≪新版(平成18年)≫ ≪旧版(昭和60年)≫
アイルランドのオカルト作家、J.H.ブレナンによる、アーサー王もののゲーム本のシリーズ、『聖杯探求(グレイルクエスト)』の第2巻です。(→第一巻の感想はコチラ)
このシリーズは一部の子供たちのカルト的な支持が多くて、今年の5月に見事復刊を見ました。パチパチパチ。かなりなアーサー王ファンであるわたくしも、これほどまでに見事に独特の雰囲気を持った完成度の高い作品は見た事がなく(モンティパイソンやテリー・ギリアムの雰囲気に近いです)、今でも随一のお気に入り作品なんです。
中学生だった私にとって最も印象深かったのがこの2巻目。
物語は、「夏になって、アーサー王の王国の各地にドラゴンが出没し、最悪な事に最も凶悪暴悪といわれる“真鍮のドラゴン”が出没しているようだから、退治してこい」という極めてありふれたものなのですが、一巻目の『暗黒城の魔術師』がとてつもなくオーソドックスで単調な作りで、何が面白かったのかもわからなかったのに対し、2巻目では細部の表現に凄く凝っていて、装丁のレトロさ(=紙質の手触りと岩波文庫のような字体)と、丹念な鉛筆画によるフーゴ=ハル画伯の絵もあいまって、とても痺れたのを覚えています。
実際、この時代のイングランドには本当にドラゴンがいたんですよね。
私が一番惹かれたのは、冒頭のドラゴンについての解説文でした。
「・・・八月に雨が降るといつもよくないことが起こる。とくに最初の二週目までに降ると。そんなとき村の年寄りらは鉛色の空を見上げ、沈みきった口調でつぶやくのだ。
「八月の最初の週に雨が降ると、翌年はろくなことがない。そして━━━」
それを耳にした者は、古くから伝わるいい伝えの半分を自然と口にしてしまう。
「・・・そして雨がふりつづけると、平穏のときは終わりを告げる」
じつは去年、八月の第一週に雨が降ったのだ。二週目にも、三週目にも、そして四週目にも。雨は九月になっても激しく降りつづけ、そのころにはみな年寄り連中がぶつぶつとつぶやくひとりごとにもいいかげんうんざりとしていた。誰しもがひどくいらだっていた。
八月が雨ではじまるときは、ドラゴンが子を産むのに最適なのだ。それはつまり、生まれた大量のドラゴンの子が翌年大きくなり、口から火を吐いて暴れまくり、たいへんな災いがもたらされるということだった。円卓の騎士たちはむろん、皆殺しにすべく努力するものの、あまりの数の多さにとても手が回らない。そのため、何匹ものドラゴンが好き勝手に暴れ回り、わらぶき屋根に火を吐きかけ、牛をむさぼり喰らい、村を荒らし、乙女をさらっていくのだ。
しかし、それだけではなかった。
同じく去年の八月、雨のほかにも前兆(オーメン)があったのだ。村の年寄り連中は、それが前兆だといってゆずらなかった。激しい暴風雨のさい、雷がグラストンバリー広場の樫の老木につづけて二度落ちたのだ。
「雷は同じ場所に二度も落ちたりはせぬ……」
年寄りは陰鬱な表情でつぶやいた。
「前兆じゃ、忌まわしいことの前兆なんじゃ」
墓堀人が自分で掘った穴に落ち、生き埋めになって死ぬという事件まであった。葬式の行列が棺桶を担いで墓場に到着してみると、棺桶を収める穴がなかった。あったのはやわらかな土がかぶされたくぼみだけで、その下に不幸な墓堀人が埋まっていた。彼の客と同様死体となって。調査官は事故だと断定した。降り続く雨のために地滑りが生じたのだと。しかし、年寄り連中は納得しようとしなかった。
「まさか、サイラスじいさんが、あんなヘマをするはずがない」
死んだ墓堀人について、年寄り連中は沈みきった面持ちでいった。
「前兆じゃ、前兆なんじゃ」
雨が降り続く八月のあいだ、不吉なことがさらにつづいた。
すさまじい雷が農夫ガブリエルの牧場に落ち、羊を五頭殺し、深い穴をあけた。
ウェストミンスター寺院の修道士用の乳を搾っている牛が、双頭の仔牛を生んだ。アーサー王ご寵愛の鷹がつなぎひもをほどき、南方へ飛び去り、二度と戻ってこなかった。ことここにいたって、誰もが年寄りらのいうとおりだと納得した。
翌年、いよいよ最悪の事態が生じた。
生きのいい凶暴なドラゴンが王国じゅうに出現し、騎士たちが殺しても殺しても、新しいドラゴンが次から次へと現れたのだ。しかも、もっと悪い事が起こりそうだった。ドラゴンが大量に発生するのは、雨の多い八月にドラゴンが生まれたせいだ。が、数々の前兆は、ほかの何かを暗示していた。年寄りらは、ドラゴンによる新たな被害が伝えられるたびに、陰鬱な面持ちで首を振り、いうのだった。
「こんなことではすまん。断じてすまん……」
・・・長々と引用しちゃってすみません。本文はさらにこの十倍続きますが、つづくメタンガスや歯に生じている燧石を利用してドラゴンたちが火を吐くしくみや、地獄のように恐ろしい“真鍮のドラゴン”についての説明や、これまで歴史上に出現した真鍮のドラゴンのリストなど、読んで欲しい文章が延々と続いているのですが、まぁ、冒頭のこれだけの文章だけでも雰囲気いっぱいなことがわかるでしょう。なんといっても、こんなに思わせぶりにもったいぶって書いているわりに、「八月に雨が降るとドラゴンが生まれる理由」については明らかにしていないし、何が前兆なのかもわからないし。しかしこちらには「ロンドンにはほぼ一年中霧雨が降っている」などいう勝手な思い込みがあったりして、それが増幅されてむしろ細部のおかしさは強調される。「肝心なことは煙に巻き、そこが面白い」というこの作者の特徴が随所にあらわれていると思うのです。
これにはまっていたころ、「○○に△△があると、いつもよくないことが起こる。そして━━━」、とか、「オーメンじゃぁ。前兆じゃあぁ~」とか、口癖にしてよく言っていたことを思い出すなぁ。
≪ストーンマーテン村≫
この作品の一番の魅力は、冒険の舞台となるストーンマーテン村の、牧歌的な景色のすばらしさだと思います。
真鍮のドラゴンがすまう暗黒の洞窟を目指してグラストンベリー村を出発したはずの主人公ピップは、荒野や森の中を彷徨ったのち、煌めく霧を抜けてストーンマーテン村にたどり着きます。この村のどこかにドラゴンの洞窟に通じる抜け道があるのですが、村中を捜索してその手がかりを捜さねばなりません。「なんでドラゴンと戦いに来たのに、石の怪物たちと戦わなければならないんじゃ!」と唸りながら。(この村の住人は、何かの呪いのせいで石に変えられてしまっているそうです。かなり凶暴)。文中にイラスト地図が示されていて、各所に番号が振ってあり、行きたいと思った箇所を訪れる、という形式なのですが、行ける場所がなんと30ヵ所もあり、あまりにもめんどくさいので気が滅入りそうになります。
実質上、この村がこの本の主役みたいなもんです。
ところが、数カ所巡っているうちに、(各所に附せられたフーゴ・ハル氏のすばらしいイラストによるものなのですが)この村は石の怪物だらけなのに、意外と居心地の良い場所である事に気付きます。フーゴ・ハルのイラスト万歳! すばらしくステキです。フーゴ・ハル氏の手の込んだイラストでは、この村の石の怪物たちや幽霊たちは、異形でありながらどこかユーモラスで(全部の怪物がいとおしい)、村の建物はイングランドというよりもスペインの南部の村を思わせるような白い漆喰と黄土色の煉瓦の屋根を持った石造りの家々で、前振りでは雨のことばかり話していたくせに、この村はカンカンに気持ちよく日が照っている。庭々には石の観葉植物があってされを庭師の石の怪物が世話をしていて、広大な農地には石のダイコンや石のピーマンを、石の農夫がこしらえているのです。(怪物なので襲ってくるけど)
結局、この村がどうして呪われて石の村になっちゃったのかは最後までわからないんですけど、かろうじて難を逃れて人間のままでいた住人も一人か二人います。でも、その彼らもこの事態に全然動じていないのがおかしい。もっと可笑しいのは、その「無事だった人間」というのが、冒頭のプロローグで、「前兆じゃ、前兆じゃ」と言っていた村の古老と、墓堀人のサイラスなんですよね。つまり冒頭であんなにおどろおどろしく語られていた事実は、実はかなりいいかげんな噂によるものだという事実。(村の古老は会って話をしてみると、うさんくさいことを素晴らしい説得力でもって語り続けているし(雷が二度落ちたのはグラストンベリ村のはずなんですけど)、サイラスじいさんは死んでなくてぴんぴんしている) さもイングランド全体で大災厄が起こっているのかと思いきや、実はすごく局地的な出来事だったんですね。そう錯覚させているのは作者のトリックだというわけです。ドラゴン退治なんか関心事にしているのは、ヒマな老人か宮廷のヒマな騎士だけですからね。村人たちは(何かの呪いで)石の怪物にされながらも、日々の生活のための作業に忙しいので、ドラゴンなんてどうでもいいんです。当然、ウェストミンスター寺院の修道士用の乳を搾っている牧場も、農夫のガブリエルも、この村にいるはずですよ。(たぶん)
≪シリーズとしてのお約束≫
このシリーズが愛好家に熱烈に愛されている理由に、全八巻を通して、必ず登場するお約束がいくつもあるということがあります。
ブレナンと言えば、まず、「14へ行け」。
冒険の途中で、いろいろな原因で主人公が死んでしまう羽目が何度も訪れるのですが、その都度パラグラフ14へ行くことを指示されます。14へ行ったとしても死んだという事実は変わりないのですが、ブレナン作品はすべて「死んだら14」ということが徹底されているために、愛好家にとっては14へ行くということは、メッカへの巡礼と同義になってしまっている。ゲーム的にはキャラクターの死亡はある意味敗北ですが、この作品に置いてはそれがギャグになっている。作者も読者もそれがわかっているために、なんだか無茶で納得のいかないデストラップ(頑張っても回避不能な罠)が各所に設置されているのに、不思議と腹が立たないどころか、愉快に笑い飛ばせるんですよねぇ。不思議な仕組みです14。この巻での14は、まだ2巻目であるがためにそれほど面白くもない文章なのですが(一巻目の方が名文でした)、つい11回も行ってしまいましたよ(笑)
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