あるかなりむずかしいことに、自分の全関心、全注意をそそぎ込んでいる人は、全くしあわせである。過去や未来を考えている人間が、完全に幸福になることはありえない。物の重みを背負っている限りは、幸福でなければ死ぬのである。しかし不安のうちに自分の重みを背負うやいなや、どんな道も厳しくなる。過去と未来が途中でひどく肩に食い込む。
要するに、自分のことを考えてはならないのだ。おもしろいのは、他の人たちが自分自身について論を張ることによって、実はぼくを、ぼく自身へと連れもどしてくれることである。いっしょになって行動することは何でも悪くないが、いっしょになってむだ口をたたき、ぐちをこぼし、非難し返すとなると、それはもうこの世の大いなる禍いであろう。
アラン『幸福論 (岩波文庫)』神谷幹夫訳、岩波書店、1998、198頁.
わかってはいるけど。「自分」の過去や未来を考えても仕方ない。他人の「自分」をめぐる愚痴や避難に付き合うのもほどほどがいい。わかってはいるけど・・。
要するに、自分のことを考えてはならないのだ。おもしろいのは、他の人たちが自分自身について論を張ることによって、実はぼくを、ぼく自身へと連れもどしてくれることである。いっしょになって行動することは何でも悪くないが、いっしょになってむだ口をたたき、ぐちをこぼし、非難し返すとなると、それはもうこの世の大いなる禍いであろう。
アラン『幸福論 (岩波文庫)』神谷幹夫訳、岩波書店、1998、198頁.
わかってはいるけど。「自分」の過去や未来を考えても仕方ない。他人の「自分」をめぐる愚痴や避難に付き合うのもほどほどがいい。わかってはいるけど・・。
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