佐渡の翼

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妙満寺(佐渡市畑野)    投稿者:とある旅人

2010年11月30日 06時00分01秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

旧畑野町に新潟交通の畑野のバス停がある。その交差点を北上すると、やがて右手に妙満寺が見えてくる。日蓮の高弟が開祖した寺のようだが、「かくれた佐渡の史跡」という本に、ここに女流詩人の墓があると書いてあったので訪ねてみようと思いたった。その女流詩人の名は「長島青雀」という。27歳でこの世を去った薄命の女史である。彼女は畑野目黒町の庄屋の娘として生まれた。隣の集落の医者に漢詩の手ほどきを受けた後に江戸へ行き、梁川星巌に教えを請うた。元々病弱だったため長期間江戸には滞在できずほどなくして佐渡へ戻った。そして16歳で松ヶ崎の富豪の息子の元に嫁いだ。彼女の詩集は残ってはいないが、梁川星巌の詩集に発表した漢詩の中の数編が中国の有名な詩集に転載された。これで彼女の文才は一躍佐渡じゅうに知れ渡る事となった。女性の地位が低い時代の佐渡で開花した若き女流詩人の才能!世が世ならば、「天賦の才を持つ薄命の女流詩人が佐渡にいた」などとメデイアでもてはやされたかもしれないだろうに。。。

私はこの寺を訪ね、その女流詩人の墓を必死で探しまくったがついぞ見つからない。生憎お寺の住職も不在でその場所を聞く術がなかった。「かくれた佐渡の史跡」に掲載されたこのお寺の本堂の写真の屋根は茅葺きだが私が訪ねた時のそれは瓦屋根で比較的最近になって建てられたように思われた。山門前の「南無妙法蓮華経」の石碑の位置が山門の右側に微妙に移動しているのを見ると、本堂建て替えの際に、女流詩人の墓は撤去されたのかもしれない。

女流詩人の墓、それを訪ねる前は大いにロマンをかきたててくれたのだが、残念な結末となった妙満寺だった。


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