なにかの幸福のためではなく、必然に迫られて、――なにかに引かれてというのでなく、むりにも押しやられて、――今あるがままに自分の生存を保ちつづけるために、――努力すること、それはつねに奴隷であるということだ。
この意味で、肉体労働者が奴隷であるということは、どうしようもない事実である。
究極の目的なしの努力。
それは、おそろしい、――あるいは、何よりも美しい、――もしそれが、終わりなく決定的なものであるとすれば。美しいものだけが、今あるものに満ちたりた思いをおぼえさせてくれるのである。
労働者たちは、パンよりも詩を必要とする。その生活が詩になることを必要としている。永遠からさしこむ光を必要としているのだ。
ただ、宗教だけが、この詩の源泉となることができる。
宗教ではなく、革命こそが、民衆のアヘンである。
この詩が奪われていることこそ、あらゆる形での道徳的退廃の理由だといっていい。
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)』田辺保訳、筑摩書房、1995年、pp.293-294.
この意味で、肉体労働者が奴隷であるということは、どうしようもない事実である。
究極の目的なしの努力。
それは、おそろしい、――あるいは、何よりも美しい、――もしそれが、終わりなく決定的なものであるとすれば。美しいものだけが、今あるものに満ちたりた思いをおぼえさせてくれるのである。
労働者たちは、パンよりも詩を必要とする。その生活が詩になることを必要としている。永遠からさしこむ光を必要としているのだ。
ただ、宗教だけが、この詩の源泉となることができる。
宗教ではなく、革命こそが、民衆のアヘンである。
この詩が奪われていることこそ、あらゆる形での道徳的退廃の理由だといっていい。
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)』田辺保訳、筑摩書房、1995年、pp.293-294.
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