早いもので、あれから17年。。
このころになると当時の映像などが流されるので、鮮明に思い出します。
少しの食べ物を手に入れるのに何時間も並んだり、トイレ用の水を川に汲みに行ったりしたこと。
当時は東灘区に住んでいたのですが、阪急御影駅から六甲駅まで、線路上を歩いて食べ物を買いに
行った事もあります。
線路が飴細工のように、ぐにゃぐにゃでした。沿線の家は、ぺったんこでした。
17年という年月が経ち、神戸の街も復興しました。
その姿はあの惨状を忘れさせますが、忘れてはならないことも沢山あります。
昨年は東日本大震災も発生し、改めて自然の脅威を思い知らされました。
そして、発生後の対応や復興において、阪神の教訓が活かされていないことも、残念ながらわかりました。
初動の遅さが目立った当時の政治や、阪神淡路大震災後1週間もたたずに「東京でおこったらどうするか」
なんかを話題にしているメディアや政治家への失望感。
同じことを、いま東北の方は感じているのではないでしょうか。
同じことを繰り返していては、犠牲者の方々に申し訳がたちません。
教訓や復興における経験を今後に活かしていかねばなりません。
この震災で犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
このころになると当時の映像などが流されるので、鮮明に思い出します。
少しの食べ物を手に入れるのに何時間も並んだり、トイレ用の水を川に汲みに行ったりしたこと。
当時は東灘区に住んでいたのですが、阪急御影駅から六甲駅まで、線路上を歩いて食べ物を買いに
行った事もあります。
線路が飴細工のように、ぐにゃぐにゃでした。沿線の家は、ぺったんこでした。
17年という年月が経ち、神戸の街も復興しました。
その姿はあの惨状を忘れさせますが、忘れてはならないことも沢山あります。
昨年は東日本大震災も発生し、改めて自然の脅威を思い知らされました。
そして、発生後の対応や復興において、阪神の教訓が活かされていないことも、残念ながらわかりました。
初動の遅さが目立った当時の政治や、阪神淡路大震災後1週間もたたずに「東京でおこったらどうするか」
なんかを話題にしているメディアや政治家への失望感。
同じことを、いま東北の方は感じているのではないでしょうか。
同じことを繰り返していては、犠牲者の方々に申し訳がたちません。
教訓や復興における経験を今後に活かしていかねばなりません。
この震災で犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。