よく「自分はどうやって生きるべきか」って。これって、「自分」っていうものが最初からあったかのように立てる問いでしょう?そもそも自分っていうものが当たり前にあるって思わずに、自分が何故あるのかってところから考え出す「どう生きるか」ってのと、当たり前のようにある自分が「どう生きるか」では、問いが全然違うでしょ?
(西川勝[哲学者]、NPO法人地域文化に関する情報とプロジェクト編『インタビューズ』大阪市・財団法人大阪観光コンベンション協会、2010年、p.13)
問いを立てるには、当たり前を疑う
(西川勝[哲学者]、NPO法人地域文化に関する情報とプロジェクト編『インタビューズ』大阪市・財団法人大阪観光コンベンション協会、2010年、p.13)
問いを立てるには、当たり前を疑う
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