A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

Travis, being lighted

2005-10-05 00:44:35 | 美術
 カメラによって写真を撮るとき、私たちはほとんどレンズの存在を忘れている。それは、音楽を聞くときのスピーカーやヘッドホンの存在、電話の受話器、歩くときの靴の存在みたいなものである。スピーカーや受話器にノイズが入ってはじめて、スピーカーという機械を意識する。普段はほとんど耳に近くて意識することがない。あるいは、履き慣れた靴から新しい靴に履き替えたとき感じる違和感によってはじめて「靴」を意識するあの感覚だ。カメラを使うときも、現実を切り取っているつもりだが、そこにレンズがあることをほとんど忘れている。
 小泉伸司の写真を見るとき、その忘れていたもうひとつのレンズを意識させてくれる。なぜなら小泉は映画館の映写窓にカメラを向けて撮影をしているからだ。私たちが映画館で映画を見るとき、映写機によって(最近はプロジェクターもあるが)フィルムが映写されていることを意識せず映画の世界に見入っている。だが、小泉の作品に目を向ければ、そこに見えるのは、ガラス上に刻まれた傷跡、汚れ、埃、塵、ぼんやりとした色やかたちである。どのような映画かは判別できず、そこから物語や人物を把握することはできない。映画の一コマも映写窓とカメラレンズを二重に介在させて切り取ってみると、まったく見たこともない映像が立ち現れてくる。その抽象的な人物やノイズに被われた色彩、光、闇。どことなく闇のなかに閉じ込められたイメージや光、人物たちのうごめきを目撃するようだ。これを見たとき、フランシス・ベーコンの描く人物像を思い出した。身体の極端な変型、絵筆のストロークは映像的だったのか。

 なお展覧会のタイトルはマーティン・スコセッシ監督による映画『タクシー・ドライバー』でロバート・デ・ニーロが演じた主人公の名前からとられたという。映画同様にどこか狂気を感じさせる強度のある写真である。

小泉伸司展
Travis, being lighted
2005年9月24日(土)~10月8日(土)
art & river bank

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