打つことができる。いや~、知りませんでした。思わずキーボードに目をやって確かめました。
★頭字の置き換え
 "butterfly"(蝶)は、もともと"flutterby"(はばたいて(flutter)通り過ぎる(by)もの)と呼ばれていた。この方がよほど自然ですけど、いつ変化が生じたかは誰にも分からない・・・flyは「飛ぶ」だけど「butter」って何だろうとの積年の疑問が解けました。
★フィンランド語
 フィンランド語には4000もの不規則活用動詞がある。また、カセイソーダ業者を表す
「 saippuuakivikauppias 
 はあらゆる単語の中で、回文(後ろから読んでも同じ)となる最長の単語である・・・フィンランドに生まれなくて、つくづくよかったです。

★ミスプリント
 死亡事故につながりかねないミスプリントがあったのは、アメリカの新聞社が発行した本でのこと。こんな訂正広告が出た。
 「緊急訂正!弊社刊行の本、「やさしいスカイダイビング」には誤りがありました。8ページ7行目の「郵便番号を告げる(State zip code)」とあるところを、
「開き綱を引く(Pull rip cord)と訂正してください。」・・・そりゃ命にかかわります!!
★理数系の知識
 one,two,three・・・・ninety-nineと、1から99までの数を英語で書く時、"a"は1個も現れない・・・これはクイズにして「ひけらかしたい」ですねぇ。

 いかがでしたか?なお、過去3回分へのリンクは、<第389回><第401回><第441回>です、あわせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第627回 「だまし絵」を楽しもう

2025-05-09 | エッセイ
 「不思議図書館」(寺山修司 角川文庫)という本があります。著者は、演劇集団「天井桟敷」の創設‥主宰者にして、文芸、評論など幅広い分野で活躍された方です(1935-83年)。そこでは、賭博、ドラゴン、吸血鬼などのマニアックなテーマに関する本が紹介されます。中でも、「だまし絵」と呼ばれるアート作品の話題が、ひときわ興味を惹きました。「だまし絵百科書」(マーチン・バタースピー(フランス)著)を拠りどころとする著者のガイドで、「だまされてみよう」という趣向です。5点の画像とともに、お気楽に最後までお付き合いください。

★冒頭で、わかりやすく巨大な作品として取り上げられるのが、オペラ座(パリ)の緞帳です。

 幕が半分まで紐で吊り上げられて、その後ろにもう1枚の幕が見えます。でも、これは1枚の幕に描かれています。めくれた幕とその影がリアルで、気づいた観客を見事なトリックで驚かせます。オペラという虚構(非現実)の世界に誘い込む巧妙な仕掛けです。

★だまし絵の起源は、紀元前400年頃のギリシャにまでさかのぼります。バランシウスとゼキウスという画家が腕前を競うことになり、ゼキウスは、鳥が寄って来そうなほどホンモノそっくりの葡萄を描きました。より実物らしく見えるように窓際のカーテンのそばに立てかけたのです。「きみの絵はどこだね」と訊くゼキウスに、バランシウスが笑いながら「そのカーテンは、わたしが描いた絵さ」と答えて、勝負は決しました。

★ローマ時代にも、ギリシャから「だまし絵」の技法は引き継がれましたが、必ずしも成功しませんでした。神話的、精神的世界を描くキリスト教芸術が主流で、「だまし絵」が入り込む余地がなかった、という事情があったようです。
 そんな流れを変え、西洋美術史の中で「だまし絵」を復権させたのが、「ルネサンス」です。自由な空気の中で、「空っぽの暖炉にはめこみ、本や雑誌がぎっしりつまっているのを描いたカンバス」や「食事が出たままになっていてそのまま夜食用のテーブルの上に置くカンバス」(いずれも本書から)など、遊び心に溢れた「作品」が流行しました。

★さて、近・現代に目を転じてみましょう。
 16世紀前半に活躍したドイツの画家ホルバインに、「大使たち」という作品があります。

 二人の顎髭(あごひげ)を生やした男が、正面を向いて立っている、何の変哲もない肖像画です。でも、二人の足元に白っぽい斜めの図像が描かれています。一体、何でしょう。画面に目を近づけて、左下から見上げるようにしていただくと、見えてくるはず。そう、ドクロです。画家の意図はわかりません。「こうした「かくし絵」を、「だまし絵」のカテゴリーに入れていいものかどうかは、バタースビーにきいてみたい」と寺山。私も同感しつつ、怖さを感じた絵です。

★お次は、17世紀オランダのニコラス・マースによる「立ち聞きしている召使いと、その中」という作品です。

 らせん階段の後ろに隠れている召使いが、立ち聞きしていますが、何に聞き耳を立てているかはわかりません。思わず、右端の「描かれたカーテン」をめくって「かくされた物語」を見たくなります。こちらも「だまし絵」というより「かくし絵」ですかね。

★20世紀に入って、シュールレアリスム(超現実主義)の画家たちにとって、「だまし絵」は、うってつけのモチーフになりました。現実と非現実を混乱させる最適の手法ですから。
 キリコ(イタリア)は、ビスケットによく似た菓子を描いた作品を制作しています(1917年)。よく見ると、本物の菓子がカンバスに突き刺さっているのです。「よく描けた「だまし絵」だな」と思わせておいて、その裏をかく・・・キリコらしいヒネリが効いています。
 こちらは、ベルギーのルネ・マグリットの「La Condition Humaine」という作品です。

 窓の外の本物の風景と、それをそっくり描いた絵をかけたイーゼルが描かれています。絵であることは承知の上で、現実との境目が曖昧になって、一瞬、クラッとなるシュールな作品です。

★最後は、巨匠ダリ(スペイン)の「ヴォルテールの不可視的な胸像の幻影のある奴隷市場」という作品の登場です。

 タイトルにある通り、中央に、ヴォルテール(フランスの哲学者)らしき人物の胸像が描かれているように見えます。でも、よく見ると、目の部分は、二人の若い修道女であることがわかります。後ろにも彼女の仲間たちが描かれていて、本当は群像画だよ、という「だまし」です。なんという巧妙なトリッック、テクニックでしょう。ただもう唸るしかありません。

 いかがでしたか?「かくし絵」「かくし絵」の歴史も含め、様々な手口に「だまされる」のをお楽しみいただけたなら幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第626回 本と遊ぶー井上ひさし流

2025-05-02 | エッセイ
 作家の井上ひさしさん(1934-2010年)のエッセイに長年親しんできました。中でも、大変な読書家である氏の書評的エッセイでは、知らない世界がどんどん紹介され、知的興奮を覚えたものです。そんな氏の遺稿となった書評集が「井上ひさしの読書眼鏡」(中公文庫)で、読売新聞の読書欄に掲載されたコラムを集めたものです。

 書評などという堅苦しい枠を超え、本と遊び、戯れているかのようです。3つの話題を取り上げ、ご紹介します(項目タイトルは、私が独自に付けました)。どうぞ最後までお付き合いください。

★偉人の格付け★
 氏が手にしたのは「日本人名大辞典」(講談社)という大部の辞典で、収録された人の数は、6万5千。日本に貢献した外国人が漏れなく載っていること、写真や図版が豊富なこと、人物が残した名言、名歌、名句まで集められていることなどから、お気に入りの辞典です。
 それを側に置いて、ふと作家・菊池寛の趣味を思い出したといいます。それは、身の回りに信頼できる人名辞典を置いて、偉人の偉さのランキングをするというもの。
 対象としたのは、夏目漱石、乃木大将、局部切りの阿部定、大泥棒の石川五右衛門、実測日本地図の伊能忠敬の5人です。まったく分野の違う人物を比べる菊池の方法はこうです。
 まず、できるだけ多くの人名辞典を集めます。各辞典がその人物について費やしている字数を合計し、多い方をより「偉い」とする、というものです。その結果には触れていませんが、井上も、同じ5人を、自身の人名辞典数冊を利用して比べています。
 1番は夏目漱石で、1468字、以下、伊能忠敬が1223字、乃木大将が1032字、石川五右衛門が804字、阿部定が398字で、夏目漱石が一番偉い、という結果でした。
 伊能忠敬をモデルにした「四千万歩の男」という作品がありますから「わたしは伊能忠敬先生が乃木大将より人気があるのを知って、ずいぶんうれしくなりました。」(同書から)
 地味な作業がちょっぴり報われてよかったです。

★憲兵試験の傾向と対策★
 こんな本までチェックしてるの?といささか驚いたのは、「憲兵試験問題模範解答」(兵書出版社 昭和16年発行)なる受験参考書(?)です。
 戦中に、全国の各憲兵隊で実施された入隊試験で出された問題がすべて集められてるとの触れ込みです。ただし、理科は、「風はなぜ起こるか」「電球の光る理由」「水道管が冬に破裂することが多い理由」の3つしか出題されないので、それを憶えておけば満点がとれる仕組みです。また、作文は「憲兵を志す理由を述べよ」に絞られてますから、下準備はいくらでもできます。
 出題傾向より、井上がむしろ参考になったとしているのは、付録でついていた待遇の説明です。それによると、憲兵には憲兵加俸という特別手当がつき、満州や中国を勤務地に選ぶと、特別職日当が加算されるなどの特典があります。さらに、恩給は、中国やソ連での勤務は、1年が2年半に換算されるというのです。4年で終身恩給の資格を得ることができる、というわけです。
 これじゃあ、こんな美味しい仕事どうですか、との受験「推進」書だ、と井上。あらゆる本に目を配る彼らしい一冊でした。

★母語がすべての基礎★
 氏がオーストラリアの首都キャンベラの公立中学校を見学した時のエピソードです。数学の小試験で、黒板には「ピタゴラスの定理を文章で説明しなさい」という課題が黒板に書いてありました。これじゃあ、英語の試験ですね、とたずねる氏に、「母語としての英語がすべてですからね、数学もじつは英語として教えているのですよ」(同)との答えが返ってきたというのです。
 つまり、数学、理科、社会などの科目は、母語を教えるためにある、という考え方です。科目は、いろんな分野のバラエティある言葉に接するための手段と割り切って、母語を豊かにするのを目指します。各科目の知識を知識として教えるのが当たり前の日本とはまるで違う行き方です。
 イギリスも同じ考え方のようで、山本麻子(あさこ)さんの「ことばを鍛えるイギリスの学校」(岩波書店)を氏は紹介しています。そこでは、初等学校(日本の小学校に相当)での1週あたりの授業時間が挙げられています。英語5時間、算数3・5時間、理科1・5時間、歴史と地理が各1時間です。ただし、毎日1時間、「リテラシーアワー」という英語の読み書き能力を向上させる別口の授業がありますから、合計10時間!! 母語を大切にするって、こういうことだったんだ、と氏。英語教育には熱心なわが国ですが、彼ら流のやり方だったら、理系の科目にも興味持てたかもなぁ、なんて感じました。

 3つの話題でしたが、氏の遊びっぷりをご堪能いただけましたか?本に関する目配りのスゴさにあらためて感じ入ったことでした。それでは次回をお楽しみに。