幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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とちぎテレビ「トップに聞く」で、幸福の科学学園が放映。

2017-01-15 22:42:32 | 幸福の科学学園・HSU

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幸福の科学は、子供たちの教育にも力を入れています。

今栃木県と滋賀県に、中高一貫の幸福の科学学園、そして千葉県に、大学部門であるハッピー・サイエンス・ユニバーシティーがあります。https://the-liberty.com/article.php?item_id=10072

大学部門である・・という、私にしては少々口ごもった書き方なのは、元来、”幸福の科学大学”という名で文科省に申請していたのですけど、文科省が不認可にしたのですよ。

これについては、私なんぞははらわたが煮えくり返っておりますよ。はっきり申し上げて。

そりゃぁそうでしょう?

だって、日本には、学問の自由もあって、信教の自由もあって、資産の運用も自由なので、建物だって自由に立てていいというのが、合法的に認められているんでしょう?

大学というのは、学問の自由の範疇ですので、施設とか基本的な教科とか、教える教授陣とか、大学の表向きが揃っていて、そのうえで申請されれば、文科省は断る理由なんかないんですよ。

だって、大学申請は届け出制ですので、許認可権の云々とかは、適応してはいけないんですよ。

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1729

それをだねぇ、文科省は、「霊言を教えるから駄目だ!」だと。

これで怒らなっきゃ、信者じゃぁないですぜョ!

皆さん、キリスト教系の大学で、「モーゼが紅海を割った?そんなの、あり得ないから、大学は認めん!」とか、「イエスキリストの奇跡とか、普通ではあり得ないから、大学はNG!」とか、創価大学で「法華経教えちゃならん!」とか、天理大学で、「天理教の教義とか、教えちゃならん!」とか言ったら、関係者はみんな怒るぜョ!

私と同じ市に住む、他教団の信者の方だって、「あってはならないこと」と憤慨しちょりましたよ。 

だって、誰でも起こせないことを起こすから、多くの人が神仏を実感するから、宗教はできるんでしょう?

そういうことが、はるか昔から、世界中で起こっているんでしょう?

これは、宗教の奇跡というのは、統計的に真理ということなのではないでしょうか?

私はそう思いますが。 

 
幸福の科学学園那須本校
 
おおっといけない。いつものごとく(笑)記事の中身が、予定より大幅にそれまくっていて、軌道修正せねば。
 
幸福の科学学園のニュースが、お正月の地元テレビの特集で放映された記事が、老舗ブログ「危機に立つ日本」で紹介されていました。
 
若い人たちが頑張って、那須町では、「オラが町の世界一」ということで、愛されているとお聞きしていて、「オジサンも頑張らねば」と思います。
 
有名大学にも、多くの生徒さんが合格しているのもうれしいですし、とってもありがたいですね。
 
幸福の科学学園関西校

 1月1日、2日にとちぎテレビで「トップに聞く」という番組が放映されました。これは、栃木県内の企業十数社のトップが各約5分のインタビューを受け、新年の抱負などを語る番組で、毎年正月に放映されるものです。

この番組の中で、喜島校長が本校の教育理念や成果についてお話しさせていただきました。

どうぞ、ご覧ください

http://happy-science.ac.jp/2017/01/post-394.html

ハッピーサイエンスユニバーシティー

番組はYouTubeにはまだ出ていなくて、幸福の科学学園サイトに、番組がそのまま紹介されておりますから、ぜひご覧くださいませ。

本日はさらに、『教育の法』(幸福の科学出版)から、一部抜粋して、ご紹介します。

幸福の科学大川隆法総裁が考える教育が、いかに真っ当で、論理的で、公平で、「個々人の個性と努力」ということを重視しているかがわかる経典が「教育の法」です。

            (ばく)

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【とちぎテレビ】ニュースワイド21 幸福の科学学園チアダンス部

 

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=49

 基本的に、教育というものには、仏法真理でいう「縁起の理法」、すなわち「原因(因)があって、条件(縁)が加わり、結果(果)が出て、さらに、その影響(報)が出てくる」(因・縁・果・報)という法則が、非常によく当てはまると思うのです。


 それは、日本だけでなく、アメリカや、その他の国でも同様ですが、「教育というものを介在させ、通過させることによって、別の人間に変わっていく」というところが、非常に大きな特徴だと思います。
 例えば、ある学校で勉強を修めることによって、その人の将来の職業選択や、社会的なコース、さらには、親と同じような職業に就くか否かなど、いろいろな道筋が変わってくるわけです。
 そういう意味において、教育というものは、人間が、今回の自分の人生をつくる上において、非常に重要な役割を果たしているのではないかと思います。


 ある意味で、教育によって、まったく別の人生を歩むことができるわけです。学校の選択を変え、あるいは、学問における専門の選択を変えることによって、自分の人生が変わってしまう面があるということです。
 もちろん、その途中においては、家庭の経済的事情から始まって、学習環境、学校の校風、あるいは、教師との出会い、友人との出会いなど、さまざまなものが絡み合い、一つの人生が出来上がってくるところがあります。
 つまり、教育には、ある意味で一種の「魔法」のようなところがあると思うのです。


 これは、戦後だけのことではなく、戦前でもそうです。例えば、地方の石工の家に生まれて、高学歴を重ね、やがて総理大臣にまでなった人もいます。これは、『落日燃ゆ』(城山三郎著、新潮社刊)という伝記小説の主人公の話です。


 その人は、戦後にA級戦犯として死刑になり、悲惨な最期を迎えましたが、それでも、教育の効果として、「勉強ができれば、一代で日本のトップまで上り詰めることができる」ということを示しました。そうした機会、チャンスが、戦前の日本にもあったということです。


 また、明治時代まで遡れば、学問ができた人は数少ないでしょうが、そのなかでも、さらに洋行帰りの人たちには、非常に大きな違いがあっただろうと思います。外国へ行って帰ってきた人と、行かなかった人の差は、ものすごく大きかったと思うのです。
 その意味で、「教育には、人間を変える大きな力がある」ということは否定できません。
(17~19ページ)


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