選挙が終わりました。
沢山の方に応援をいただいた選挙でした。
本当に感謝しかありません。
地元の皆様方、駅立ちから運転までやってくれた仲間の皆、各地から駆けつけてくれた関若メンバー、
そして家族。
4回目の選挙でしたが、これまでで一番だったと間違いなく言えます。
だからこそ恩に報いるためにも、しっかりとした結果を出したいと思っています。
思い返せば、私は29歳で議員生活をスタートさせました。
当時は「政治家は4年に1回の選挙の時にだけ出てきて、普段何をしているか全くわからない。自分がなったら絶えずきっちりと情報をお知らせする。」と思っていました。
そして、それから市政報告書を議会ごとに定期発行してきました。
それは50号となり、75万枚を超えました。
継続は力なりと言いますが、続けていると色々な声をいただくようになりました。
例えば、大学生から「学生の自習の場がない」との声に対し、地域の公民館の開放や駅前図書館への自習室設置が実現できました。
他にも保育園を考えるお母さんや障がいをもつお子さんのご両親など。
多くの声から市政を変えることができました。
市民の声を届ける、これが議員の仕事であり、それを市長と対等の権能をもつ組織を通して意思を伝え変えていく。
それが議会の役割です。
それに加えて、議員自身が研鑽を積みながら、政策を具体的に伝えてそれに賛同をいただくこと。
議席を減らしたり、給与を触ることは本来の改革ではありません。
(必要な場合もあるとは理解しています)
いかに加古川市を良い形で次世代に残せるのか。
そのために何を変え、何を守るべきなのか。
3期12年の間に得た経験、培った知識やネットワークのなかで、私なりのものが明確になってきました。
それを今回は訴え続けてきました。
「中村は大丈夫だから」とかではなく、真に必要なことは何なのか。
それをご判断いただければと思っています。
加古川の人口減少を食い止めるという大目的のために。
沢山の方に応援をいただいた選挙でした。
本当に感謝しかありません。
地元の皆様方、駅立ちから運転までやってくれた仲間の皆、各地から駆けつけてくれた関若メンバー、
そして家族。
4回目の選挙でしたが、これまでで一番だったと間違いなく言えます。
だからこそ恩に報いるためにも、しっかりとした結果を出したいと思っています。
思い返せば、私は29歳で議員生活をスタートさせました。
当時は「政治家は4年に1回の選挙の時にだけ出てきて、普段何をしているか全くわからない。自分がなったら絶えずきっちりと情報をお知らせする。」と思っていました。
そして、それから市政報告書を議会ごとに定期発行してきました。
それは50号となり、75万枚を超えました。
継続は力なりと言いますが、続けていると色々な声をいただくようになりました。
例えば、大学生から「学生の自習の場がない」との声に対し、地域の公民館の開放や駅前図書館への自習室設置が実現できました。
他にも保育園を考えるお母さんや障がいをもつお子さんのご両親など。
多くの声から市政を変えることができました。
市民の声を届ける、これが議員の仕事であり、それを市長と対等の権能をもつ組織を通して意思を伝え変えていく。
それが議会の役割です。
それに加えて、議員自身が研鑽を積みながら、政策を具体的に伝えてそれに賛同をいただくこと。
議席を減らしたり、給与を触ることは本来の改革ではありません。
(必要な場合もあるとは理解しています)
いかに加古川市を良い形で次世代に残せるのか。
そのために何を変え、何を守るべきなのか。
3期12年の間に得た経験、培った知識やネットワークのなかで、私なりのものが明確になってきました。
それを今回は訴え続けてきました。
「中村は大丈夫だから」とかではなく、真に必要なことは何なのか。
それをご判断いただければと思っています。
加古川の人口減少を食い止めるという大目的のために。