さて、ダイエットで重要なことは、美しくなることです。
美は、=健康でなければなりません。
ですからそれを実現するためには、身体のメカニズムを無視してはいけないと思います。
以前の記事では、主に「血液の流れやリンパ液の流れを良くして、体内に溜まっている、無駄な水分(むくみ)を取りましょう。」ということで、論を進めてまいりました。
今回は、「無駄な食欲を取りましょう。」ということになると思います。(笑)
確かに、身体の成長は、成長期の20代くらいまでは、そういう必然性がありまして、それ以降の方々と比べると、どうしても実用燃費が悪いというか(笑)、かなり大食いな時期ではあります。
実は基礎代謝というのは、人間は年々、急激に落ちて参ります。
ですから身体が成長を止め、栄養補給の目的が「維持」のみとなった40代以降だと、実は、それほどの食べ物は必要でないのです。
それは、日々消耗する成分で、身体が独自で作り出せないものが、どうしても存在するからなんです。
ビタミンなんかがその代表ですけど、他にも大事なものがあります。
それが何かというと、「電解質(ミネラル)」なんですね。
ナトリウム・カリウム・マグネシウム・カルシウム・・・
こういったミネラル成分、これらはある程度補給しないといけません。
実は、ある一定の年齢以上の方々の食欲の大部分は、この「ミネラル欲しさ」のための食欲なんですね。
ミネラルというのは、生きている上で、とても重要な働きをしております。
ナトリウムは、細胞の保持。
カリウムは、発電。
カルシウムは、神経伝達。
塩素は陰イオンなので、ナトリウムやカリウムなど、重要な陽イオン物質を、体内にとどめる作用があります。
ですから各種ミネラルが不足しますと、「ミネラル欲しさの食欲」というものが起きるんです。
たとえば、「お酒を呑んだ後に、無性にラーメンが食べたくなる。」とか言いますね。
よく、ストレス発散に食べちゃう方がいらっしゃいますが、それらはこの、「ミネラル欲しさ」の食欲ではないかと思われます。
ということは、「一日の必要摂取ミネラルを、あらかじめ摂取できれば、ある一定年齢以上の方であれば、食欲自体を抑えられる。」ということでもあるんですね。
「そういう方法があるのか!」というと、
しかも簡単に。(爆笑)
それは、「豆乳と野菜ジュースを1対1で混ぜたものを、一日にコップで、2~3杯飲んでいただくだけ」です。
ですので、ミネラル欲しさの食欲がなくなり、食事の摂取量そのものが激減します。
一度に摂取する必要はありません。
できれば食前摂取をお勧めいたします。
すごい量の、ウ🔴チが出ます。(爆笑)
豆乳にも野菜ジュースも、食物繊維が大量に含まれるからです。
まぁこれも、健康のバロメーターでもありますね。(さらに爆笑)
奇跡を感じよう
MV「The Real Exorcist」映画『心霊喫茶「エクストラ」の秘密-The Real Exorcist-』主題歌〔作詞・作曲〕大川隆法 /〔歌〕大川咲也加
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=124
一般論としては次のようなことが言えます。
そういう小さな子供は家庭の状態を反映しています。いちばん近いのは両親なので、両親の心が、そのまま子供に影響します。子供の場合、本人に「自分」という自覚ができて、自己確立がなされるまでのあいだは、両親の影響がかなり大きいのです。
したがって、心の問題が問われるのは両親のほうです。子供に何か病気が起きるのは、おそらく、両親の心のなかに何かの問題があります。両親の心の状態が子供の肉体に現れてくることがあるのですね。
ただ、個別の問題として考えたときには、必ずしも両親などの問題だとは言えないこともあります。
なぜなら、ヘレン・ケラーなどの例があるからです。
ヘレン・ケラーは、幼少時の病気が原因で、目が見えず、耳が聞こえなくなりました。しかし、あれだけのハンディを克服してきた彼女だからこそ、「多くの障害者たちに希望の光を投げ掛けた」というところがあるわけですね。
五体満足の人間から、「目が見えなくても、耳が聞こえなくても、足ることを知って生きなくてはなりません」と言われると、反発する人は、たくさんいます。ところが、自分の実際の経験を通して、光り輝いてきた人の言葉には、強いものがあるのです。
たとえば、心臓が悪くても、「これで私は不幸になりました」と言って一生を終わるのではなく、そういうハンディを持っていながら、人並み以上のことをいろいろと行うと、それが他の人々にとって救いの光になることもあります。そのため、優れた人が何らかの障害を持って生きることもあるのです。
そういう手本を見せるために、あえて重度の障害を持って生まれてきたりするわけです。
昭和の時代にも、知的障害のある天才画家として、貼り絵で有名な山下清という画伯がいました。彼は高級霊で、菩薩界の人です。光の天使が、障害のある人に勇気を与えるために、ああいうかたちで出たのです。
あの世の人たちから見ると、「光の天使が、あんな知的障害になってしまって、かわいそうに」とも思えるのですが、それは、もっと大きなことのためなのです。それは地上の人間には分からないのですが、「障害を背負いながら一生懸命に生きて、他の人の模範となる」ということです。
結局、あなたの質問に対する答えは、「人生は一冊の問題集」という言葉に還っていくでしょう。
偉い人であっても、そういう病気になることがあります。それは、人々にいろいろな生き方を見せるために、やっていることなのです。
したがって、何らかのハンディがある人は、「自分も、そういう使命を持っている」と考えて、頑張っていただければと思います。
『心と体のほんとうの関係』(大川隆法著 幸福の科学出版)P144~150
何年も何十年も、深い思索活動を続けることは、長寿につながります。宗教家も、修行や勉強が足りなくて、言うべきことがなくなると、だいたい早く亡くなるようです。言うことがなくなったら死ぬのです。
たとえば親鸞は九十歳まで知力がまったく衰えませんでした。彼が九十歳まで活動できたのは、若いうちに二十年間、教学を徹底的にやったからなのです。それだけの知力があったから続いたのです。
親鸞の教えの系統の人は、親鸞が「お経を読む必要がない」「教学など要らない」というようなことを言っているので、そのような気になることがありますが、親鸞自身は非常によく勉強をしているのです。二十年も比叡山で学問修行をやった方なのです。
そもそも、釈尊の教えは法門が多く、八万四千もの法門があると言われています。それだけ説こうとすれば、時間がかかるので、釈尊は、長生きせざるをえなかったのです。そういうところがあります。
一方、イエスの教えを見ると、あのような激しい教えであったら、そんなに長くは説きつづけられないということが分かります。非常に激しい教えであって、イエスが天寿を全うできるような教えではないと思います。
宗教の系統の学者などで、仏教学、インド哲学系統のほうをやっているような人は、七十歳とか八十歳で死ぬと、「夭折(ようせつ)した」と言われます。「八十歳で亡くなられた。まだ若いのに……」と言われるのは、インド哲学系統です。この系統の学者には、だいたい九十歳ぐらいまで生きる人が多いのです。
それは、一つには、勉強することがものすごく多いためです。仏教学系統には、非常に多くのお経があるので、いくら勉強しても終わらないのです。大蔵経を読んでいると、なかなか勉強が終わりません。
それと、もう一つには、仏教は心穏やかな教えですから、毎日お経を読んだりして規則正しい生活をしていると、気が長くなっていくためです。穏やかで、気が長くなって、怒らなくなります。そうすると、九十歳まで長生きできるのです。
幸福の科学も教えが多いわけですが、教えが多いということは、よいことなのです。これは「長生きができる」ということを意味しているのです。それを知っておいてください。
(同上・178~181ページ)
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