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第570回 アポロ同時通訳の裏話

2024-04-05 | エッセイ
 アポロ11号が月面着陸したのは、1969年7月20日。私は大学生で、生中継で刻々と送られてくるテレビの映像を見ながら、英語と日本語の同時通訳に接して、大変なスキルと能力が必要な仕事があるのを知りました。メインで通訳をされた西山千さん(故人)の「こちらヒューストン」「万事順調」などは、今でも耳に残っています。
 その時、若くして同時通訳に参加され、その後、日本の英語教育分野でも活躍されているのが鳥飼玖美子さんです。女史の「通訳者たちの見た戦後史」(新潮文庫)を読んで、その時の同時通訳の裏話に大いに興味をそそられました。話題が話題ですので、少しだけ英語も登場しますが、エピソードをご紹介します。お気楽に最後までお付き合いください。

 欧米で初めて同時通訳が採用されたのは、ナチスの戦争犯罪を裁くニュールンベルグ裁判でのことで、比較的新しいシステムです。そして、日本では、7号以来、一連のアポロ宇宙船の報道で、その存在が注目を集め、11号の月面着陸で一挙に脚光を浴びることになりました。
 その背景には、テレビ側の事情もあったといいます。ドラマチックな場面がそう刻々と入ってくるわけではありません。そこで、スタジオに特設のブースを設けて、同時通訳ぶりをテレビ的に「絵として」伝えることにしたのです。顔の売れた西山氏などは、街でオバちゃんに声を掛けられこともあったといいます。

 さて、最大のハイライトである月面に降り立つ瞬間が来ました。

 その時のアームスロング船長の言葉は、公式の交信録では、
< That's one small step for a man, one giant leap for mankind. >
(一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ)となっています。
 教科書にも載るほどの名言ですが、そこを担当した西山氏には「実際には< man >の前の不定冠詞< a >は聞こえなかった」(同書から)というのです。< a man >なら一人の人間(この場合は、アームストロング船長自身)ですが、不定冠詞の付かない< man >だと人間(人類)一般という意味になります。
 「同時通訳は聞いたそばから訳して行くので、「これは小さな一歩です。人間(人類)にとっては」と訳し、次に< giant leap>「大きな飛躍」と続いたので「?」と思いながら訳していったところ、最後に< mankind >(人間、人類)が登場したので、「あれっ??」となる。人類にとって小さな一歩だが人類にとって大きな飛躍では、まるで意味をなさない」(同)というわけです。
 中継終了後、同時通訳の仲間内でも、不定冠詞< a >はなかったはずだと随分話題になった、と女史は書いています。後日談として、船長もやはり緊張していて、あらかじめ用意していた「名言」の< a >を発音し忘れたのが事実らしいとも書いています。通訳の皆さん方の耳、そして瞬時に通訳していく技術がいかにスゴイかを物語るエピソードです。

 西山氏のサポートとして同時通訳を担当した國弘正雄氏もこんなエピソードを残しています。船長が月の石を拾いながらしゃべっているのを同時通訳することになりました。ところがガ~ガ~と雑音がひどく、ろくに聴き取れません。唯一、< origin >(起源、組成などの意味)という単語が聞こえたのを手がかりに、こんな「訳」をでっち上げたというのです。
「「私がこうやって石を集めているのは、こうすることによって月のオリジン(origin)ねー僕は組成と訳したような気がするんだけどー月の組成が明らかになるかもしれないと思って、それを望んで今やっているんです」というふうに訳したわけよ。僕はほっとして、「ああ,良かった。どうやらもっともらしいことを言えたな」と思ったわけよ」(同)
 この訳はニュースでも流されました。後日、交信録で、まったくの「勧進帳」であったことがバレ、テレビ局からお叱りを頂戴した、とあります。後年、同時通訳として名をなした國弘氏にしてこのエピソード。演技力とクソ度胸も同時通訳に必要な資質のようです。

 女史自身のエピソードです。放送前のスタッフとの勉強会で、月に存在すると予想される石の名前を、彼女はだいぶ覚えました。その中の< basalt >という単語が交信の中で出てきました。「「しめた、出た!」と勢いづき、「玄武岩がありました」と大きな声ではっきり訳した」(同)
 正しい訳でしたが、スタジオの学者は騒然となりました。玄武岩は火山の溶岩で出来る石ですから、月でも火山活動があったことになります。月と地球の成り立ちなども含め、専門家を興奮させた、とちゃっかり自慢話をしているのが、ほほえましくて笑えました。

 いかがでしたか?同時通訳の世界をちょっぴり知っていただけたなら幸いです。それでは次回をお楽しみに。
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