見えざることを望む、これを希望という。解しえざることを信ずる、これを信仰という。すでに見るところのものはこれを望むの要なし、解しうることを信ずるは知識にして信仰にあらず。信仰の貴きは解しえざることを信ずるにあり、しかも理由なくして信ずるにあらず、愛のゆえに信ずるなり。愛の示すところのことを解しえざるにこれを信ずる、これを信仰という。しかしてわれらの救わるるはかかる信仰によりてなり。有限のわれらが無限の神に対し幼心を懐くにいたって救わるるなり、すなわち嬰児となりて救わるるなり。ロマ書八章二十四節参考。
(鈴木俊郎編『内村鑑三所感集 (岩波文庫 青 119-5)』岩波書店、1973年、p.319)
今日も希望は見えない。
(鈴木俊郎編『内村鑑三所感集 (岩波文庫 青 119-5)』岩波書店、1973年、p.319)
今日も希望は見えない。