高山別院の歴史
当寺光曜山照蓮寺(こうようざんしょうれんじ)は、京都の東本願寺を本山と仰ぐ真宗大谷派の高山別院である。その起源は遠く鎌倉時代に遡り、開基は親鸞聖人(しんらんしょうにん)の弟子嘉念坊善俊(かねんぼうぜんしゅん)である。
(中略)天正十三年(一五八五)、金森長近(かなもりながちか)は豊臣秀吉の命を受けて飛騨に侵攻した。長近は照蓮寺との協調政策をとり、同十六年(一五八八)、十三世明了(みょうりょう)(等安)を請じて高山の現在地に寺地を与え、堂宇を建立した。以後、照蓮寺は藩主金森家から養子を迎えたり、東本願寺十三世宣如上人(せんにょしょうにん)の六女佐奈姫(さなひめ)の入輿(にゅうよ)もあるなど、触頭(ふれがしら)寺院として末寺七十ヶ寺余を擁する大寺であった。(高山別院パンフレットより抜粋)
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