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第259回 言葉を身につける

2018-03-16 | エッセイ

 中学校で英語の勉強を始めて以来、ずっと疑問に思っていることがあります。それは、私自身が、母語である日本語(と、大阪弁)をどうやって身につけたのか、ということ。
 母親から聞かされていたのは、「アンタは、言葉(をしゃべりだす時期)が遅かったわ。そのかわり、しゃべりだした時は、結構長い文をしゃべるようになってたけどな」という程度のことだけです。

 まずは、はっきり記憶に残っている英語の場合から振り返ってみますと・・・・

 アルファベットの読み方、書き方、発音から始まって、ひとつひとつの単語の意味、意味のある文章を話し、作るための規則(文法)などを、初歩の初歩から、順序立てて、体系的に教わってきました。
 こまかい方法論や、読み書き中心への批判はあるとしても、限られた時間の中で、まったく新しい「知の体系」を身につけるわけですから、概ねそんな手順にならざるを得ないだろうと思います。

 中学生ともなれば、理屈、筋道で物事を理解し、知識を積み重ねていける年頃ですから、自身の感覚としても、「学習」という言葉にふさわしいプロセスで、「それなりに」身に付いた、と感謝はしています。

 社会人になってからも、折に触れ、趣味的に勉強は続けて来たつもりですが、とてもとても日本語みたいに、自在には操れません。

 それと引き換え・・・という話しになるのですが、ほとんどの子供って、2~3歳くらいになると、大人と対等に母語でコミュニケーションを、ちゃんと取れるようになるんですね。英語であんなに苦労した(してる)のに、こんな短期間で日本語が身に付いていた・・・これが、不思議でしかたがありません。

 主に家族との会話、対話を通して、言葉の意味、ルールを「なんとなく」覚えていくんだろうと、想像するんですが、親として振り返ってみて、子供に、英語の勉強みたいに、きちんと教えたつもりはまったくありません。母親はともかく、子供が小さい頃は、私も仕事が忙しくて、子供とロクに会話した覚えもないです。英語圏の親だって、幼児に、三人称、単数、現在形の動詞には、”s ”をつけるんだよ、などと教えるはずもないでしょうし・・・・ 

 そんな疑問に答えてくれるかな、と期待して、「言語の脳科学」(酒井邦嘉 中公新書)という本を手にとりました。著者は、言葉を、脳科学というサイエンスの一分野として、研究している人です。

 ここでも、幼児の言語学習能力、というのが大きいテーマになっています。で、結論からいうと「よくわからない」。

 ただし、興味深いデータが紹介されています。アメリカの研究で、アメリカに移住して来た韓国人と中国人を対象に下したもので、移住して来た時の年齢と、英語の文法の習熟度を調べたというのです。

 それによると、7歳までにアメリカに来た人は、ほぼネイティブ並みだが、それ以降は、年齢が上がるとともに、成績がどんどん落ちていき、個人差が大きくなる、という結果です。
 幼児期だけに働く特別な言語習得能力みたいなものがある、と仮定したら、自身や身の回りの人たちの経験を、うまく説明できるデータのような気がします。
 
 もうひとつ、幼児が言葉を習得していくプロセスについての学説。一つは、「学習説」。日本人が英語を勉強するように、「学習」していく、という考え方。しかしながら、とりとめもない家族とのやり取り、断片的な言葉を、幼児自身の頭の中で、集大成したかのように、しかも、ごく短期間にしゃべりだす・・・という事象の説明としては、説得力がいまひとつ。 

 「言語生得説」というのがあります。チョムスキー(1928- )という隠れた「知の巨人」にして言語学者が唱えているのもので、人間の脳には、あらゆる言語に共通する普遍的な原理、文法とでも呼べる能力が、生まれつき備わっているというのです。こちらの方。



 しからば、普遍的な原理とは・・・というのが「よくわからない」。日本語と英語に横たわる普遍的な原理、といわれてもなぁ。発音やら文の構造やら、全然チャウやんか、ユニークな説やけどな・・・と、第2母語の大阪弁で思ったりします。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

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