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第541回 「怖い絵」をこわごわ観る

2023-09-15 | エッセイ
 随分前,に、独文学者・中野京子さんの「怖い絵」を新刊で読んで衝撃を受けました。若い頃から西洋絵画を観るのが好きで、展覧会にもよく足を運んだものです。きれいな風景、人物、神話的世界を写し取り、見る人に安らぎを与えるものだと思い込んでいましたが、その分野に造詣の深い彼女によれば、「怖い」というジャンルがあったんですね。最近、角川文庫版で「こわごわ」再読したのを機に、私なりに選んだ4点をご紹介したくなりました。最後までお付き合いください。(画像は、同書から拝借しました)

★まずは、こちらです。

 この女性が誰だかお分かりですか?フランス革命から4年後の1793年、ギロチン台に向かう元ルイ16世の王妃マリー・アントワネットです。描いたのは、ナポレオンの戴冠式など数々の名作をものにしてきた宮廷御用達の画家ダヴィッド(1748-1825)。
 動物死体運搬用の荷車に乗せられ、両手を後ろ手に縛られた上、自慢の長い髪はギロチンでの処刑の際、邪魔になるのでバッサリ切られています。憎い「オーストリア女」であり、国庫を破綻させ、「パンがなければ、お菓子を食べればいい」と暴言を吐いた彼女。そんな彼女の姿をリアルに写し取るダヴィッドの「悪意」が怖い、と著者は書きます。「練達の筆によって、さりげなく欠点が誇張され、美化ならぬ醜化がなされている」(同書から)とも。確かに、薄衣一枚で、ふくよかな体の線もそのままです。でも、このような追い詰められた状況の中でも、背筋を伸ばし、口を固く結んで威厳を保とうとする彼女の姿にちょっぴり憐れみも覚えますね。
★次の作品はこちらです。

 描いたのは16世紀のネーデルランド(現オランダ)の画家ブリューゲル(1530-1569)で、「死刑台の上のかささぎ」と題されています。遠景だけ見れば、のどかです。やわらかな陽射しのもと、悠然と流れる大河、薄紫色にけむる山並みや町が見えます。中景にある木々や葉っぱは印象派を思わせます。でも、前景中央にデンと据えられた絞首台が象徴するごとく「この絵の中心は「死」なのだ。」(同)というのが「怖い」です。
 画像ではちょっと見づらいですが、左端中景の村から、人々は通りへ出て、三々五々楽しげに前景の小高い丘へ登ってきます。いずれ人間は死ぬ運命にあるのも知らぬげに。追い討ちをかけるのが、台の上のカササギです。カラス科の鳥で、ヨーロッパでは、「偽善」の象徴とされ、魔女や悪魔鳥とみなされてきました。ブリューゲルが活躍した16世紀半ばのネーデルランドは、他の国同様、宗教改革の影響をまともに受け、異端審問や魔女狩りがもっとも激しい時代でした。かささぎには、おしゃべりで、告げ口屋というイメージもあります。そんな時代背景の中で、「そんないやらしい告げ口屋が、絞首台からじっと人々を見下ろす・・・。この絵の怖さがじわじわ感じられてくるではないか。」(同)明るい農村風景などを好んで描いてきたブリューゲルの人生観、心の内なる暗さも「怖い」です。
★次の作品をご紹介する前に、そのベースとなったこちらの作品を、まずは、ご覧ください。

 17世紀にベラスケスによって描かれた「教皇インノケンティウス十世像」です。教皇が「真を穿(うが)ちすぎている」と洩らしたと伝えられています。確かに、「こちらを見据える人好きしないその顔。険しい眉。教皇も文句の付けようがなく、書き直せ、とは口が裂けて言えなかっただろう」と著者も推測している作品です。
 そして、いよいよ「怖い」主役の登場です。

 なんたる肖像画でしょうか。言葉を失います。約300年を経て、ベーコン(1909-1992)によって描かれた「ベラスケス<教皇インノケンティウス十世像>による習作」という作品です。最初にご紹介したダビッドの「悪意」を超えて「憎悪」ムキ出しで、まるで幽鬼のごとく描いています。帽子と上着の赤は、「改悛」「贖罪」を表す紫色に変えられています。大きく開かれた口。そして何より不気味なのは、強く激しく不揃いな縦線です。カトリック嫌いだったとはいえ、ベーコンをそこまで追い立てたのは、この教皇が「競争相手を蹴散らして権力の座についた男が身にまとう、一種の「悪」ともいうべき「陰険さ」であったろう」(同)とも著者は想像しています。それにしても、ここまでやる?あらゆる手法を駆使する画家の執念が「怖い」です。
★最後は極め付けの「怖い絵」のご紹介です。

 スペインの画家ゴヤ(1746ー1828)による「我が子を喰らうサトゥルヌス」です。頭と右手はすでに喰われ、左手を喰わんとする壮絶な場面です。ギリシャ・ローマ神話に由来し、多くの画家がこのモチーフに挑んでいます。でも、さすがゴヤ、「怖さ」が別次元です。
 サトゥルヌスは、大地の女神ガイアとその息子の天空神ウラヌスとの間の子供です。長じて父ウルヌスを殺した時に、父が残した「おまえもまた自分の子供に殺されるだろう」との予言に怯え続けました。そして五人の子供を次々と喰い殺したのです。それが、この絵の主題です。結局、サトゥルヌスは、六番目の子供ユピテル(=ゼウス)に殺されてしまうのですが・・・・
 この作品は、現在、スペインのプラド美術館が所蔵、公開しています。元々は、ゴヤの自宅の漆喰(しっくい)壁に直接描かれていました。これも含めた「魔女の夜宴」「運命の魔女たち」など忌まわしいテーマの14作品は「黒い絵」と呼ばれています。人に見せるためでなく、自分の内なる黒い情念を叩きつけたようなその作品群。宮廷画家としての栄誉を欲しいがままにした人生の晩年に一体何があったのでしょう?「怖さ」を超えた「恐怖」さえ感じます。
 いかがでしたか?西洋絵画にはこんな世界もあり、というのを知っていただけたなら幸いです。それでは次回をお楽しみに。
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