幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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「2代目マツダカペラ」の、時代を変える「風の革命」

2020-09-06 23:35:20 | 自動車から見える日本と世界

令和に生きるフルオリ+レア車という貴重な車輌 昭和54年式・CB2V型 ...

マツダ カペラ(CB型 1978-1982年)

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

さて、このブログは、高知在住の幸福の科学在家信者らによる布教ブログですが、ブログ代表管理人の私の趣味(笑)と、幸福実現党を含む幸福の科学グループが、現代社会に大きく窓を開いている証明の一環として、時折自動車関連記事を掲載しております。

これでも、結構アクセスを稼いでおりまして、「どうやらばくちゃんは、アクセスが減ってくると、自動車記事に頼る傾向があるようじゃ。」と、地元信者さんからは言われちょります。(爆笑)

さてこのブログでは、「作品が社会に与えた影響」と「いかに、布教に結びつけるか」いうのが大きなテーマでして、自動車ファンが大好きなスーパーカーなどはあまり登場せず、どちらかと言えば、マイナーな商品にスポットライトが当たっているようです。

しかし今回は、そのマイナー中のマイナーな作品、1970年代後半のマツダカペラ(2代目)に着目いたします。

マツダカペラの物語は、中国初新型コロナウィルス禍で希望を持てない現代社会にも、次世代の希望を感じさせるものがあるとも思えます。

ロータリーエンジン - Wikipedia

さて、マツダと言えば、世界で唯一、ロータリーエンジン(RE)を市販化できたメーカーです。

これは「工作技術力において、マツダの右に出る者はいない」という証明作品ですので、1970年代前半のマツダはREを世界に普及すべく、ロータリゼーション計画というものを遂行しておりました。

振動がなく、小型で高い出力を発生できるREは、マツダの技術力を世界に誇示できる、とても付加価値の高い製品だったのです。

またこの頃、アメリカ議会から提出されたマスキー法案から始まる、全世界的な排気ガス規制にも、REは有効的でした。

空気を圧縮して出力を得る、通常のピストンエンジン(レシプロエンジン)で問題となるのは、高温高圧縮下で発生する窒素酸化物(NOX)です。

窒素酸化物は自然界では存在しない、完全な人口の化合物です。元となる窒素(N)も酸素(O)も、どちらも陰イオンなので、通常では結合しないのですが、高温高圧縮状態では結合してしまい、しかも、一度結合した窒素酸化物は、今度はなかなか分離しないという、とてもやっかいな廃棄物です。

ですから排気ガス対応では、酸化する、つまり燃やしてしまえば無害物質になる、一酸化炭素(CO)や炭化水素(HC)より、できてしまえば分離が難しい窒素酸化物を、そもそも出さない工夫が重要視されます。

圧縮がゆっくりで、燃焼室が大きく、熱の逃げが多いREは、燃料ガスの完全燃焼が苦手なのですが、その反面、分離の難しい窒素酸化物排出量が少なく、排気ガスを再燃焼させることで、レシプロエンジンより多く排出される一酸化炭素や炭化水素などを、無害な二酸化炭素(CO)や水(HO)に化学変化させることができ、排気ガス中の有害物質を処理しやすかったのです。

排ガス規制とは?日本と世界との規制値の違いとディーゼル車等のエンジンへの影響 | MOBY [モビー]

マスキー法案に関係する排気ガス規制達成の世界第1号は、レシプロエンジンの日本のホンダのCVCCエンジンですが、レシプロエンジンの排気ガス規制対応エンジンが、軒並み出力低下を余儀なくされている中、REは、ほとんど運動性能への影響がなく、排気ガス対応時代の最強エンジンは、当時間違いなく、マツダのREでした。

マツダの排気ガス対策は、燃費の問題があったにせよ、いち早く、しかも無鉛ガソリン(レギュラーガソリン)で対応したのは、特筆すべきことです。

当時、トヨタなどは、自力で排ガス対策のシステム開発できず、副燃焼にて混合気を一度燃やし薄くしたそれを再度主燃焼室で燃焼させるというホンダCVCC技術を、ホンダからパテント購入して導入しました。

ただ、排ガス規制導入当時の自動車雑誌などを見ると、シビックのように小型で、元来小排気量モデルなら、気にならない運動性能の低下も、カローラやコロナなど、少し車体の大きな車種が主力のトヨタのドライバビリティは、「登坂は息継ぎするし、加速も回転ばかり上がるだけで進まない」と言った有様だったようです。

ハイブリットなど、世界最先端技術でしのぎを削り、今や最大のライバルとして火花を散らすトヨタとホンダが、技術提携していた時代があったとは、当初の排気ガス規制が、自動車業界に与えたインパクトの大きさを物語っていますよね。

ただそのような中でも、トヨタは当時のスポーツエンジンのDOHCエンジンを、出力低下しながらも何とか生き残らせました。
当時のトヨタ、そしていすゞの踏ん張りには、自動車ファンとして拍手を贈りたい面持ちです。

さてそのように、排気ガス規制対応時代最強を誇ったマツダのREですが、先述したように、燃費の悪さという、とても大きな弱点がありました。

元来、完全燃焼が苦手で燃焼室が大きく熱効率が悪い上、排気ガスの再燃焼のため、規制前より濃いガソリンを使用していた、排気ガス対応REは、「ガスイーター」と呼ばれるくらい極悪の燃費で、ガソリン1Lで5km走れないレベルだったのです。

濃いガソリンを使用したのは、排気ガス中の再燃焼に、燃え残りのガソリンを着火源として利用するためです。

と言っても、レシプロエンジンでも、排気ガス規制対応のため、かなり燃焼効率が落ちていましたので、REほどではないものの、燃費性能はそれほど芳しくはありませんでしたが。

さて、マツダの苦境は突然訪れます。

この排気ガス対応に全世界が揺れる中、突然に、第4次中東戦争を発端とした、オイルショックが重なったからです。

構造的に排ガスがレシプロに較べクリーンなREの特性を生かした排ガス対策を行い、燃費に難のあるREを全面に打ち出していたのが災いし、マツダ車は人気、販売共に大打撃を受けました。

マツダのロータリゼーション計画は頓挫し、70年代後半のマツダは、急激で深刻な経営難に陥ってしまったのです。

倒産寸前にまで陥ったマツダは、経営再建のためにフォードと業務提携して車種の整理を行い、「全ての車種でREを選べるようにする方針」から、「車種を選択してREを搭載する方針」に切り替え、そのような中で登場したのが、2代目カペラです。

カペラ、特に2代目は語る人が少ないために、今ではほとんど語られることのない作品ですが、その後の時代の流れを変えた作品だし、それは三菱ギャランΛ(ラムダ)に続く、第2次デザイン革命と呼ぶにふさわしい影響力だったと、私は考えています。

マツダ 1978 カペラ(CB型)

 

2代目カペラが語られることが少ないのは、地味なデザインもさることながら、やはり、初代にはあったRE搭載車がなかったからでしょう。

初代カペラは、RE専用搭載車で、主力車サバンナと高級車ルーチェの中間車種の位置づけで、当時の最速セダンとして、「風のカペラ」として人気がありました。

ですが2代目は、レシプロエンジン(1800cc・100馬力と1600cc・90馬力SOHCシングルキャブ)のみの搭載となり、完全なファミリーカーとなってからは、購買者が参考とする自動車雑誌が取り上げやすいスポーツ企画には、載りにくい作品であったのは間違いありません。

ただ、当時「間違いだらけのクルマ選び」誌の徳大寺氏によると、「額面通りにパワーが出ていて、再三レッドゾーンを超えようとする」と、かなり良いエンジン評価がされており、またサスペンションも、「5リンクリジッド式としては良いチューニングがなされており、特に滑り出しがスムーズで、コントロールしやすい」とされています。

これらからは、それまでREの運動性能のみが着目され、「エンジン一流、サス三流」で、コーナーリングなどでは、直線番長的な性格だったそれまでのマツダ車から、2代目カペラが、大きく性格が変わったことが伺えます。

ボディは、4ドアセダンと2ドアハードトップで構成され、フロントマスクは、日本国内では最も早く、完全なスラントノーズを形成し、優れた空力特性を有していました。

特に2ドアハードトップは、空気抵抗係数(Cd値)が「0.38」と発表されています。

空気抵抗係数は、少なければ少ないほど空力特性が良いとされるものですが、当時は、Cd値が「0.4」を切ると、空力に優れたボディと呼ばれていました。

日産・フェアレディZ - Wikipedia昭和から平成を駆け抜けたスペシャリティカー トヨタ「セリカ」7世代に渡る変遷 | くるまのニュース 

当時の国産スポーツカーの代表である、日産のフェアレディーZ(130系)が「0.385」、トヨタのセリカLBが「0.39」ですから、ただのファミリーセダンのカペラ(2ドアHT)の「0.38」は、脅威的な空力性能でした。

そしてこの2代目カペラの大きな特徴は、華のある車種を持たない、ただのファミリーセダンなのに、この優れた空力特性を、CMなどで積極的にPRしたことなのです。

この2代目カペラを売り込むための、マツダの積極的な空力PRが、その後の自動車産業界に、多大な影響をもたらしました。

その後、世界の自動車製品のデザインでは、「空力」を強く意識したものに激変し、それまでのスポーツモデルのみならず、セダン型の一般車両の多くがCd値を発表しはじめました。

この2代目カペラがもたらした第2次デザイン革命は、空力革命であり、その影響は、特にヨーロッパ社会で顕著に現れました。

ヨーロッパ社会の自動車は、市街地でなければ、時速100kmで走行するのは当たり前ですし、公共交通インフラが貧弱なので、日本とは比べものにならないくらい、長距離走行をします。

一時期よりシェアが落ちてきたとはいえ、車両価格がガソリンエンジン車より約100万円高いディーゼルエンジン搭載車が、50%を占めるのがヨーロッパ社会です。

100万円も高いディーゼルエンジン車両が、それだけのシェア売れるということは、燃費性能の良いディーゼルエンジン車でなければ、元が取れない人たちが多数存在するということを意味します。

同時に、そのシェア比率が意味するものは、「現代のヨーロッパ社会は、地方空港が少なく、新幹線などの高速列車の本数が少ない、とても公共交通の不便な社会である。」ということを意味しているのです。

そのような社会においては、自動車の性能を金で買う意識が強いわけで、それが、ヨーロッパ社会で、高速高級車が多く製造される所以だと思われます。

話がそれましたが、日本では地味な扱いの2代目カペラですが、そのようなヨーロッパ社会で認められ、マツダ車の評価が上がり、その後の5代目赤いファミリア大ヒットの下地となりました。

なぜヨーロッパで2代目カペラが人気となったかというと、優れた空力性能だったからです。

繰り返しになりますが、当時は、排気ガス規制にオイルショックが重なった時代なので、エンジンの燃焼効率は下がり、性能も燃費もがた落ちで、しかも、全世界的に石油価格の高騰となりました。

となると、速度と燃費を稼げるのは、空力性能しかないわけです。

世界で初めて、実用セダンで優れた空力性能を持ち、しかも、優れたコーナーリング性能を誇った2代目カペラは、高速自動車社会に生きるヨーロッパの人々の、顧客ニーズを鷲づかみにしたわけです。

190E fact & history - お気楽ベンツ生活 アウディ100 (3代目 1982-1990):優れた空力特性を実現し、フルタイム4WDを追加 [C3] | びぃくるず

これでその後、80年代に入ると、特にヨーロッパ社会では、「カペラに続け!」とばかりに、メルセデス・ベンツやアウディなどから、空力的に優れた一般モデルが市販化されました。

2代目カペラがスポーツカーでもなく、運動性能に優れたエンジンでもない、普通の一般的なセダンだったからこそ、その影響が大きかったのです。

「セダンでも、風でスピードと燃費を稼げる。」ことを、実証したからです。

Cd値(空気抵抗係数)というのは、空気の流れや、それによる、ボディーが受ける空気の力を総合的にカテゴリー化し、それを数値化したものです。

それは「安定性」という価値も含まれるので、少ないCd値=空気抵抗が少ないとは言えないところもあるのですが、目には見えない空気の流れや力学を数値化することで客観化し、その結果、多くの顧客が抱く「より速く、経済的に。」というニーズに合った製品を、顧客が選択することが可能となったのですね。

つまり2代目カペラは、「目には見えないものを、客観的に認識させることで、その後の社会に、風の革命を起こした!」わけです。

さて、この企画、毎度ここからが布教です。(爆笑!)

今の世の中で、目に見えない神や仏の存在、そして霊界や天上界の実在を、「教え」で証明し、霊言で存在と多様性を実証し、映画や音楽などを駆使して、人々に認識させようとしているのが、大川隆法幸福の科学グループ総裁です。

その内容と量と質で、「現代的知識を有する人が、誰でも神仏や霊界や転生輪廻を理解できる」ようにし、一人ひとりの心の革命と、正しい宗教的価値観に基づいた社会革命を起こそうとしているのです。

本日は、どのような経典をご紹介しようかと迷ったのですが、一つに絞り切れなかったので(笑)、文字数制限のある限り、ご紹介したいと思いました。

2つの理論書、3つの幕末の英雄霊言、そして無神論・唯物論の共産主義のカール・マルクス霊言です。

それでは、またのお越しを。

        (ばく)

幸福の科学出版 HP https://www.irhpress.co.jp/

 

私は、霊的な覚醒を得て、宗教家の道を歩みはじめて以降、さまざまな霊体験をしましたが、霊的な体験を通して最もよく分かったことは、「善と悪というものが、はっきりとある」ということでした。
この世においては、善悪を曖昧にする考えもありますが、霊的な世界において、善悪は、はっきりと分かれています。
善なる生き方をし、善なる思いを持っている魂は、天上界に趣きます。反対に、善なる思いを持っていない魂、言葉を換えれば、悪なる思い、悪なる心で生きた魂は、天上界には入れず、地獄界に趣くか、この世に執着し、この世に近い所を漂うか、このどちらかになります。

「霊的世界においては、魂の善悪が、はっきりと判定される」という事実を知ったことは、私の悟りのなかで、一つの重要な判断基準になりました。
この世のことについては、いろいろな意見があり、各説、各派が分かれて議論をし、民主主義的に多数決で決めていますが、霊的な面から見た場合には、物事の善悪は、はっきりしていて、迷いようがないのです。
「ある魂が、きょうは天国にいて、あしたは地獄に行く。その翌日はまた天国に戻り、そのまた翌日は地獄に行く」というようなことはありません。その人の魂全体について、善悪の判定は、迷うことなくなされていて、魂の善悪が、はっきり分かれています。

この善悪の判定は、国が違っても、宗教が違っても、きちんとなされています。宗教が違い、神の名前が違い、教えや儀式が違っていても、それでも、善悪は、はっきり分かれているのです。これは怖いぐらいです。

善悪のけじめを知るためには、「人間の本質は魂であり、魂は『過去・現在・未来』を生き通しの存在であって、この世での人生修行の内容や結果に応じて、死後の行き先が、天上界と地獄界という、二つの世界に分かれていくのだ」という根本的な真理を、まず、つかまなければいけません。

そして、霊的世界に厳然として存在する「天国・地獄」の概念だけではなく、「なぜ天国・地獄は分かれているのか。どのように生きれば天国に行き、どのように生きれば地獄に堕ちるのか」という、現実観察、科学的な分析から、善悪の基準は導き出されなければいけないのです。
それを導き出すために、過去、私は、さまざまな霊言集(現在、『大川隆法霊言全集』〔宗教法人幸福の科学刊・信者限定〕として発刊)を世に送り出し、天使や菩薩・如来といわれる霊人たちの考え方、心のあり方を教えました。

また、私は、悪霊や悪魔といわれる者たちとの対決などを通じ、「悪霊や悪魔は、何ゆえに、いま、悪霊、悪魔になっているのか。彼らは、どうすれば地獄から出ることができるのか」ということを実体験的に踏まえた上で、修行のあり方や、さまざまな教えを説いてきました。
そういう霊的な裏打ちのある真理を私は説いてきたのです。霊的な裏打ちがなく、人間の頭で考えただけのものでは、永遠の真理とは言えないのです。
『生命(いのち)の法』P174~178

 

実在界に対する釈迦の認識はかなり進んだものであって、九次元宇宙界の本質まで悟っており、「九次元世界は地球だけで完結するものではなく、地球以外の惑星にも広がっている。他の惑星にも素晴らしい霊人たちが数多くいて、修行をしている」という事実もつかんでいました。

また、「宇宙即我」という自己拡大の経験をしたときには、地球という惑星が非常に小さな点となり、みずからの内臓の細胞の一つになっていくのを実体験していたので、宇宙というものの感覚もつかんでいました。

しかし、それらを当時の弟子たちに説くのは非常に困難だったため、さまざまなたとえ話で語るにとどめていました。当時の人びとは、宇宙の構造を聞くまでには、魂の勉強が進んでいなかったのです。
現在、私は実在界の姿を解明していますが、そうした世界について、今から二千五百年前のインド社会という限界のなかではありますが、釈迦はすでに知っていたのです。

ただ、釈迦に足らざるところがあったとすれば、地上にいるときの世界観が、まだいくぶんインドを中心としたものだったために、幽体離脱をして実在界に行っても、会っている霊人たちが、主としてインドを霊域とした人たちだったということです。違った霊域の人びとと会うには非常に難しい面があったと言えます。

また、実在界には、いろいろなスタイルで生きている人が数多くいて、釈迦が彼らを非常に珍しい眼で見ていたことも事実ですが、「彼らの存在がいかなるところからきているのか。彼らはどのような生活をしているのか」ということを、深く追究しないままに終わったところがあります。

しかし、釈迦が幽体離脱によって実在界を実体験したことは、生と死の意味、人生の目的、転生輪廻を説く際に、大きな力となったことは事実です。実在世界の発見によって、彼の思想はいっそうの高まりや深み、真実感を得たのです。

これはちょうど、私が初期のころに、さまざまな霊言・霊示集を世に問うたことに似ていると言えるでしょう。
そうした書物を数多く世に問うことによって、世の人びとは、実在の世界、高級霊の世界がほんとうにあるということを、リアリティー(現実感)を持って感じられるようになったと思います。また、のちに仏法真理の理論書を次々と世に問うにあたって、その裏づけにもなりました。
結局、宗教とは実在界を科学することであり、実在界についての裏づけがない場合には、単なる哲学になってしまうのです。
『釈迦の本心』P154~157

 

宇宙戦艦ヤマトをつくるよ。今の海援隊は宇宙戦艦ヤマトじゃ。それは地球防衛軍じゃ。地球防衛軍をつくらないかん。
だから、日本が軍備をしちゃいかんというんだったら、もう自衛隊なんてやめてまえ。で、「日本は、もう自衛隊なんかつくりません。日本の軍隊なんか要りません。地球防衛軍を創設いたします」と、これでいいんですよ。そいで、そんなかの旗艦を「宇宙戦艦ヤマト」と名付ければよろしい。

あんまりナショナリズム的に言うのが、悪いことのように言われるんだったら、日本に地球防衛軍を創設する。これが海援隊だ、今で言えばな。
明治前の海援隊は地球防衛軍に相当するものだ。規模的には、そのくらいの考え方に相当する。
だから、あなたがたには、ぜひ、宇宙戦艦ヤマトの建造にかかっていただきたい。うん。そして、地球の危機に取り組んでいただきたい。

宇宙戦艦ヤマトは、地球上のさまざまな争い事をなくすためにも活躍せねばならんが、もし宇宙から巨大隕石が地球を襲ったときには、地球から発進して、それを撃ち落とさねばならん。
そういう意味では、「宇宙技術も開発しなければならない」ということだな。今、軍隊のことも言ったが、「宇宙技術もやらないかん」ということだな。「宇宙に対しても警戒を怠るべからず」ということだ。

巨大隕石も来るかもしらんが、宇宙人も、いっぱい来ておるぜよ! 

そんなに明確な攻撃は、今、されてるわけではないけれども、偵察部隊で、いっぱい入ってきとるんで、突如、現れてきて、攻撃行動をされることだって十分にある。
そういうことで、宇宙研究も、ものすごい遅れとるぜよ! これ、いかんぜよ。

だから、宇宙防衛も考えておればだな、国の防衛も一緒さあ。宇宙人と戦えるぐらいだったら大丈夫だよ。どこと戦っても十分に守り切れる。「今の海援隊」ということなら、そのくらいの地球防衛軍、ないし、地球を宇宙から防衛する気持ちまで持ったものを、わしは考えるなあ。

さっきも、核アレルギーがどうのこうのと、まあ、ちんまいことを言うとったからのう。だから、核アレルギーじゃなんじゃ言うんだったら、核兵器なんか言わずに、宇宙を目指して、「宇宙開発」と言うとりゃええんだ。
だから、宇宙開発を、もうガンガンやったらええ。そりゃ、今の「新産業起こし」にもつながることやろ。職がない人はいっぱいおるんだから、職をつくってやれ。それには宇宙開発だ。宇宙に行って、資源を開発したり、住めるとこも開発したりする。夢があるじゃないか。
そうすれば、同時に、それは国防にもつながるだろ。
『龍馬降臨』P131~137

 

御政道をただそうとする者は、誠意をもって事物に相対さねばならない。自らの心が曲がっていたら、その鏡に世界の正しい姿は映らない。自らの鏡がゆがんでいたら、弟子たちもまた、ゆがんだ像を見るであろう。
わが使命は、のちのちの人々の心を照らす鏡となることであった。
かつて西洋のソクラテスという人が毒杯を仰いで死んだと聞いているが、心境は同じである。この世に妥協し、自分の言論を覆し、卑怯な態度を見せるぐらいであるならば、私は潔く死を選ぶ。
そして、世の妥協主義者たち、この世に流されて生きている者たちに対して、その生き様でもって反省を迫る。

「私がなぜ暗殺の計画を語ったか」ということであるけれども、「幕府に反省を迫った」ということである。「取り除くべき者は取り除け。この国に害をなして要職に就いている者、断固、排除すべし!」ということを述べたかったのである。

当時は、現代のようにはマスコミが発達していない時代である。
だから、「そうした要職に就いている者が、この国に害を及ぼしていて、取り除かねばならない」ということを、国民に知らせるために、「私のように知名度の高い人間が、あえて、罪に当たることを述べ、処刑されることによって、その事実が、国元のみならず、全国に知れ渡り、維新の志士たちが立ち上がる」ということを考えたのだ。

自分独りでそれができるとは、当然、思ってはいない。私は、それほどばかではない。ただ、あとに続く者に決起を促したのである。その噂が全国の志士に必ず伝わるのは分かっていた。それは、もう分かっていたことである。
吉田松陰の令名は、すでに、維新の志士たちで知らぬ者がなかった。だから、私が、あえて、「幕府の重職にある者を取り除かんとして陰謀を企てた」ということを自白し、それで処刑されるという手法、まあ、これは、イエス・キリストやソクラテスとまったく同じ手法ではあるけれども、そういう手法を取った。

一種のマスコミ的効果を狙ったものではあるが、当時は、そういう方法しかなかったのである。
ペリーの船に乗り込むときも、やはり、同じことは、当然、考えていた。
困難は伴うし、英語をしゃべることはできなかったし、「乗り込ませてくれる可能性は百に一つ」ということは、当然、思ってはいた。
しかしながら、それは、誰かがやらねばならないことであるので、まず先駆者として試みる必要がある。

いずれ、他の者たちが、あとに続き、異国船に乗り、アメリカ、ヨーロッパ等に行って学んでくる時代が、必ず来るであろうけれども、最初の草創の時期において、その国禁を破る者は、迫害を受ける。当然、覚悟の上である。そういう気概を私は持っていたのだ。

われらは、この世における命など、こんなもの、毫毛ほどの重さにも感じてはいないのだ。
永遠の生命をつかんでいる者にとって、この世は一瞬である。この一瞬のなかにおいて、このわずかな限られた人生において、世を照らす光となることは、いかほど難しいか。それを、あなたがたも自覚せねばならんであろう。
『一喝!吉田松陰の霊言』P100~106

 

千葉重太郎と坂本龍馬が来たけども、そら一瞬で、「暗殺しに来ただろう」というのは、もう、殺気で分かっちゃうさ。
だけど、彼らは、玄関口で刀を外そうとしたよ、とりあえず、礼儀としてね。
でも、私はね、「いや、君、刀を外しちゃいけないよ。何が起きるか分かんないから、ちゃんと腰に差してなきゃいけない」って言ったのさ。(中略)だから、私は、言外に、「暗殺に来たんだろ?」って言ったわけさ。

そしたら、毒気を抜かれてしまって、降参したのさ。まあ、これが言論戦なんだよ、ある意味でな。
千葉重太郎と坂本龍馬の両方から斬りかかってこられたら、俺だって、なますになっちゃうぜ、そりゃ。普通、本気で来られたらなあ、なますになっちゃうけどね。
ただ、こっちのほうは、刀を持たずに出たのは事実だ。向こうが剣豪で、刀を持っていて、二対一だったら、まあ、普通、勝ち目はないわな。

だけど、こちらは刀を持たずに出て、向こうが、礼儀上、刀を外そうとした奴を、「外しちゃいけないよ。ちゃんと腰に付けてなさい」と言ったもんだから、毒気を抜かれた。それで、まず、一撃目は向こうの「負け」なんだよ、言論戦としてはな。
で、刀を付けたまま、上に上げさせた。そして、入ってきたら、「いつでも斬っていいぞ」と言いながら、地球儀を指して世界情勢について語り始めたよ。いつでも斬れるように背中を見せながら、世界情勢について語ったんだ。

これまた、剣豪としては斬れないスタイルだよなあ。相手が向かってきたら斬れるけど、「背中を向けてる相手を斬る」っていうのは、剣豪はできないんだよなあ。ヤクザとかなら、後ろからブスッと刺すのは可能だけど、天下の千葉道場にとっては、「背中を斬りつける」っちゅうのは、情けなくて、かっこ悪くて、できないだろ? 人間には面子ってのがあってなあ、それを逆利用するのさ。

結局、言葉の力というよりは、相手の人間の性格やパターンを見抜き、「この人は、こういうふうに言やあ、こうなる。こういうふうに動けば、こうする」と、こういうことが読めるかどうかだな。

わしゃ、井伊大老がね、剣の達人にあれだけ鉄壁の警護をされてたのに、水戸の浪士たちに登城するところを狙われて、斬られたのを見て、思ったんだよ。

それだけ警備をしててもだね、攻めるほうが本当に死ぬ気で突撃してきたら、防げるもんじゃない。

そういうことで、警備は、一切、付けなかったんだよ。
だから、襲い放題だ。首相官邸で警備がいない感じかな。
「あとは女性だけがいる」っていう感じだったので、正統派の剣豪は、ある意味で、「逆に、斬りにくかった」ということだな。
わしを襲いに来る奴は、腕の立つ奴しかいないさ。そして、腕の立つ剣豪になってくると、こちらが、素手だとか、背中を見せたりとか、女性に応対させたりとかしたら、もう、みな、どうしたらいいか分からないのさ。
『勝海舟の一刀両断』P214~223

 

A――   カール・マルクスさんですか。
マルクス  マルクス、デ、アル。
A――   あなたは、今、どのような世界におられますか。
マルクス  ウウ? ウー、ナイ。ナンニモナイ。
A――   あなたは一八八三年に亡くなっています。それはご存じですか。
マルクス  知らん。
A――   死んだことは分からない?
マルクス  分からない。
A――   あなたは、今まで、そこで何をしていましたか。
マルクス  は? そことは?
A――   今いる所はどこでしょうか。
マルクス  は?
A――   あなたはどこにいますか。何が見えますか。
マルクス  何も見えない。
A――   あなたは何を考えていますか。
マルクス  私は……、私は何なんだ。私は何なんだ。私は何なんだ。
A――   あなたに肉体はありますか。
マルクス  は? 言ってることが……。
A――   体は持っていますか。
マルクス  は?
A――   体を持っていますか。
マルクス  体? 体? 体? 体って何だ。体?
A――   あなたは、生きていたころのことを覚えていますか。
マルクス  は? 「生きていた」とは何だ。
A――   あなたは、何か思想を発表しませんでしたか。
マルクス  は? ウー。
A――   『資本論』とか……。
マルクス  おまえは何だ。何だ、いったい。
A――   私は人間です。
マルクス  分かっとるわ、そのぐらい。
A――   「幸福の科学」はご存じですか。
マルクス  知らん。
A――   宗教です。
マルクス  嫌いだ。
A――   なぜ宗教は嫌いですか。
マルクス  アヘンだ。人を迷わす。
A――   迷わすのですか。
マルクス  迷わす。
A――   あなたが迷っているのではありませんか。
マルクス  宗教が人を迷わす。
A――   あなたは宗教を信じていますか。
マルクス  そんなわけないだろうが。
A――   あなたの今いる世界は、迷っている世界ではないのですか。あなたは迷っていませんか。
マルクス  おまえの言うことは分からん。おまえは気が狂っておる。
A――   あなたは、今、体を持っていますか。
マルクス  おまえは何を言っているんだ。意味不明だ。おまえは精神病院へ行け。
A――   その世界に、ほかの人はいますか。
マルクス  その世界とは何だ。
A――   今、あなたがいる場所です。
マルクス  何にも分からない。
A――   誰か周りにいませんか。
マルクス  何にも分からない。
A――   では、あなたは今まで何をしてきたんですか。さっきまで何を考えていましたか。ここに来る前、何をしていましたか。
マルクス  わしはカール・マルクスだ。
A――   自分の名前は分かっているわけですね?
『マルクス・毛沢東のスピリチュアルメッセージ』P24~28


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