第20代広如上人御祥月日中法要【10月2日9時30分~】
26 分前にライブ配信開始
本願寺第二十代宗主 広(こう)如(によ)上(しよう)人(にん)(一七九八~一八七一年) 広如上人は寛政十年にご誕生されました。文政九年に本如上人ご往生のあとを承け二十八歳で本願寺の法灯をご継職されました。上人はそれより四十五年間寺務を執られましたが、当時は幕末・維新期にあたり、天皇中心主義の神道・排仏論が推進され、仏法衰退の危機にありました。上人はその神道国教政策・廃仏政策の逆風のなか、近代教団の歩むべき道を模索されました。 また上人がご継職された当時の日本は、西洋の諸外国が開国を求めるなど、国際関係が緊張した状態にあり、また、幕府や諸藩は経済的にも貧窮しており、内外問わず混沌とした社会状況でありました。当時の宗門の財政も貧窮しており、莫大な借財を抱えていました。このような状況より、上人は本願寺の財政改革に着手され、そのために大坂商人の石田敬起氏を起用し、本山においては倹約を励行し、門末においては信仰の繁盛を進められ、懇志募財のほか、現在の賦課金にあたる三季冥加制度などを創設されました。その結果、財政の回復に成果が見られましたが、借財の完済には明治十年頃までかかりました。 一方、上人は勤式に関して、それまで正信偈の節譜が十種類唱えられていたものを、真譜・墨譜・中拍子・草譜・舌々行の五種類に改訂されました。なお、正信偈の節譜はその後、第二十三代勝如上人の時、真譜・行譜・草譜の三種に改訂され、現在に至っています。上人は明治四年八月十九日七十三歳でご往生されました。院号を信法院と申し上げます。
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