飛騨の山猿マーベリック新聞

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◆宮沢博行元議員が語る「岸田政権中枢は『傍観者』だった」 安倍派の裏金づくりを暴露…今、自民党に思うこと

2024年05月19日 20時32分29秒 | ●YAMACHANの雑記帳
自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件を受け、自民党が17日、政治資金規正法改正案を衆院に提出した。より踏み込んだ改正を求める公明党との与党協議は不調に終わり、自民党単独での提出となったものの、これでようやく国会で与野党の議論が動き出すことになる。
ただ、裏金事件が表面化して間もない頃、安倍派所属ながら裏金づくりの実態を暴露して注目を集めた宮沢博行元衆院議員(49)=今年4月に自民党を離党し議員辞職=は、東京新聞のインタビューに「これ(改正案)を通したからといって、自民党の信頼や支持率の回復には直結しない」と断言。宮沢氏が語った古巣への苦言とは。(佐藤裕介)

◆「安倍派幹部は決断のチャンスを逃した」

宮沢博行元衆院議員=東京都内で

宮沢博行元衆院議員=東京都内で

宮沢氏は16日、都内で本紙の取材に応じた。

東京地検特捜部による裏金事件の捜査が進んでいた2023年12月、防衛副大臣を務めていた宮沢博行氏は、2022年までの3年間にパーティー券売り上げノルマの超過分140万円のキックバック(還流)を受けたが政治資金収支報告書には記載していなかったと明かした上で、派閥側から「記載しないでいい」との指示があったと記者団に説明。安倍派の裏金づくりの実態調査が始まるきっかけとなった。

宮沢氏は自民党、特に自身が所属した安倍派の裏金事件への対応について「(本来は)年内に収まる話だった。(収支報告書への)不記載を認めて謝罪する。その決断が遅れて、事態が極めて悪化した」との見方を示した。
安倍派の座長だった塩谷立・元文部科学相は2023年11月、記者団からキックバックの慣習について問われ、「そういう話はあったと思う」と言及した。だが、塩谷氏はその日のうちに再び記者団を集め、「事実を確認しているわけではない」と前言を撤回。安倍派の幹部らは、この時点ではキックバックの存在を認めなかった。
宮沢氏は「(塩谷氏がいったんはキックバックを認めた)あの時が最大のチャンスだった。このチャンスを逃したので、決断のチャンスがなくなった」と強調。「(派閥の)幹部が集まって『もう出そう』になるのではなくて、『もう隠そう』というふうになってしまった。あれが最大の間違いだった」と振り返った。
塩谷氏は今年1月になってから、自身の収支報告書の不記載が2018~22年に234万円あったと公表した。3月に出席した衆院政治倫理審査会では、派閥ぐるみの不記載への関与を否定。4月に離党勧告処分を科され、離党した。

◆「菅官房長官なら危機対応力を発揮したはず」

宮沢氏は、党幹部のリーダーシップ欠如にも苦言を呈した。
宮沢博行氏

宮沢博行氏

岸田文雄首相(党総裁)や茂木敏充幹事長らの名前を挙げ、「政権の中枢部門がリーダーシップを発揮せず、傍観者になってしまったのかもしれない」と指摘。安倍晋三政権で豪腕を振るった菅義偉官房長官を引き合いに、「安倍内閣なら多分、菅さんと幹事長が話をして、(安倍派に対して)『出せ』『出して謝れば収まるんだ』っていうことをやった」と推し量った。
菅氏とは、頭髪の薄い自民党衆院議員有志でつくる「日本を明るくする会」を通じて交流があった宮沢氏。菅氏が政権維持のために重視していたのが、不祥事を起こした議員を迅速に更迭することだったという。
「その日のうちにやる。本人にとってはかわいそうだが、その方が傷口が広がらないし、その後の政治人生にとってもプラスになると、菅先生は言っていた」「(菅氏の)あの采配は記憶にとどめておいた方がいい。危機対応力、あれだと思う」
自民党の政治資金規正法改正案は、22日の衆院政治改革特別委員会で審議入りする。だが、裏金事件が2023年11月に表面化してから既に半年が経過。宮沢氏は「自民党の信頼回復(に必要なの)は、決断力とスピード感。ここに重大な欠陥があったわけだから、これを通したからといって、信頼回復や支持率回復には直結しない」と見通した。

宮沢博行(みやざわ・ひろゆき) 1975年、静岡県龍山村(現浜松市)生まれ。東京大法学部卒。静岡県磐田市議を経て、2012年の衆院選に自民党公認で立候補し初当選。防衛副大臣兼内閣府副大臣などを務める。4期目の2024年4月、週刊文春に女性問題を報じられ議員辞職した。


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◆【動画で振り返る今週の政治】石丸出馬に余裕みせる女帝百合子、6月解散あきらめぬ不人気岸田、選挙妨害に結束する与野党…1週間の政治をランキングで解説する『ダメダメTOP10』

2024年05月19日 20時14分22秒 | ●YAMACHANの雑記帳

【動画で振り返る今週の政治】石丸出馬に余裕みせる女帝百合子、6月解散あきらめぬ不人気岸田、選挙妨害に結束する与野党…1週間の政治をランキングで解説する『ダメダメTOP10』


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◆Live!◆NO WAR!八王子アクション 第105回@八王子オクトーレ前 2024/05/19

2024年05月19日 15時49分24秒 | ●YAMACHANの雑記帳

Live!◆NO WAR!八王子アクション 第105回@八王子オクトーレ前 2024/05/19


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◆自民党政治にさよならを 市民と野党の共闘 再構築・発展へ 全国革新懇が総会

2024年05月19日 14時04分12秒 | ●YAMACHANの雑記帳

赤旗電子版紙面

自民党政治にさよならを

市民と野党の共闘 再構築・発展へ

全国革新懇が総会

写真

(写真)特別報告する日本共産党の田村智子委員長(手前)=18日、東京都千代田区

 「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会」(全国革新懇)は18日、東京都内で第43回総会を開きました。「日本をダメにした自民党政治にさよならを!『市民と野党の共闘』の再構築・発展と『三つの共同目標』を高くかかげて」をスローガンに、各地域・分野の代表者が革新懇運動を生き生きと語り、交流し、行き詰まった自民党政治を終わらせる決意を固めました。(田村委員長の特別報告)(志位議長の発言)

 開会あいさつした全国革新懇代表世話人の角田由紀子弁護士は、自民党が全敗した4月の衆院3補選について「野党共闘が勝利を収めた。共闘の値打ちが再び市民の目の前に明らかになった」と強調しました。

 来賓として市民連合運営委員の中野晃一上智大学教授があいさつし、政治状況について「岸田内閣だけでなく自民党政治が限界に来ているばかりか、自民党に近づきたい維新などの政治勢力も頭打ちの状況にある」と指摘しました。

 全国革新懇代表世話人の小田川義和さんが報告と提案を行い、裏金事件や経済無策、戦争する国づくりなど自民党政治に対する国民の怒りと批判が高まり、「政権交代によって自民党政治を終わらせる好機が訪れている」とし、市民と野党の共闘を草の根から支える革新懇運動が「出番の時を迎えている」と強調。「さよなら自民党政治」の国民的大運動に総力を挙げ、政治を変える展望を訴えるシンポジウムや講演会などに取り組むと語りました。

 日本共産党の田村智子委員長が特別報告し、今年の総会が自民党政治の全体が末期的な状況に陥り、新しい政治への展望が切望されるもとで行われているとし、「あらゆる分野で要求運動をくりひろげ、多様な運動を『自民党政治を終わらせる国民的な運動』へと結集していこう」とよびかけました。

 石川革新懇事務局長の近松美喜子さん、愛知・一宮革新懇前事務局長の柴田伸治さん、岡山大学名誉教授の小松泰信さんが特別報告に立ちました。

 討論では、平和、学費無償化、暮らしをよくする要求実現や、市民と野党の共闘の再構築など、各地の取り組みを通じた革新懇運動の力の発揮などについて活発な意見が交わされました。

 日本共産党の志位和夫議長が討論に参加し、同党が発表した「東アジア平和提言」について発言。提言発表の最大の目的は「軍事的抑止力強化の動きに対して、抜本的な平和的対案を示すことだ」と強調しました。

 全国革新懇代表世話人の冨田宏治関西学院大学教授が閉会あいさつし「地域革新懇が一つ一つの選挙区での行動を通じて他の市民運動の人たちとの間に確実な信頼関係をつくり、市民と野党の共闘の再構築を必ず実現し、自民党政治を終わらせよう」と訴えました。

2024年5月19日(日)

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◆中村敦夫さんが語り尽くす俳優、作家、政治家…華麗なる遍歴の84歳が語る「悟りが来た」とは?

2024年05月19日 13時28分11秒 | ●YAMACHANの雑記帳

昭和から令和に至るまで俳優、作家、ニュースキャスター、国会議員など華麗なる遍歴で知られる中村敦夫さん。いずれも新たな分野を切り開いてその道のさきがけをつくってきた。その芯にあるものは何か。
 僕が時代劇「木枯し紋次郎」をやる前のことからお話ししましょう。
 俳優座に入って1965年にハワイ大に留学し、世界を旅して回り、再び渡米して70年にはカリフォルニア大バークレー校周辺を放浪していました。その頃の日本は全学連から始まって全共闘の時代になるわけだけど、バークレーはヒッピーの本場だったから、僕は仲間入りして、アメリカでベトナム反戦運動をやったわけです。

 帰国した71年に俳優座に戻ると、今度は俳優座の権力闘争が起きて、原田芳雄や市原悦子を引き連れて分裂します。僕は由井正雪といわれ、裏切り者呼ばわりされてね。でも、その頃から古い体質の新劇はダメになっていくわけです。
 ちょうどその年、大河ドラマ「春の坂道」で石田三成をやって、名前が知られるようになり、翌72年に始まった「木枯し紋次郎」に抜擢され、大当たりします。
 その後、僕は映画を作りたくなるんですね。そのために企画を考えたけど、通らなくてガッカリしちゃって、思い立ったのが小説を書くこと。世界情勢に興味があり、海外を舞台にした国際小説を書くわけです。83年の「チェンマイの首」は10万部のベストセラーになり、「ジャカルタの目」、「マニラの鼻」と東南アジア3部作を書きました。
 テレビではその頃から情報番組が始まっていました。番組にはキャスターをやる人が必要になるけど、どういう人にやらせるか、まだテレビ局もわかっていなかった時代ですね。僕に白羽の矢が立ちます。僕なら海外を一人旅していて英語は通じるし、現地のことがわかっている、とっさのことでも判断もできる。テレビ局はそう考えたのでしょう。84年から「中村敦夫の地球発22時」のキャスターをやりました。
 当時は局が新しいテレビ時代が来たということで、かなりの予算も組みました。お金の心配なしで、何十カ国も取材できた。これは大きな知的財産になりました。

2004年の参院選でスッテンテンに

 キャスターをやっていれば、政治的な発言もするようになります。90年代に入って、自民党がダメで日本新党や新党さきがけができたりで、僕に目をつける人が出てきたわけです。さきがけの田中秀征や武村正義が一緒にやらないかと言ってきた。話を聞くと、行政改革とか環境問題とか自民党にはない新しい視点を持っているグループということがわかった。
 それから付き合いが始まり、政治の世界に入っていき、挙げ句は候補者が足りないのでさきがけから参院選(95年)に出てくれないかというわけです。選挙の世論調査はいつも1位。まさか落ちると思っていなかった。ところが、惜敗になってビックリです。
 それで冷やかしで出たみたいに思われるのはシャクだから、シャレや冗談で出たわけじゃないことをわかってもらうためにはもう1回出るしかない。98年の参院選に立候補。その時は若手が民主党をつくり、さきがけは分裂して残っていたのは年寄りが5、6人。結局ダメになり、一人でやるしかなくなった。東京選挙区から無所属で立って当選しました。政治的には変なことになっちゃって、恵まれなかったですね。

 次の04年の参院選は比例区で全国区の選挙をやりました。その頃、正面に据えて取り組んだのが環境問題です。ただ、当時の日本ではまだ相手にされなかった。アメリカのゴア副大統領は環境主義者で、地球温暖化問題が大きな流れになるのは2、3年後のこと。まだ早かったんですね。
「みどりの会議」として全国区で候補者を10人立てました。結果は党が60万票、僕が20万票、あと9人で10万票、90万票でした。環境問題に取り組む市民運動家に立候補してもらったけど、知名度がないですから、仕方がないですね。6年前の票があるから選挙区で僕が一人で立ったら勝てたと思うけど、党派としては敗北です。
 悔しかったのは新聞には「諸派」なんて書かれて、立候補したことすら浸透しなかったこと。やっていることをどこも報道もしてくれなかった。大政党所属なら20万票くらいで当選している人もいたから、選挙制度にすごい差別があると感じましたね。
 しかも、供託金が1人600万円、10人で6000万円、それが全部没収された。その他に10人分の選挙費用。終わった時にはスッテンテンでした。そのためにいろんなものを処分しました。選挙は今の制度のままでは何回やっても無理と諦めました。ものすごく体力的にも気力的にも消耗したし、経済的にも追い詰められた。それが60代半ばです。
 その後は仏教に興味があるので、インドへ行ったり、大学で研究したりしながらぼんやり過ごしていました。そこへ日本ペンクラブから誘いがあった。環境委員会があるけど、委員長をやってくれないかと言われ、引き受けることになった。それが08年。その3年後に起きたのが東日本大震災の原発事故です。何かやらなきゃいけないというので、福島やチェルノブイリで団体視察をやり、発言を続けた。個人的には、「線量計が鳴る」という朗読劇を思いつくわけです。朗読劇なら僕一人で回れるし。それを95回やった時点で今度はコロナ一色になります。100回を超えるかというところで止まっちゃった。コロナ後再開の話もあったけど、4年近く経過して、この年になって2時間立ちっぱなしはきつい。それならというので、周囲からDVD化したらどうかという話が持ち上がった。プロのスタッフが結集し、クラウドファンディングで集めたお金で3000枚作りました。
 最近は原発に批判的な報道が下火になったけど、実際に原発問題に取り組んでいる人たちにとっては深刻な事態が起きている。そんな中で、DVDと僕のショートスピーチをセットにした上映会を全国で展開する話が決まったばかりです。6月22日に専修大学の黒門ホールで1回目をやることになっています。うまくいけば全国ツアーとして続けていきます。

時代認識としては「中村ドクトリン」

 さて、そんな僕の立ち位置です。
 この年になると哲学的なことも含めていろんなことを考える。年を取れば、普通はものごとがわかってくるはずなのに、逆にだんだんわからなくなって、不思議な悟りが来てね。この世のことは人間なんかにわからないのが当たり前なんじゃないか。わからないことを肯定したくなってね。人間はものごとの発生から終わりまで物語があるように考えているけど、実際に起きていることは想像を超えちゃっているんですよ。みんな死ぬことばかり心配して大騒ぎしているけど、そもそもどこから来たのか考えたこともないでしょ。来たところがわからないのに行くところがわかるわけない。哲学書を読むと因果関係はわかる。でも、原因があって結果が出るのは物質的なことであって、なぜ生まれてきたかと言われたら科学的に説明ができない。そういうことについて何か書きたいなと考えています。

 僕の経歴は何度も局面が変わっているように見えますが、実は僕の中では何も変わっていないんです。いろんなことをやっているように見えても全部つながっている。つまり、万物は関連しながら、同時に分裂している。
 日本人は同じ場所に座りたがる国民で、そこで権力や富を築きたがる。動かない、一つのことに執着して完成させるのが美徳とされる。そうしていれば組織の中で順番が回ってくる。でも、僕は自分が面白いと思った方に動く。切り込んでいくとケガもするけど、そっちに突っ込んでみると違う世界が見えてくる。そもそもそういう気質ということであって、局面が変わっているということではないんです。
 時代認識としては、「中村ドクトリン」というのがあります。僕にとっての原則論を書き留めたものです。
■セクハラとパワハラの「セパ両リーグ」
 一つは経済成長至上主義の破綻です。世界はいつまでたっても戦争をやめようとしない。それは経済成長至上主義という宗教から抜け出せないからだと思っています。経済成長至上主義は儲かることがいいことだと叫ぶ。その最たるものが戦争です。戦争をやればやるほど人が死ねば死ぬほど儲かる人たちがいる。
 どこかの政治家のようにトップの座が危うくなると戦争を始めるというのもある。戦争するとそれまでのことがチャラになるからね。
 2つ目は環境破壊。環境を破壊し、自然を壊すほど儲かる人がいる。その最たるものは原発ですね。どんどん地球が放射能に染まり、生命の存続も時間の問題ですよ。
 3つ目は日本の文化の問題。日本の文化は外国の文化と違って独特のものがあります。特徴的なのが階級社会。官僚や政治家が上にいて庶民が下にいる。この権力構造がパワハラを生む。男女でいえば男が上。その根本にあるのは言葉です。哲学者も言語学者も指摘しないけど、日本語はそもそも上と下、男と女が使う言葉が違っている差別言語。それがパワハラ、セクハラの原因。この2本立てが「セパ両リーグ」というわけです。
(取材・文=峯田淳/日刊ゲンダイ)
▽6月22日、開演14時「あれから13年 原発問題のいまを問う!」
第1部:中村敦夫(作・出演)の朗読劇DVD「線量計が鳴る」
第2部:シンポジウム(浅田次郎ほか3人)
主催:日本ペンクラブ、専修大学ジャーナリズム学科
場所:専修大学神田キャンパス 黒門ホール

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◆オランダ軍もやってきた~地位協定の現実(ゲスト布施祐仁さん)【うりずん通信 5月号】20240516

2024年05月19日 13時11分17秒 | ●YAMACHANの雑記帳

オランダ軍もやってきた~地位協定の現実(ゲスト布施祐仁さん)【うりずん通信 5月号】20240516


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