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第490回 ナチスを騙した贋作画家

2022-09-16 | エッセイ
 17世紀のオランダの画家フェルメールは、大好きな画家のひとりで、当ブログでも話題にしました(第409回「フェルメールと手紙の時代」。文末にリンクを貼っています)。そのフェルメールの贋作を描き、ナチスを手玉に取った人物がいた、というのを、「ダークサイドミステリー E+」(Eテレ 2022年5月10日放映)という番組で知りました。なかなか興味引かれるエピソードですので、番組からの画像を引用しつつ、ご紹介します。

 主人公は、1889年、オランダ生まれのファン・ハン・メーヘレンなる人物です。画家を志し、高い技術の持ち主でしたが、抽象画が主流になる時代の中で、時代遅れなどと評され、売れない画家でした。やむなく選んだのが、絵画の修理、修復を行う「絵画修復士」の道です。
 33歳の時、知人から贋作の依頼を受けます。当時人気があった17世紀オランダの画家フランス・ハルスのニセ絵を描き直す形で、「笑う士官」という「作品」が完成しました。鑑定士が本物と認め、オークション会社は、4500万円で購入したのです。
 この「作品」に疑問を持ったのが、美術史家で、主にフェルメールの鑑定を手がけているアブラハム・ブレディウスです。彼が、その作品を、アルコールを含ませた脱脂綿でぬぐうと、絵の具が溶けてしまいました。絵の具は、50年ほどで固まりますから、17世紀の作品でなく、まったくのニセモノであることが簡単にバレてしまったのです。赤恥をかかされたメーヘレンは、復讐を誓います。フェルメールの贋作を、ブレディウスにホンモノと鑑定させようという企みです。
 まず、古い絵を購入し、絵をすべて剥がします。古びた画材で、X線での検査もクリアするための準備です。その上で、顔料に液体プラスチックを混ぜて描き、加熱処理して、アルコールテストに耐えるようにしました。さらに、キャンバスを曲げて、細かいひび割れを出すなど、万全の細工を施しました。
 5年後、メーヘレン47歳の時、「エマオの食事」と題した「作品」が完成しました。


 作品は、イタリアに移住した裕福なオランダ人女性(架空)が手放すとの触れ込みで、代理人を通じて、ブレディウスの鑑定に委ねられました。彼は、アルコールテストをしただけで、真作と認定したのです。それにはこんな背景があります。初期のフェルメールは、純然たる宗教画から出発し、のちに、市井の人物をモチーフにした作品を残しています。なので、キリストと市井の人物を書き込んだ過渡的な作品があるはず、というのが、ブレディウスの信念でした。エンマの村人たちと食事をするキリストの絵はまさにそれを実証する作品です。第一発見者になれるという名誉欲が、彼の目を狂わせました。結局、この絵は5億円で売れ、メーヘレンは、一躍、億万長者になりました。その後も、フェルメールの贋作を描き続け、億単位のカネを続々と手にする中、51歳の時の作品「キリストと姦婦」に、ナチスのナンバー2のゲーリング元帥から、買いが入りました。提示金額は、なんと15億円。膨大な美術品収集で知られ、目利きでもあるゲーリングにバレれば、命はありません。酒とモルヒネに溺れる中から生み出され、雑な筆使いも目につきます。


 フェルメールの作品がどうしても欲しかったゲーリングの目も曇っていたのでしょう。「すばらしい!是非とも購入したい」(番組から)の一声で購入が決まりました。彼の手持ち資金で足りない分は、オランダから略奪した葯200点の絵画が当てられました。とりあえず、騙し通せて、メーヘレンもほっとしたことでしょう。
 1945年5月、ベルリンが陥落し、ナチスドイツは敗北しました。その3週間後、メーヘレンは逮捕されます。容疑は、フェルメールの絵をナチスに売り渡した「国家反逆罪」です。戦後、ナチスが略奪した美術品を回収したオランダが、取引記録を調べる中で、ゲーリングとメーヘレンの取引が明らかになったのです。1ヶ月黙秘を続けたメーヘレンは、ついにその絵が贋作であることを告白します。そして、監察官の前で、実際に絵を描いてみせることまでしたのです。
 法廷にずらりと彼の贋作が並ぶ異様な裁判で、メーヘレンは動機を「過小評価されてきた自分の能力を贋作を作ることで正当に認めてもらいたかった」(同)と述べています。また、美術鑑定士は証言で「あなたの作品はすばらしい贋作だったと申し上げねばなりません・・・真実と美への私たちの探究心が私たちの目をふさぎ騙される結果を招いたのです」(同)と述べ、欲に目が眩んだ関係者を断罪しました。
 かくして無罪となったメーヘレンへの評価は一変しました。「売国奴」から「ナチスを手玉に取り、オランダの名画200点を取り返した男」へと。晩年のメーヘレンです。


 判決から6週間後の1947年12月に、彼は心臓発作のため、58歳で亡くなりました。長年の酒とモルヒネが命を縮めたともいわれます。二転三転の人生が終わる時、胸に去来したのはどんな想いだったのでしょうか。なお、冒頭でご紹介した記事へのリンクは<こちら>です。
 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。
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